*

「車旅日記」2004年夏 初日(佐賀空港-別府)走行距離254㎞その2-田川後藤寺駅、豊前川崎駅、宝珠山駅、日田駅、豊前中村駅、鳥栖駅、別府・ホテル清風屋上ビヤガーデン【九州を一周してみよう。そう思いたった、真夏の日々でございます。】

公開日: : 最終更新日:2025/05/24 旅話, 旅話 2004年

車旅日記2004年8月11日・・・田川後藤寺駅、豊前川崎駅、宝珠山駅、日田駅、豊前中村駅、鳥栖駅、別府・ホテル清風屋上ビヤガーデン

14:42 田川後藤寺駅(佐賀空港より110km)
かつて男たちがシャベルを担いで向かった山を探した。

丘の上から山頂が削られた山が見えた。
香春岳は、あれか。

町へと、下りていく。

駅は、小さな教会を連想させた。

筑豊の象徴的風景だったボタ山は住宅団地に変わり、長屋のような炭坑住宅もまたモダンな物に造り変えられ、オレが見たかった筑豊の風景は、もうどこにも残っていないことを、駅の案内で知った。

あれだけ走り回ったのに、見つからなかったわけだ。

オレにとっては、何かが足りない風景だった。
この駅も、以前はもっと重厚な姿をしていたのじゃないか。
新たな筑豊として始めていくにあたり、建て替えられたのに違いない。

駅員に断って、便所を借りに改札を越えると、ホームに炭坑時代の歴史を見たような気がした。
跨線橋の階段に新聞紙を敷いて座っていた人々は何だったのだろう。

土地の言葉はどこからも聞こえてこなかった。

2009年9月19日撮影

2015年8月15日撮影

15:10 豊前川崎駅(佐賀空港より115km)
お盆ということもあるのかもしれないが、田川の商店街は閉まり、活気は見られなかった。

やがて豊前川崎を示す案内表示を見かけ、まるで大きな交番のような駅舎を発見する。

ここが、以前はターミナル駅だったと知ったのは、つい最近のことだ。

改札の先の空地に伸びた草々が、生暖かくぼんやりとした風に揺れている。

このあたりは日本一柄が悪く、筑豊ナンバーの車には気をつけろと、知人に言われたことがあるが、そんなことはない。

閉山とともに、荒くれ男たちも町を離れたのだろう。

駅前にめぼしいものはなく、宿泊施設もない。
脇に小さな神社があり、駅を跨ぐ無味乾燥な道が見える。

さっきは、あの道を通ってここにやってきた。

今オレが眺めている筑豊は、どこか別な町のように感じる。

筑豊と炭坑を結びつける世代は、もう消えつつあるのかもしれない。

この変貌は、よそ者のオレには寂しいが、地域住民が選んだ道だ。

筑豊の未来が、輝かしいものであるように。

16:15 宝珠山駅(佐賀空港より154km)
蛇行道を走り、少し疲れた。

涼しい風が吹いてきた。

5月の北海道が懐かしい。

201号国道から、211号国道へ。
素朴な田舎道から、陶器道へ。

途中に、筑豊の象徴でもある遠賀川源流地点を見て、ここで別のルートから峠を越えてきた鉄道と再会。

駅への表示はなく、川を渡ると旧校のような駅舎に出くわした。

古く鄙びた構造物に歴史を感じたかったが、肥前も筑豊も、駅舎も町も姿を変えていた。

でもここはいい。

暗くなったら、あの味のあるランプに、あたたかな色をした灯が点るのだろう。

この峠の小さな村にいることが。
東京の誰もが知らないような、この駅で涼んでいることが。
オレにとっては十分な旅の目的になる。

蝉の声は大きくないが、夏の音に囲まれている。

16:58 日田駅(佐賀空港より168km)
天領日田へ。

日田温泉を持つ、賑やかな街。

日の当たる、開けっぴろげで開放的な待合所で、可憐な少女が汗を拭きながら、列車の到着を待っている。

穏やかでいい街だ。

ビヤガーデンがあるなぁと見上げていると、蝉の声に交じって流行歌が聞こえてきた。

今日3本目の飲料水を求め、今日という一日の終わりが見えてきた。

こうしてオレは、歴史的な街に辿り着いている。

近くに象徴的な川が流れているはずだ。

そこには、昔ながらの石造りの橋でも架かっていそうだ。

東京の暮らしに疲れた男が、この街を故郷に持つ女性に魅かれて、新しい生活を始めた。

そんな話が映画「男はつらいよ」に登場する。

街に17時を告げるメロディが鳴り響いた。
「カラスの子供」だっけな。

夕暮れを迎えた夏の甲子園みたいに、どこか物悲しい。

2009年9月19日撮影

18:08 豊前中村駅(佐賀空港より207km)
温泉道路が日田から別府まで続く。

玖珠川沿いの国道を走ってきた。

姿のいい山に、観光客を集める豪快な滝。

夕暮れ時になって、蜩の声が聞こえだした。

瓦を乗せた、旧家のような駅舎。

駅員はいないだろうと中を覗くと、生真面目そうな表情をした鉄道員が事務仕事をしていた。

時刻表を見ると、この駅に停車する列車の本数は多くない。

この村は玖珠川からは少し離れ、九重連山登山口にあたるという。

登山客を見越してか、駅前には喫茶店、大衆食堂がある。
もっとも、営業をしている様子は見えない。

子供たちが家から出てきた。

そういうものだ。

子供たちはじっとしていられない。

夏の夕暮れとはそういうものだ。

そんな時分に走る210号国道は、美しかった。

20:50 別府・ホテル清風屋上ビヤガーデン(佐賀空港より254km)
大きな明かりをともす街、別府。

あれから、険しい男の面相をした鶴見岳を前にしながら、この街に向かった。

2年前の壮大ツアーでも、あの山は見たはずだ。

当時、山の名は知らなかったけれど、九州らしい豪壮な姿をした山を見たことは覚えている。

鶴見岳外周道路を走る気分は懐かしさを呼び、長野県白樺湖近くのエコーバレーを思い出させた。

風土も気候帯も違えど、この国には似たような風景と高原道路が存在する。

そんなことを感じたのが、東京近郊の山地のことではなく、遠く離れた九州であることが、オレには誇らしい。

由布院を抜けると、大分市内に向かう国道とはおわかれ。

蜩の声がよく聞こえる林道が、別に別府へと通じている。

鶴見岳外周地点で上り勾配になり、上がりきった地点から別府の街が遠望できる。

さらに遠くに、別府湾が見える。

2年前の続きをこの街から始められる。
夏に、西国の街にいることが懐かしく、またうれしい。

2年前の九州には、オレが見たかったものがそこらじゅうに転がっていた。

別府の街には、正直驚いた。

10号国道から駅へ向かう道は人で埋まり、まるで休日の竹下通りのようだった。

あの日は、きっと大きな祭りでもあったのだろう。
関門海峡で、あの海峡花火大会が行われた日のことだ。

そして今夜。
今年の夏の催しはすべて終わってしまった。
マンションの管理人にそう聞いたよ。

街を歩くと人の姿は少なく、駅に何らかの用を抱えた者の姿も少ない。

駅から10号国道へとつながる坂を下りていく。
1軒感じのいい店を見つけたけど、さらに先へ。

アサヒ・ビールの広告塔ともいえる、別府タワーの明かりに誘われ、海辺をさすらううちに、ビヤガーデン特有の提灯行列を暗いビルの屋上に見かけ、エレベーターで上がった。

そして、ひとり飲んでいる。
飲み食いフリーで3,000円。
安い。

料理はホテルのものだから美味い。
これをオレは、地方都市の実力と表現している。

空を見上げた。
星の見えない都会の空だ。

波の音が聞こえる。

対岸の大分の街明かりが、ほのかに見える。

飲み食いフリーといっても、ひとりじゃそうは飲めず、また食べられないものだ。

漠然と九州を想い、別府という、東京から遠く離れた街にいることを、ただただ感じていた。

いい一日だった。
ここでは気取ってもいられたよ。

関連記事

「鉄旅日記」2020年盛夏 初日(東京-防府)その5‐北河内、川西、西岩国、櫛ケ浜、防府(錦川鉄道/岩徳線/山陽本線)/錦帯橋 【コロナ禍の内緒旅VOl.2。宮島へ。錦帯橋へ。筑豊へ。島原へ。千綿駅へ。そして若松~戸畑の渡船。日本晴れの4日間の記録でございます。】

鉄旅日記2020年8月13日・・・北河内駅、川西駅、西岩国駅、櫛ケ浜駅、防府駅(錦川鉄道/岩徳線/

記事を読む

「鉄旅日記」2018年弥生 最終日(会津若松-東京)その1-会津若松、広田、野沢、徳沢、津川、五十島(磐越西線) 【青春18きっぷを握り、目指したのはまたしても会津。練馬から旅立つ最後の旅でございます。】

鉄旅日記2018年3月4日・・・会津若松駅、広田駅、野沢駅、徳沢駅、津川駅、五十島駅(磐越西線)

記事を読む

「鉄旅日記」2005年秋 最終日(小諸-東京)その1-小諸、軽井沢、横川(しなの鉄道) 【軽井沢で挙式する身内を祝うために、初めて鉄道で旅をいたしました。】

鉄旅日記2005年11月7日・・・小諸駅、軽井沢駅、横川駅(しなの鉄道) 2005・11・7 東京

記事を読む

「鉄旅日記」2017年夏 最終日(十三-東京)その2-野洲、米原、神領、定光寺、中津川、塩尻、岡谷、日野(東海道本線/中央本線)【私鉄王国で過ごす夏】

鉄旅日記2017年8月14日・・・野洲駅、米原駅、神領駅、定光寺駅、中津川駅、塩尻駅、岡谷駅、日野駅

記事を読む

「鉄旅日記」2020年如月 初日(東京-大船渡)その3‐多賀城、高城町、石巻、鹿又(仙石線/石巻線) 【東日本大震災で被害を受けた大船渡に泊まりにまいりました。山田線完全乗車も目指しておりましたが・・。】

鉄旅日記2020年2月22日・・・多賀城駅、高城町駅、石巻駅、鹿又駅(仙石線/石巻線) 12:44

記事を読む

「車旅日記」1996年秋【夏をあきらめきれず、秋。再び夏のルートへと向かったのでございます。】最終日(鳴子温泉‐米沢‐東京) 鳴子サンハイツ、鳴子温泉駅、芦沢駅、赤湯駅、米沢郊外、磐梯、猪苗代湖、新白河駅、氏家、春日部、三軒茶屋、東京町田

車旅日記1996年11月3日 1996・11・3 9:09 鳴子サンハイツ 拝啓 その後、元気です

記事を読む

「車旅日記」1996年黄金週間【友を訪ねて大阪へ。そして約束の地、金沢へ。夢を見ながら国道を走った日々でございます。】最終日 北陸より東京へ‐その2(R8→R18→R19)直江津駅、新井、豊野町、長野駅、道の駅信州新町、道の駅大岡村

車旅日記1996年5月6日 6:58 直江津駅 恋する女よ、いつの間にか日本海とさよならしていたよ

記事を読む

「車旅日記」2004年春 最終日(稚内-旭川空港)走行距離353㎞その1-稚内サンホテル、稚内公園、ノシャップ岬、サロベツ原生花園、サロベツ河畔、パンケ沼、下沼駅、幌延駅、雄信内駅 【旭川に下りて、思う存分に北の大地を走った旅の記録でございます】

車旅日記2004年5月5日・・・稚内サンホテル、稚内公園、ノシャップ岬、サロベツ原生花園、サロベツ河

記事を読む

「鉄旅日記」2021年夏 初日(東京-上田)その4 ‐長野、御代田、小諸、上田(信越本線/しなの鉄道) 【4度目の緊急事態宣言前。飯山線に乗りたくて旅を思い立ちました。湯檜曽駅で夏の第一声を聞き、信越路を歩いた記録でございます。】

鉄旅日記2021年7月10日・・・長野駅、御代田駅、小諸駅、上田駅(信越本線/しなの鉄道)

記事を読む

「鉄旅日記」2020年盛夏 3日目(肥前鹿島-門司港)その1‐肥前鹿島、肥前大浦、長里、湯江(長崎本線)/鹿島城跡 【コロナ禍の内緒旅VOl.2。宮島へ。錦帯橋へ。筑豊へ。島原へ。千綿駅へ。そして若松~戸畑の渡船。日本晴れの4日間の記録でございます。】

鉄旅日記2020年8月15日・・・肥前鹿島駅、肥前大浦駅、長里駅、湯江駅(長崎本線)/鹿島城跡

記事を読む

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

「鉄旅日記」2022年弥生vol.2 最終日(静岡-東京)その1 ‐新静岡、静岡、由比、富士、芝川(東海道本線/身延線)/駿府城址 【念願の大井川鐡道に乗る旅。帰りは身延線経由、武蔵野線全駅下車達成でございます。】

鉄旅日記2022年3月21日・・・新静岡駅、静岡駅、由比駅、富士駅、

「鉄旅日記」2022年弥生vol.2 2日目(焼津-静岡)その3 ‐尾盛、千頭、金谷、静岡(大井川鐡道井川線/大井川鐡道本線/東海道本線)/くれたけインプレミアム静岡駅前 【念願の大井川鐡道に乗る旅。帰りは身延線経由、武蔵野線全駅下車達成でございます。】

2022年3月20日・・・尾盛駅、千頭駅、金谷駅、静岡駅(大井川鐡道

「鉄旅日記」2022年弥生vol.2 2日目(焼津-静岡)その2 ‐奥大井湖上、接岨峡温泉(大井川鐡道井川線) 【念願の大井川鐡道に乗る旅。帰りは身延線経由、武蔵野線全駅下車達成でございます。】

2022年3月20日・・・奥大井湖上駅、接岨峡温泉駅(大井川鐡道井川

「鉄旅日記」2022年弥生vol.2 2日目(焼津-静岡)その1 ‐焼津、金谷、千頭、井川(東海道本線/大井川鐡道本線/大井川鐡道井川線)/焼津温泉やいづマリンパレス 【念願の大井川鐡道に乗る旅。帰りは身延線経由、武蔵野線全駅下車達成でございます。】

鉄旅日記2022年3月20日・・・焼津駅、金谷駅、千頭駅、井川駅(東

「鉄旅日記」2022年弥生vol.2 初日(東京-焼津)その4 ‐アプトいちしろ、川根小山、千頭、金谷、焼津(大井川鐡道井川線/大井川鐡道本線/東海道本線)/焼津温泉やいづマリンパレス 【念願の大井川鐡道に乗る旅。帰りは身延線経由、武蔵野線全駅下車達成でございます。】

鉄旅日記2022年3月19日・・・アプトいちしろ駅、川根小山駅、千頭

→もっと見る

    PAGE TOP ↑