「車旅日記」1996年黄金週間【友を訪ねて大阪へ。そして約束の地、金沢へ。夢を見ながら国道を走った日々でございます。】最終日 北陸より東京へ‐その3(R20)諏訪湖、韮崎、道の駅甲斐大和
鉄旅日記1996年5月6日
16:28 諏訪湖
松本市内を通過して塩尻峠を下りていく。
塩尻峠は信濃制圧戦に出た武田信玄率いる甲州勢が、山上に陣を張った信濃守護の小笠原長時軍を破るべく駆け上がった古戦場。
諏訪の盆地に下りていく道に差しかかり、眼下に諏訪湖を望む地点では目を見張る。
そこでは、かつて歓声を聞いた。
そして誘われるようにここに立ち寄った。
ここには以前、仲間と楽しく過ごすオレがいた。
家に帰ればその頃の写真が少なからず残っている。
そして今回はひとりで来た。
思えばずっと追憶のルートをたどってきた。
初めてここに寄ったのは7年前。
横には去年の夏に心を痛めて訪ねてきた友人、後部座席には二人の素敵な女性を乗せていた。
八方尾根にスキーに行った帰りだった。
二人の女性は交互にオレの横で写真に収まった。
ひとりの女性の横には控え目に少し照れたように立った。
彼女には大学卒業後に一度会って食事をしたが、その後の消息を知らない。
彼女は当時付き合っていた恋人との関係に心を痛めていて、オレに電話してきたことがある。
そして受話器のムコウで泣き出した。
そんなこともあって卒業後に会ったわけだけど、その時にはもう恋人と別れる決心を固めていて、強さのようなものを感じさせた。
数年前、彼女が暮らしていた部屋に電話を入れたら、もうそこにはいなかった。
もう一度会ってみたいけど、もう会えないだろう。
だけど彼女を思い出すようなことがあれば、その魅力的な姿を余さず覚えていることだろう。
もうひとりの年下の女性とは大胆に体を寄せて写っている。
彼女とはその後に何度か二人きりで会う機会を持ち、オレは彼女を好きになり、思いを打ち明けた。
その関係は進展することなく、おそらく彼女とももう会えないだろう。
3年前には今も続けている仲間たちとの旅行でここに立ち寄った。
当時、ブラザーと呼ぶ男と同じ女性を好きになった。
互いに意識はしたけど、友情が変わることはなく、3人で楽しくやっていたけど、やがてその優しげな三角関係にも終わりがくる。
聞くところによれば、ここで過ごした秋を過ぎて、その年のクリスマスに、ヤツは思いを打ち明けたらしい。
彼女は応じて、その事実をオレが知ったのはそれから1年後だった。
そんな過去の記憶が三度オレを湖畔に立たせた。
湖畔をとり巻く道は混雑して、かつてそこにいたいかなる時よりも多くの人々がいた。
そしてオレは初めてその場所でひとりだった。
家族に電話を入れたよ。
これから帰るって。
でも家には誰もいなかった。
だから「帰る」のはしばらくお預けだ。
恋する女よ、君より早く北陸路は抜けたけど、オレはまだこんなところにいる。
帰り着くまでは旅の途中だけど、心は帰り支度を始めている。
ただ、このまま国道を行くことに変わりはない。
君はじきに東京に着くんだろう。
素敵な旅だったことと思う。
次に会う時にはいろんな話をしよう。
今はそれだけが楽しみなんだ。
信濃路、春の訪れの中で。
いくつかの思いが去って、そこに残っていたのは旅人であるオレと、恋する女性への思いだけだった。
17:46 20号国道‐韮崎
富士山が見える。
とてもステキだ。
横には山裾を縫うように中央本線が走っている。
その線がそのまま都会の喧騒まで続いていることを知っているけど、ここでは素晴らしい旅情を身に着けている。
駅に向かう心細い道の途中で、老農夫が孫を連れて炭を焼いている。
その道をたどろうと思いはしたが、彼等の生活空間に踏み入ることをなぜか躊躇した。
そこに立ち入っていれば、あるいは故郷に似たような安らぎを得たかもしれない。
今も微かにあの風景が目に浮かぶ。
この道を以前通った時は雪に埋もれていた。
あの日はひどかった。
富士見パノラマスキー場に日帰りスキーに行き、あまりの大雪に早々に帰らざるを得ず、国道に出たら中央自動車道通行止めの表示。
そこから朝まで延々とこの道を往った。
大渋滞。
大雪の中、車列は遅々として進まない。
根拠はないが、日付が変わる頃には今よりはマシでいるだろう。
変化なし。
根拠などないが、朝になれば少しは事態は好転しているだろう。
そして変化なし。
事態は最悪の予想を遥かに上回り続け、希望が見えないこととはこんなにもツラいことなのかと、眠気と闘いながらハンドルを離さずにいた。
事態が好転し始めたのは翌日昼近く。
大月を過ぎたあたりだった。
悪夢のような一日だったが、今となれば思い出。
こうして晴れた日に通ると旅情にあふれた道であることが分かる。
ただ難点がひとつだけある。
休憩場所がないことだ。
ボチボチ疲れたよ。
18:58 20号国道‐甲斐大和(道の駅)
多少の滞りはあったけど、スムースと言っていい流れで勝沼まで着いた。
最近親父はワインを好んでいる。
だから彼のために甲州ワインを買って帰りたかった。
見つけたのは家族経営の農園。
奥さんに相談する。
つまり、どれがいいか。
彼女の意見は貴重だった。
手にしたのは白ワイン。
旅の素晴らしさを実感できる時だった。
車線がひとつ減り、前後の車はまばらになってきた。
大型ダンプの後ろについた。
ヤツは明らかに整備不良で、うんざりするほどの黒く濁った排気ガスを吐きかけやがる。
そしてオレの前をどこうとしない。
しかしやがてその機会がやってきた。
トンネルの手前に道の駅があった。
やっぱり今夜も晴れたよ。
まだ月は顔を見せていないけど、そのうちオレに会いに来るだろう。
さて、整備不良のトラックも行っちまったし、あとはオレも帰るだけだよ。
今、両親にも電話を入れたんだ。
「これから帰る」ってさ。
甲斐路、一番星輝く中で。
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