「鉄旅日記」2017年夏【私鉄王国で過ごす夏】最終日(十三-東京)その1-十三、大阪梅田、大阪、東淀川、茨木、島本、桜井の繹跡、桂川、京都(阪急電鉄宝塚本線/東海道本線)
鉄旅日記2017年8月14日・・・十三駅、大阪梅田駅、大阪駅、東淀川駅、茨木駅、島本駅/桜井の繹跡、桂川駅、京都駅(阪急電鉄宝塚本線/東海道本線)
6:50 十三(じゅうそう)駅(阪急電鉄神戸本線/阪急電鉄宝塚本線/阪急電鉄京都本線 大阪府)
アーケード街が縦横に伸びる十三。
昨夜の人出も凄かった。
東口の商圏は広くない。
でも優に街一個分の繁華街を形成している。
西口はさらにすさまじい。
あの小便小僧の後ろ姿はなんなのだ。
あれを街のシンボル的に扱っているところに、大阪のユーモアがある。
高架通り脇の薄暗い一帯にクラブが集まったビルがある。
そこだけ人の姿がなく、ヤバそうなまでに暗い。
もちろん用があるわけでもなく、引き返す。
大阪名物「じゃんぼ総本店」のお好み焼きが、あんなにも美味いとは。
ホテルでfacebooK、LINE。
そのまま眠ってしまった。
オレの日常も変わった。
真夏にしては涼しい日々。
明けた今日も、それは変わらない。
車窓から眺める淀川
7:05 大阪梅田(おおさかうめだ)駅(阪急電鉄神戸本線/阪急電鉄宝塚本線/阪急電鉄京都本線 大阪府)
車窓から淀川を写す。
梅田駅の自動改札には目を見張る。
横一列におそらく50以上並んでいる。
空港を思わせる長大な空間は、阪急らしくエレガントで、それは改札を出て阪急ビルを出るまで続く。
かつて、阪急百貨店に勤めながら、夜は京都祇園で働く女性と会った。
京都で働いてみたかったと、タフな日常を送る彼女は笑った。
たった一度だけ会った、たったひとりだけ知っている大阪出身の女性。
源氏名は確かミチルさんといった。
本名は知らない。
一昨日までは縁がないと思っていた阪急にも、そんな縁があったことを思い出した。
大阪(おおさか)駅(東海道新幹線/東海道本線/福知山線 大阪府)にて
7:25 東淀川(ひがしよどがわ)駅(東海道本線 大阪府)
大阪梅田駅から通りを渡れば、大阪駅。
いよいよ私鉄王国関西を離れなければならない。
もっと大阪に触れたくて、新大阪の次の東淀川で降りる。
東西口に別々の駅舎を構える広大な敷地。
線路はいくつ敷かれているだろう。
踏切がなかなか開かず、若干の焦りを覚える。
ここに大阪商店街文化はなく、どことなく侘しさを感じるグレーのビル。
角の「じゃんぼ総本店」が開くのは昼前だ。
7:48 茨木(いばらき)駅(東海道本線 大阪府)
駅は改装中。
スカイパレットのみ、先に完成を見ていた。
反対側の出口に人の流れが集まる。
右にある大きな集合住宅が目を引く。
見渡したところ、高架橋を下りてみようと思わせるものはない。
場所を変えて2度見渡す。
足を痛めている。
改札に戻った。
次の列車が発車して、バス通りを越える。
通りの両側にグレーのアーケードが見えた。
町はそこにあった。
茨木駅前風景
8:14 島本(しまもと)駅(東海道本線 大阪府)
列車は街を離れて、車窓に水田を見る。
島本で降りようと決め、改札を抜けて壁に貼られた歴史案内を見ると、なんと駅脇に楠公親子別れの「桜井の繹跡」がある。
昨日の湊川神社のこともあり、こんな偶然もあるものかと喜んだ。
楠木正成、正行親子の今生の別れなどイメージできようはずがなく、感動するよりも心情的にはツラい。
この別れの後、父楠木正成は、勝てぬ戦をするために神戸に向かい、
息子楠木正行も、数年後に同じく勝てぬ戦をするために河内四条畷で敵を待つ。
所詮は長生きできる身にあらずと、早くから決していた楠木正行。
何度書に目を通しても、そのたびに彼の心情に打たれる。
史跡公園である「桜井の繹跡」は、そこを日常とする人々の笑い声に満ちていた。
水田側に下りると、農道発展型のような道が山崎天王山に向かって続いていた。
桜井の繹跡
8:30 桂川(かつらがわ)駅(東海道本線 京都府)
オレが所持している古い時刻表に、この駅は載っていない。
2008年の開業とある。
新しい駅だ。
駅前は軍事施設とイオンモールが両翼を占め、中央を通りが地下を貫いている。
羽田あたりを見るような既視感を持つ。
エスカレーターでは、追い越し用に右側を空ける東京とは逆の関西仕様に慣れた頃だが、これでまたしばらくのお別れ。
列車は京都に着く。
桂川駅前風景
8:58 京都(きょうと)駅(東海道新幹線/東海道本線/山陰本線/奈良線/湖西線/近鉄京都線 京都府)
かつてあれほど焦がれ、通った京都。
最近じゃスルーしている。
今回もそのつもりだったが、まずはきざみうどん350円。
関西ではこれに限る。
ネギとあげさんを刻んだものが乗ってる。
天かすは盛り放題。
素晴らしい。
米原方面への新快速が思うように来ない。
仕方なくということもないが、改札を出る。
そうしたら、一気に京都時代が蘇った。
京都タワーホテル、当時から古かったが、随分古ぼけたものだ。
ただ一度、二人で幸せな朝を迎え、ひとりの時は地下の銭湯にいった。
あの中央改札を挟んで、軽く口づけを交わしたのは祇園祭の宵山。
それらの記憶も手元に置いていたつもりが、いつの間にか奥にいっていた。
無常そして無情は、オレにも当てはまる。
海外からの観光客が朝から多く行き交う京都。
東京も真っ青の人波だ。
もしオレに外国人の友人がいたら、オレも京都に行くことを勧めるよ。
関連記事
-
-
「鉄旅日記」2020年睦月 2日目(湯沢-鷹ノ巣)その4‐五所川原、川部、弘前、大館、鷹ノ巣(五能線/奥羽本線) 【秋田内陸縦貫鉄道に乗りにいきました。五能線の名所も歩いた旅初めでございます。】2日目(湯沢-鷹ノ巣)
鉄旅日記2020年1月12日・・・五所川原駅、川部駅、弘前駅、大館駅、鷹ノ巣駅(五能線/奥羽本線)
-
-
「鉄旅日記」2014年夏【青春18きっぷで、中国ぶらぶら旅】3日目(鳥取-米子)その2-電鉄出雲市、川跡、旧大社駅、出雲大社前、雲州平田、松江しんじ湖温泉、松江、乃木、東松江、玉造温泉、揖屋、荒島、米子(一畑電車北松江線/一畑電車大社線/山陰本線)
鉄旅日記2014年8月15日その2・・・電鉄出雲市駅、川跡駅、旧大社駅、出雲大社前駅、雲州平田駅、松
-
-
「空旅日記」1997年弥生【若き日に高知に出張に行った記録が残っておりました。】-羽田空港内カフェテリア、市電グランド通り駅前オリエントホテル
空旅日記1997年3月11日 1997・3・11 羽田空港内カフェテリア 17:00を待っている。
-
-
「鉄旅日記」2020年文月 3日目(萩-三次)その5‐備後落合、備後庄原、三次(芸備線)【コロナ禍でございます。内緒の旅でございました。余部鉄橋へ。萩へ。霧の街へ。東京五輪延期で浮いた4連休の記録でございます。】
鉄旅日記2020年7月25日・・・備後落合駅、備後庄原駅、三次駅(芸備線) 17:10 備
-
-
「鉄旅日記」2019年霜月 初日(東京-五所川原)その3‐小牛田、一ノ関、盛岡、八戸、野辺地(東北本線/IGRいわて銀河鉄道/青い森鉄道) 【津軽鉄道、弘南鉄道に乗りにいきました。羽州街道を歩いた晩秋の旅でございます。】
鉄旅日記2019年11月2日・・・小牛田駅、一ノ関駅、盛岡駅、八戸駅、野辺地駅(東北本線/IGRいわ
-
-
「鉄旅日記」2021年春 最終日(米内沢-東京)その1 ‐米内沢、鷹巣、鷹ノ巣、早口、秋田(秋田内陸縦貫鉄道/奥羽本線) 【大人の休日倶楽部パスで東北へ。新幹線、在来線特急乗り放題でございます。続くコロナ禍ではございますが、約半年の辛抱の時を過ぎて、天候にも苛まれながら秋田内陸縦貫鉄道に乗りに行きました。】
鉄旅日記2021年4月18日・・・米内沢駅、鷹ノ巣駅、早口駅、秋田駅(秋田内陸縦貫鉄道/奥羽本線)
-
-
「鉄旅日記」2020年弥生 2日目(高山-速星)その1‐高山、打保、猪谷、富山、電鉄富山(高山本線) 【富山地方鉄道に乗りにまいりました。太多線、高山本線に乗るのも楽しみにしていたのでございます。】
鉄旅日記2020年3月21日・・・高山駅、打保駅、猪谷駅、富山駅、電鉄富山駅(高山本線) 2020
-
-
「車旅日記」1997年梅雨明け【疲れきっていた若き日々。またしても向かうのは北でございました。】(東京-鳴子温泉-東京)2日目~最終日-いわき久ノ浜パーキング、亘理、名取、松山町、鳴子サンハイツ、町田
車旅日記1997年7月20日 7:03 6号国道‐いわき久ノ浜パーキング 太陽光線で目が覚める。
-
-
「鉄旅日記」2019年師走 初日(東京-酒田)その2‐新前橋、水上、長岡(上越線) 【由利高原鉄道鳥海山ろく線に乗りにいきました。初冬の日本海は荒々しく、美しゅうございました。】
鉄旅日記2019年12月7日・・・新前橋駅、水上駅、長岡駅(上越線) 7:24 新前橋(しんまえば
-
-
「車旅日記」1998年夏 最終日(志賀高原湯田中-中込-東京)-湯田中、菅平湖、中込ローソン、竜王駅、道の駅甲斐大和、藤野駅、東京町田【伊那、木曽から志賀高原へ。気乗りのしない旅で選んだ行き先は、初夏の信濃路でございました。】
車旅日記1998年7月20日 1998・7・20 7:25 湯田中‐某クラブ志賀高原 486㎞ こ