*

「車旅日記」2004年春 初日(東京-旭川-紋別)走行距離339㎞-深川駅、留萌駅、おひら鰊番屋、士別駅、にしおこっぺ花夢、紋別セントラルホテル 【旭川に下りて、思う存分に北の大地を走った旅の記録でございます】

公開日: : 最終更新日:2025/05/26 旅話, 旅話 2004年

車旅日記2004年5月1日・・・深川駅、留萌駅、おひら鰊番屋、士別駅、にしおこっぺ花夢、紋別セントラルホテル

2004・5・1 14:10 深川駅(旭川空港より48km)
広大な大地に再び下り立った。

雪景色の大雪山系は美しかった。

旭川空港を出て寒木の並木道を走ると石狩川に再会。
去年の夏に札幌から旭川へと向かった12号国道に出る。

旅情に満たされ、やがて北空知のターミナル駅、深川へ。

街に入った時は鈍色だった空が、駅に近づく頃に日差しを寄越すと街の印象が一変する。

駅舎から出てくると雪を被った山が出迎える。

この街を懐かしく思う者には、あれ以上の出迎えもないだろう。

街には地方都市を蝕む症状がいくつか見られる。
新しくなる様子はなく、駅から少し離れた場所にある昔ながらのレンガ色の百貨店に覇気はなく、老人のように細々と見え、街路を歩く人の姿はまばらだ。

黄金週間を迎えた盛り上がりもなく、桜の開花にはまだ数日を要する。

でもきっと、あの山から雪が消える頃、この街に一番素晴らしい季節がやってくる。

15:21 留萌駅(旭川空港より98km)
まるで開拓途中の街みたいだ。

乾いた街に人の姿はなく、札幌に向かうホームにも逆方面にも待ち人はいない。

駅への表示は途中から消え、勘を頼りにようやくここに辿り着いた。

静かな駅前ではタクシー運転手の話し声しか聞こえてこない。

日は差し、この街の青空は少し濁っている。
その色は東京とさして変わらない。

夕陽の街を謳う留萌。

海の気配は感じるが、まだ日本海を目にしていない。

風が少しだけ強く吹いて、男の乾いた笑い声が聞こえてくる。

この街より先、日本海を北へと上がる鉄道はない。
この寂しい街より先には鉄道ではいけないんだ。

留萌は、そんな街だったよ。

16:00 232号国道 道の駅おひら鰊番屋(旭川空港より132km)
日本海と北の大地で再会。

夕暮れを近くして、日の光を浴びた海面が黄金色に輝いている。

すでに留萌駅での記憶はおぼろで、駅の煙草の自販機に飾られている「ピーススーパーライト」のパッケージが一昔前の物だったことを覚えている。

駅を出て留萌川沿いに進むと海に出る。
濁っていた海の色はここでも変わらない。

浜に下りると磯の香りにむせ返り、すぐに車の中に避難した。

そして、こうして眺める海が美しい。

留萌、小平。
さして広くもない浜辺で、釣糸を目一杯遠くまで放り投げた人々が一列に並んでいる。

そんな光景を眺めているうちに花田家の旧番屋跡に着いた。

鰊御殿の舞台はここじゃなさそうだが、日本海の海岸にはこんな御殿がいくつもあったのだろう。

文化財に指定された番屋の脇には鰊蔵も保存されている。

海岸線を見渡せば巨大な風力発電塔が3、4機に空を飛ぶ者たちの姿もある。

北の大地に下りて4時間。

じきに日本海にお別れを。

オホーツク海へと進路を変える。

17:35 士別駅(旭川空港より219km)
232号国道で海を見て、雪を散らした連山が右手に見え出したら239号国道の表示。
そこを右に曲がるんだ。

おびただしい数の風力発電塔を右に見ながらしばらく走ると、深雪に覆われた林道になる。

小さな濁流が蛇行し、道は果てしない。

すれ違う車は稀で、時はただ静かに過ぎて、着実にオホーツクの街に近づいていく。

散発的に人の暮らしを見かけるが、町や村はなく、絶えることなく雪に覆われていた239号国道。

途中雪原が広がっていた。

車を止めて走り回りたかったけど、先に停車している車がいて見合わせた。
本当に車を止めたい場所にはなかなか止められないものだ。

途方もなく広大な大地に放牧地と思われる丘。

丘のムコウは空。
あの丘に上がれば、地球すら見渡せそうな気になる。

凍てついた大地が起こす風は冷たく、さすがのオレもこの街に着いてから厚手のシャツを羽織った。

川縁には雪の墓場が設けられている。

夕陽に照らされた士別駅に客の姿はなく、鉄道員の姿も見えない。

売店の初老の売り子さんがひょっこり現れ、所在無げなタクシー運転手が彼女に声をかける。

他に人の気配はなく、雀のさえずりと40号国道を走り抜ける車の音が聞こえる。

北の寂れた街に今オレはいる。

辿り着いた街はたいていこんなだけれど、オレにはこっちの方がいい。

ここまでの旅路は素晴らしかった。

オレが北の大地に下りた目的はすでに果たせたような気分でいる。

18:51 239号国道 道の駅にしおこっぺ花夢(旭川空港283km)
まだ明るさを残す空に、昼間微かに見えた月が輝いている。

満月じゃないが、いい月だ。

外に出て冷気を浴びると自然と体が伸びてくる。

肥料の臭いがあたりに漂っているが大地は広く、いつもオレが生活している地域に比べれば色々な意味でマシだ。

このあたりはまだ雪深く、ここに車を止めた人々は厚手の服で外に出てきて、息で手を暖めている。

まだ春と呼ぶには早いが、それでも冬の猛威が去ってからしばらく経つことが窺える。

北の初春はなかなか夜の訪れを認めたがらなかったが、バックミラー越しに見えた夕陽が山の端に沈みつつある。

そしてオホーツク海が近づいてきた。

239号国道は北海道の要素があふれて素晴らしく、歌にしたいくらいだ。

22:42 紋別セントラルホテル322号(旭川空港より339km)
第一夜。

オホーツクの街、紋別。
正直なところもう少し繁華な街を想像していた。

ホテルマンの話じゃ、昔は鉄道が通っていたという。

現在の地図だけを見れば、親父が若い頃に稚内へ向かった鉄道とは、旭川から出る宗谷本線だと断定せざるを得なかったが、その話を聞いて考え直すことにした。

かつて稚内からオホーツク海沿いを走る鉄道が存在したのかもしれない。

この想像は夢の話をするのに近い。
オレには何よりもロマンのある話だ。

ホテルは専用駐車場を埋めるほどの客を集めているが、街を歩く人の姿を見ない。

昔ながらの商店街はスナック街で、港で働く男たちの街であることが分かる。
観光客や少人数の旅行者には居づらい街かもしれない。

かつて駅があったと聞いた場所は、現在バスターミナルになっている。
言われてみれば駅前の造りだ。

ほど近いレストランで夕食。

この街の単価は案外高い。
特に食べたい物が見つからず、ビール2本にポテトフライにサラダ。
それだけ。

寅さん鞄を提げた男がひとり、この街で一番上品な店にやってきて粗食にビールを飲んで帰る。
この廃れた北の街におかしな客が来たものだ。

東京からやってきて、紋別自慢の海産物を口にせずに街を出ていった客はおそらく稀だろう。
オレもたいした金を持ち合わせているわけじゃないが、貧乏旅行者や魚嫌いの者を除けば、あるいは初めてのケースだったかもしれない。

店を出ると通りを歩く者は土地の若者集団しか見当たらず、それ以外に街に出た者はさっきのスナック街で歌でも歌っているんだろう。

日暮れの訪れが一日の終わりを意味する健全な街と言っていい。

ホテルの湯に浸かり、長い間の疲れを落とした。
いい気分だ。
ビールも煙草も美味い。

この旅で、どこか気に入った街で長く時間をとりたいと思うが、地図で見る限り去年の夏より走行距離は短くなりそうだ。

明日の釧路もオレにとっちゃたいして遠い街じゃない。
だから釧路で長い夜を過ごすのもいい。
さっきのレストランじゃ叶わなかったけど、釧路なら生ビールが飲めるだろう。

朝がきて気が向いたら港に出てみよう。

オホーツク海との再会は闇の中だった。

海の気配を感じて、窓を少しだけ開けて、波の音と「SMAPベスト」を聞きながら、オレはこの街にやってきた。

関連記事

「車旅日記」1998年夏 3日目(秋田-北上ー遠野)-道の駅西目、道の駅東由利、ほっとゆだ駅、北上駅、遠野徳田屋旅館 【20代最後の旅でございます。青森港から北海道上陸を目指して北へ向かったのでございますが・・・。】

車旅日記1998年8月14日 1998・8・14 7:17 7号国道‐西目(道の駅) 自由な日々、

記事を読む

「鉄旅日記」2011年夏【みちのくひとり旅】4日目(鹿角花輪-花巻)-鹿角花輪、荒屋新町、盛岡、北上、和賀仙人、横手、大曲、角館、田沢湖、雫石、小岩井、花巻空港、新花巻、花巻(花輪線/東北本線/北上線/田沢湖線/釜石線)

鉄旅日記2011年8月16日・・・鹿角花輪駅、荒屋新町駅、盛岡駅、北上駅、和賀仙人駅、横手駅、大曲駅

記事を読む

「鉄旅日記」2007年新春 最終日(金沢-東京)-金沢城址、金沢、倶利伽羅、黒部、直江津、長野、東京(北陸本線/信越本線/長野新幹線) 【本格的に鉄旅が始まりまして、まずは冬の北陸を目指したのでございます。】

鉄旅日記2007年1月8日・・・金沢駅、倶利伽羅駅、黒部駅、直江津駅、長野駅、東京駅(北陸本線/信越

記事を読む

「車旅日記」2006年皐月 4日目(大曲-青森)その2-弘前駅、道の駅つるた、毘沙門駅、津軽中里駅、三厩駅、中小国駅、駅前ホテルニュー青森館 【東京から出かける最後の車旅。関東、東北を2,265㎞走った記録でございます。】

車旅日記2006年5月5日・・・弘前駅、道の駅つるた、毘沙門駅、津軽中里駅、三厩駅、中小国駅、駅前ホ

記事を読む

「鉄旅日記」2019年長月 最終日(宮古-東京)その2‐陸前赤崎、大船渡、気仙沼、一ノ関(三陸鉄道リアス線/大船渡線) 【三陸鉄道、八戸線に乗りにいきました。区界、吉里吉里など、駅旅の者として見過ごせない駅にも寄りましてございます。】

鉄旅日記2019年9月23日・・・陸前赤崎駅、大船渡駅、気仙沼駅、一ノ関駅(三陸鉄道リアス線/大船渡

記事を読む

「鉄旅日記」2021年秋 最終日(飯坂温泉-東京)その1 ‐飯坂温泉駅、福島駅(福島交通飯坂線/奥羽本線) 【4度目の緊急事態宣言明け。これ以降そのようなものが発令されることはございませんでした。阿武隈急行、峠駅、立石寺。お宿は飯坂温泉。秋の東北を満喫すべく常磐線に乗りました。】

鉄旅日記2021年10月10日・・・飯坂温泉駅、福島駅(福島交通飯坂線/奥羽本線) 2021

記事を読む

「鉄旅日記」2020年如月 初日(東京-大船渡)その4‐前谷地、志津川、南気仙沼、気仙沼(気仙沼線)/南三陸さんさん商店街 【東日本大震災で被害を受けた大船渡に泊まりにまいりました。山田線完全乗車も目指しておりましたが・・。】

鉄旅日記2020年2月22日・・・前谷地駅、志津川駅、南気仙沼駅、気仙沼駅(気仙沼線)/南三陸さんさ

記事を読む

「車旅日記」1997年夏 最終日(鳴子-米沢-東京)-鳴子サンハイツ、瀬見駅、羽前中山駅、萬世大路記念碑公園、栗子トンネル、松川駅、里白石駅、常陸大子駅、我孫子、東京町田【男鹿半島を目指した夏。友と過ごし、旧友と再会したみちのく旅でございます。】

車旅日記1997年8月16日 1997・8・16 8:18 鳴子サンハイツ 拝啓 残暑お見舞い申し

記事を読む

「鉄旅日記」2020年盛夏 3日目(肥前鹿島-門司港)その5‐肥前山口、久保田、西唐津、博多、門司港(佐世保線/唐津線/筑肥線/福岡市地下鉄空港線/鹿児島本線) 【コロナ禍の内緒旅VOl.2。宮島へ。錦帯橋へ。筑豊へ。島原へ。千綿駅へ。そして若松~戸畑の渡船。日本晴れの4日間の記録でございます。】

鉄旅日記2020年8月15日・・・肥前山口駅、久保田駅、西唐津駅、博多駅、門司港駅(佐世保線/唐津

記事を読む

「鉄旅日記」2019年霜月 2日目(五所川原-北上)その3‐黒石、弘前、津軽新城、青森(弘南鉄道弘南線/奥羽本線) 【津軽鉄道、弘南鉄道に乗りにいきました。羽州街道を歩いた晩秋の旅でございます。】

鉄旅日記2019年11月3日・・・黒石駅、弘前駅、津軽新城駅、青森駅(弘南鉄道弘南線/奥羽本線)

記事を読む

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

「鉄旅日記」2022年新春 2日目(湯瀬温泉-三沢)その2 ‐東大館、大館、弘前(花輪線/奥羽本線) 【巨大な土偶が貼りつく木造駅を見たくて冬の東北を旅しました。】

鉄旅日記2022年1月9日・・・東大館駅、大館駅、弘前駅(花輪線/奥

「鉄旅日記」2022年新春 2日目(湯瀬温泉-三沢)その1 ‐湯瀬温泉、鹿角花輪、十和田南(花輪線)/和心の宿姫の湯 【巨大な土偶が貼りつく木造駅を見たくて冬の東北を旅しました。】

鉄旅日記2022年1月9日・・・湯瀬温泉駅、鹿角花輪駅、十和田南駅(

「鉄旅日記」2022年新春 初日(東京-湯瀬温泉)その3 ‐盛岡、渋民、八幡平、湯瀬温泉(IGRいわて銀河鉄道/花輪線) 【巨大な土偶が貼りつく木造駅を見たくて冬の東北を旅しました。】

鉄旅日記2022年1月8日 盛岡駅、渋民駅、八幡平駅、湯瀬温泉駅(I

「鉄旅日記」2022年新春 初日(東京-湯瀬温泉)その2 ‐竜田、原ノ町、鹿島、仙台、小牛田、一ノ関(常磐線/東北本線) 【巨大な土偶が貼りつく木造駅を見たくて冬の東北を旅しました。】

鉄旅日記2022年1月8日・・・竜田駅、原ノ町駅、鹿島駅、仙台駅、小

「鉄旅日記」2022年新春 初日(東京-湯瀬温泉)その1 ‐松戸、神立、友部、水戸、いわき(常磐線) 【巨大な土偶が貼りつく木造駅を見たくて冬の東北を旅しました。】

鉄旅日記2022年1月8日・・・松戸駅、神立駅、友部駅、水戸駅、いわ

→もっと見る

    PAGE TOP ↑