「鉄旅日記」2016年春【東日本大震災被災地へ】最終日(水沢-東京)その1-水沢、花巻、遠野、陸中大橋、小佐野、釜石、恋し浜、盛(東北本線、釜石線、三陸鉄道南リアス線)
鉄旅日記2016年3月6日その1
2016・3・6 6:03 水沢(みずさわ)駅(東北本線 岩手県)
水沢が生んだ偉人後藤新平、高野長英。
街を代々治めていたのは伊達の一門にも連なった留守家だという。
岩手県も伊達氏ゆかりの地だったとは知らなかった。
大手通を歩く。
レトロな灯に点されて江戸の文化が浮かび上がる。
駅から文化地区に向けて大通りが延び、メイプルまでは両側ともアーケードが続き、平行して歓楽街が同じように長く延びている。
街の大きさに驚き、文化の街角でふいに幸せな情景を浮かべて微笑んだ。
霧雨の中、幸せな朝が訪れていた。
水沢の街並み
6:44 花巻(はなまき)駅(東北本線/釜石線 岩手県)
霧雨は体に感じるほどになってきた。
一帯から雪は消えつつある。
再び通る2週間後には、もうどこにも残っていないだろう。
ここ花巻にしかない特徴的な三角形の駅は5年前と変わらず清潔そうで、薄暗い待合室にひとり待つ和装のご婦人のシルエットが美しく、「駅そば」はまだ営業をはじめていなかった。
8:02 遠野(とおの)駅(釜石線 岩手県)
この街に初めて来たのはもう20年も前のことだ。
その時は友人たちと。
楽しい旅行だった。
次はひとりで。
駅前広場のビヤガーデンで、やがて出会う恋人を想い、気持よくジョッキを重ねた。
BGMはサザンだったな。
駅はたぶん変わっていないのだろう。
線路沿いのスナック街には初めて足を踏み入れた。
あの小路の名前を示す電飾看板は枠を残すのみとなっていて、カラスの鳴き声が似合う退廃的ムードを醸していた。
駅前通りはやがてドンツキになって、右に行けばかつてひとりで泊まった旅館がある筈だ。
とてもレトロな雰囲気が漂う民話と鉄道の街だ。
釜石線各駅には「宮沢賢治語」の副名がついている。
こんな山の中にいて、たいした想像力だと真から思う。
ただ「銀河鉄道の夜」をはじめ、彼の作品はオレにはかなり難解だった。
今朝通り過ぎてきた沿線の町を想う。
白鳥池がある小山田。
盆地の土沢は結構大きな町だった。
景色がだいぶ白くなった。
深くはないが雪が残っている。
遠野駅前風景
車窓風景
8:43 陸中大橋(りくちゅうおおはし)駅(釜石線 岩手県)
下界を見下ろす高所を走っていた。
その下界にはオレの地図にはない線路が敷かれていた。
釜石の鉱山専用線かと思ったていたら、それはこれから通って行く線路だった。
この駅を中心にして大きく鋭角的なループを描いている。
客の疎らな赤字路線だが、あんな場所に線路を敷いていった先人の苦労を想えば、鉄道文化を継承していく意味はとても深い。
さっき通ってきた線路が赤い鉄橋と共に現れ、また消えた。
不思議なものを見ている気になる。
駅に着く頃にはほとんど雪は消えていた。
ここで数分の停車。
いま薄日が差して、里に春が近いことを予感させている。
9:05 小佐野(こさの)駅(釜石線 岩手県)
この駅は宮沢賢治語で「緑の風」。
釜石が近い。
雪はなく、ここには駅員の姿がある。
街は「21世紀枠」での「センバツ」出場を果たした釜石高校の健闘を願っている。
野球場には仮設住宅が並んでいた。
9:16 釜石(かまいし)駅(釜石線/山田線/三陸鉄道南リアス線 岩手県)
駅前の新日鉄の工場から盛大に煙が上がっている。
ラグビーW杯では、この鉄の街に世界がやってくる。
駅は新しくなっていて、三陸線はイオンタウンと謳っている。
震災の半年後に釜石への旅を思い立ってあるホテルに電話を入れたんだ。
受話器からはこんな声が聞こえてきた。
街の半分は津波でやられてしまった。
繁華街の方だ。
たぶんそっちはもうダメだろう。
あれから5年。
電話口のムコウにいた男性の悲観論が外れていることを願っている。
発車した。
運河の先に街が見えた。
碁盤の目のように区画されたきれいな街が見えた。
あの巨大なイオンが釜石に何をもたらすのか知らないが、外からの資本がたぶん必要だろう。
オレは期待している。
ガンバレ、釜石!
車窓風景
9:52 恋し浜(こいしはま)駅(三陸鉄道南リアス線 岩手県)
「小石の浜」が恋の駅になった。
駅の見学を許すために3分停車するという。
こんな理由による停車行為は初めてだ。
高台にある駅だが、見える風景は美しいものではない。
貝殻の願文が待合室を埋め、スロープの両側をも飾っている。
三陸は小雨。
ここらでは、いつも降られているような気になる。
10:34 盛(さかり)駅(大船渡線/三陸鉄道南リアス線 岩手県)
駅を濡らす雨は止まず、特に歩いていく先も見つからず、たんたんと時間が流れていく。
BRTがやってきて乗り込み、大船渡の中心部へと進んでいく。
沿岸に巨大な堤防が築かれつつあり、広大な更地となった街中にシャベルカーが点々としている。
大船渡をさらっていく破壊的な津波の映像には言葉を失った。
骨組みだけになったカラオケ屋が残されていた。
文字通り何にもなくなった。
根こそぎ持っていかれてしまった。
かつて寄ったことのある大船渡駅は、ただのバス停のようになってしまった。
あの日、水に沈んだ街をいま走っている。
茫々。
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