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「鉄旅日記」2016年春【東日本大震災被災地へ】初日(東京-水沢)その2-前谷地、柳津、気仙沼、一ノ関、水沢(石巻線、気仙沼線、大船渡線、東北本線)

公開日: : 旅話 * 結婚後2016年

冒険家志望のあなたへ【1話】

 

鉄旅日記2016年3月5日その2
15:55 前谷地(まえやち)駅(石巻線/気仙沼線 宮城県)
すぐに尽きてしまうが、駅前商店街があってケータイを向ける。ごくこじんまりとしているが、田舎のターミナル駅としての格を、駅も駅前もしっかり持っていた。
宮脇俊三さんの国鉄全線完乗の悲願はここからの気仙沼線乗車によって達成された。その鉄路はあの震災で寸断されて、もう元の姿に戻ることはないことがJR東日本によって発表されている。

仙北平野を往く。
遠く山頂に光っているのは観音様か。鉄路は長屋門を備えた豪農通りと平行したりしながら、春間近い冬枯れの田野を見つめ続けている。

16:28 柳津(やないづ)駅(気仙沼線 宮城県)
ここ津山という町で鉄路は尽きて、接続するBRTなる乗り物の到着を寒空の下で待っている。
北上川の雄大な流れが鉄路の置き土産となった。ここに吹いているのは冬枯れを招いた風だ。

伊達政宗の手によって健気なる最期を遂げた弟、小次郎の墓がこの町にある。
兄の政宗が母親からの愛情を受けることが薄かったために、その悲劇は起きている。

やってきたBRTは一見したところただのバスだ。

18:23 BRT内、南気仙沼周辺
ところどころ専用レーンを走り快調に専用駅を辿ってきたが、気仙沼市内に至り渋滞に巻き込まれている。そして街の明かりに仰天している。細かなところはさておき、夜に隠れた気仙沼市内は光に満ちていて、5年前を思わせる闇は少なくとも解消されていた。

志津川、清水浜、歌津と津波に徹底的にさらわれた地域の橋は落ち、有名となった鉄骨剥き出しの防災対策庁舎跡は更地を嵩上げする工事の只中にポツネンと居心地悪く存在し続け、凝視していたら泣けてきた。
あの光景はオレには毒だったよ。

19:05 気仙沼(けせんぬま)駅(大船渡線/気仙沼線 宮城県)
パールシティホテルが聳える駅前に変化はなく、港へと下りていく道には旅館、酒屋など古い店舗が並んでいる。ここは高台だ。津波からは無事だったのだろう。

繁華街でもある南気仙沼はさらわれ、街の明かりは戻っていたが、BRT専用レーンは市内にはまだ引かれておらず渋滞に巻き込まれた。街はまだ混乱している。
今日わずかな区域だけど歩くことができて気仙沼がより身近になった。まだ20代の頃に両親との思い出も持つ街だが、気仙沼は広い街だ。正確な土地勘は掴めないまま今回もまた去る。
真夜中に気仙沼から女川まで、45号国道を喘ぐように走ったこともあったな。

BRTはそこそこ気に入っている。明日は盛からここ気仙沼までの区間を乗る計画でいる。

待合室に置かれたテレビに震災復興についての番組が流れている。駅内のキヨスクにビールを2度買いにいく。2度目にはレジの女性と軽く笑いあった。
少しだけ、ほんの少しだけ、この土地にいて不謹慎にも思うが、気持よく酔った。

21:11 一ノ関(いちのせき)駅(東北新幹線/東北本線/大船渡線 岩手県)
一ノ関には5年振りになるが、懐かしさを感じることもなく駅前に広がる明かりに納得して改札を出て便所に向かい、すぐに戻った。
5年とはそういう歳月か。
あれから様々なことがあり現在は最大の幸福を味わっているが、オレと一ノ関、はては東北の各街との距離はこれほどまでに近かったのかと、東北の各街が発する愛情はこれほどまでに深かったのかと感動している。

郡山から始まった東北地方との縁。そうか。もう25年近くなるのか。
あの頃のオレにとって一番遠い街は郡山で、そんなオレがこうして日本各地に散らばっていくなんて想像もできなかった。
でも郡山から先へ行ってみたいとは、新幹線で郡山駅に降りる度に思っていたような気がするよ。

水沢駅前風景

22:39 きくすい荘5番
水沢に降りている。
以前車窓から眺めて、ここに大きな街があると意識した水沢。今夜ここに泊まる。
岡山の和気、笠岡。そんな街がいくつかある。実際に降りてみたけど、こうして一晩滞在するケースは稀だ。

ここ水沢に馴染みのものはひとつもない。ただひとつ、政界の重要人物であり続けている小沢一郎代議士のお膝元であることを知るのみ。でもそんな彼が、今何という名称の政党を率いているのか世間の関心から外れて久しい。
新幹線が止まる街だが、さっき降りた水沢駅ではなく、北上川を越えた先の水沢江刺駅に止まる。これだけの繁華街がここにある。だからそっちに目立つものはないだろう。バスの運行などで接続に対して利便性を図ってはいるだろうが、この街が知名度で劣る原因のひとつと考えられる。

水沢の繁華街の規模は今日3度目の仰天を強いた。一関、北上、花巻などよりよほど街の規模が大きい。この街に注目することなく過ぎてきたこれまでの旅人生に嗚呼と目を瞑る。

今回の旅で何を残せるか。まずはひとつの言葉を。
人は逞しい。
津波の跡を見てきた感慨だ。もうひとつ。
人は老いる。
当り前の話だが、人間(じんかん)に紛れて浮かんだのはそんなワードだった。
三島由紀夫や尾崎豊が解決を目指さずに死を選んだ動機に踏み込もうとしている。

ともあれ水沢をもっと賛美したい。でも言葉が浮かんでこない。明日は少し街を歩いてからここを離れよう。
街には雪が残っている。宿の扉を開けたら小学生の女の子が宿番をしていた。
古い旅館でこれを書いている。知らない街への憧れがここ水沢で呼び覚まされている。
こんな街がまだ日本に残っているのなら、その時はまたひとりで出かけていくことになるだろう。

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