「鉄旅日記」2013年春【爆弾低気圧襲来日、青春18きっぷで西へ】最終日(和歌山-東京)その1-打田、妙寺、高野口、橋本、五条、吉野口、法隆寺、平城山、木津、京田辺、四條畷、住道(和歌山線、関西本線、学研都市線)
鉄旅日記2013年4月7日その1
早朝、和歌山(わかやま)駅(紀勢本線/阪和線/和歌山線/和歌山電鐵 和歌山県)にて
2013・4・7 6:04 打田(うちた)駅(和歌山線 和歌山県)
2分の停車。
紀ノ川を渡り数駅。
小ぶりの石庭が置かれた駅だった。
木造の駅前と田舎の空。
不意に山塊が起ち現れ、雨の上がった朝の空気に霞んでいる。
そして粉河でまたひと降り。
張り出した低気圧は世界に安定を許さない。
6:32 妙寺(みょうじ)駅(和歌山線 和歌山県)
3分の停車。
世界遺産丹生都比売神社参詣駅とある。
まだ営業前の朝の村で、急いで列車に戻り、不覚だが駅前風景を覚えていない。
車窓風景に変化は見られない。
空は明るいが、雨は降り止まない。
6:42 高野口(こうやぐち)駅(和歌山線 和歌山県)
3分の停車。
高野山と聞いて、かつて寄ったあの堂塔伽藍を思い出す。
世界の高野山。
ある者は流され、あの者は自ら上がり歴史から消えた遥かなる聖域。
麓の玄関口に古く格調高い駅があった。
和歌山から乗ってきた野球少年たちは降り、オレは元旅館と思われる駅前の古い建物を見上げる。
初老の駅員にも威厳があり、旅情は最高点に達した。
7:02 橋本(はしもと)駅(和歌山線/南海高野線 和歌山県)
10数分の停車。
南海高野線との接続駅。
前回寄った時は、確か駅前のあの石段で少女たちが遊んでいたっけな。
和歌山以来の街で、紀ノ川へとつながる駅前通りから路地へと曲がり歩く。
そこには古くからの生活と商売があった。
豆腐屋の姿を記憶している。
またひとつ想い出の街に戻った。
南海乗場からは少しイカれた男の怒鳴り声が聞こえていた。
7:25 五条(ごじょう)駅(和歌山線 奈良県)
数分の停車。
柿の葉寿司は土産としてどうだろう。
雅な売店の前でしばしたたずんだ。
古い旅館に料理屋。
歴史を感じさせる街並みに5年前に寄った時とは違う感慨を持った。
朝に降る静かな雨。
そう、歴史の雨。
幕末騒動はここ五条の代官所を襲撃した天誅組の挙兵から始まり、紀ノ川の渡しには廃線跡の表示と島原の乱の原因を作った松倉重政の墓があった。
8:44 吉野口(よしのぐち)駅(和歌山線/近鉄吉野線 奈良県)
数分の停車。
吉野の山から近鉄線が下りてくる。
ここ吉野でもまた歴史の雨が降った。
そぼ降る雨の中を、木材の町にかつて車寅次郎がいた痕跡を探した。
地元民にとっては田舎の風景だろうが、オレには里山の風景だ。
癒やされるという言葉はあまり好きじゃないが、今オレはそんな状態でいる。
8:35 法隆寺(ほうりゅうじ)駅(関西本線 奈良県)
王寺で関西本線に乗り換える。
古の里に降りた優しい雨が、斑鳩の里で冷たい雨に変わった。
聖徳太子ゆかりの日本最古の木造建築物はここから約1.5キロの地点にあり、駅前にはチープな商店街がある。
大学時代にしばし思いを寄せた女性に似た素敵な人を見かけ、かつてそんな女性をデートに誘っていた時代があったことを思い出した。
今じゃそう思い返すこともないが、大切な記憶だ。
何だか信じられないような気持ちになる。
このあたりの景色はあまり記憶に残りそうにない。
9:10 平城山(ならやま)駅(関西本線/奈良線 奈良県)
丘の電車区の先に新興住宅地があった。
野球少年に休日はなく、昨日今日とよく見かける。
奈良駅でまたさっきの女性と乗り合わせる。彼女は京都へ向かう。
車もあまり通らない駅前に商店街はなく、そぼ降る冷たい雨に震えている。
いや、さっきとは違う女性だった。
彼女はミニスカートをとてもチャーミングに着こなしていたんだ。
9:20 木津(きづ)駅(関西本線/奈良線/学研都市線 京都府)
学研都市線に乗り換える。
初めて通った時には古戦場を思わせた野原に家が建ち、変貌を続けていた木津駅は完成し、現代アートを思わせる新駅舎に生まれ変わっていた。
商店の少ない寂しい駅前通りには変化がなかった。
9:41 京田辺(きょうたなべ)駅(学研都市線 京都府)
数分の停車。
同志社大の街だ。
平和堂が迎える駅前広場に街を見る。
近鉄駅に向かう道筋が透き通って見えた。
近鉄線とはこの街で袂を分かち、河内平野へ向かう。
都会が近づくと人恋しくなる。
10:15 四条畷(しじょうなわて)駅(学研都市線 大阪府)
数分の停車。
楠木正行最期の地。
圧倒的なまでに劣勢な戦場に、彼はとても華やかな姿で現れたという。
かつての古戦場の面影はどこにもなく、学園街として人々のざわめきにあふれている。
どうでもいいことだが、この路線にはオールタイム女性専用車両が導入されている。
小楠公はここから約200メートルの所に眠っている。
10:30 住道(すみのどう)駅(学研都市線 大阪府)
数分の停車。
大東市とは東京じゃなかなか聞かない地名だ。
駅前を流れる水路に「大阪ビッグリバーブルース」や「悲しい色やね」を重ねる。
川を渡ると街並みが続いていた。
オレの未来には、尽きることなく未知の街が存在している。
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