*

「鉄旅日記」2006年如月【房総半島から1週間。常磐線に乗って、下っていったのでございます。】その1-取手、土浦、勝田、阿字ヶ浦、那珂湊、日立、大津港(常磐線/茨城交通)

公開日: : 最終更新日:2024/05/16 旅話, 旅話 2006年

鉄旅日記2006年2月11日・・・取手駅、土浦駅、勝田駅、阿字ヶ浦駅、那珂湊駅、日立駅、大津港駅(常磐線/茨城交通)

2006・2・11 いわき東急イン618号室
出発は遅れた。
2時間ばかりだろうか。

起きる決心をしたのは、悪い夢を見て、暗い道に入り込もうとするところを、後部座席に座っていた男からラリアットのような一撃を受けたから。
その男は旧知の男だった。
他意はない。
夢にも他意はないだろう。
起きて座り込んだ時は虚ろだった。

今朝は怖気づくような寒さじゃなく、冬にしては暖かった。
みどりの窓口には行列ができている。

向かう先はいわき。
どうやら直行なら4時間もかからない距離らしい。

まずは取手まで。
江戸川堤の寒々しい風景を過ぎると千葉県。
普段暮らす町は境界線にある。

松戸、柏、我孫子を過ぎて、利根川の堤では男たちが一列に並び、無限を思わせる河川敷にゴルフボールを飛ばしている。
どこにも網が張られているようには見えず、なんだか可笑しみのある風景だった。

取手は栄えている。
これまでに常磐線で何度か通り、街は土浦に向けて左側にあるのだと思っていた。
乗場もそっちにある。

やけに狭い街区だったが、線路を挟んで反対側にも出口があることに気づき、長い通路を抜けると、本来の取手の街があった。
駅ビルに駅名だけを貼りつけた出口より、以前の取手がよく分かる街並だった。
そしてこっちには、どこか城を思わせる横長の駅舎が構えていた。

2009年10月10日撮影

牛久通過時には牛久沼を確かめ、やがて土浦。
かつて恋人と霞ヶ浦を目指した際に寄ったのが土浦だと思うが、記憶に残っているものはなく、霞ヶ浦が尽きる場所にできた街であることを知った。
駅の高架からその様を見渡せた。

反対側の出口には東急百貨店がある。
新装なった街区なのだろう。
人々の歩みがよそよそし気に見える。

2013年3月31日撮影

うっすらと見える筑波山。
ふと気づけば関東平野。

友部、水戸そして勝田。
茨城交通との接続がいい。
たいして待たずに阿字ヶ浦行に乗る。
ディーゼル音を轟かして、なかみなと線は鄙びた景色を突き進む。

終点の阿字ヶ浦は、オレの想像など遥かに及ばない鄙びて乾いた場所だった。
海辺までは徒歩約10分。
車通りの多い道に出て最初に出迎えるのは、廃墟となったかつての集客店。

九十九里の荒涼とした海岸の先に煙を噴き上げる工場の煙突。
テトラポットが置かれた海岸は魅力に乏しく、波打ち際にいた時間はわずかだった。
バンガロー小屋の脇を通り、駅に戻る。

緑と赤のペンキが塗られた小ぎれいな番屋のような駅舎。
鉄道マニアがカメラをぶら下げてそれらしく振舞っている。
オレはああした存在とは違うと思っているが、はたから見れば同じなのだろう。

2018年4月30日撮影

那珂湊で降りる。
古めかしい案内板が掲げられた駅を出る。
待合所では2人の老人が缶ジュースを片手に語り合っている。

2018年4月30日撮影

駅前には目ぼしいものが見当たらない。
港までは遠かった。
先週と同じようにビールと中華丼の昼食。
テレビじゃ、消防士が主役の2時間ドラマ。

那珂湊を離れる前に駅の壁に貼られた町の歴史に触れる。
江戸時代には大層賑わい、水戸藩の御用港として重要な役目を担っていたが、幕末に起こった藩内の内紛で戦場となり、焼け、さらに昭和の大火が追い打ちをかけ、当時の面影はほぼ焼失したとある。

水戸の騒ぎは血なまぐさく、最後のお家騒動とも言えるもので、天狗派も書生派も有力者は一人残らず悲惨な運命を辿った。
そのかつての戦場を、かつて繫栄した港町を、茨城交通が守っている。

歴史を知らなければ、現在もあの鉄道が奮闘している理由は分かりづらいかもしれない。
先述の老人2名はまだ会話をやめていない。

勝田には現代的な駅舎が建っていた。
駅から延びる大通りに沿う商店の連なりは長くはないが、駅周辺で遊ぶことはできるだろう。

2018年4月30日撮影

日立へ。
何の変哲もないと思えた駅で多くの乗客が降りた。
彼等について出口に向かうと、背後に低い山並を従えた立派な街に出くわした。

日立セメントの「ブレード・ランナー」的かつ怪物的な建物に煙突の煙。
今じゃ叩かれ放題の東横インにイトーヨーカ堂。
日立関連のこざっぱりとした社屋群は整っていて、お洒落な街路。

2018年4月30日撮影

横綱級の大企業が抱える城下町には品があり、巨大なコンベンションセンターの用途に疑問は持つものの、日立という大企業が大切に育ててきた街。
太平洋も見える。
その風景に近づこうと線路をくぐって反対側に回り、坂の途中から見えた風景を前にして立ち止まってしまった。

臨海に高架車道が見えるが、まだ建設中なのか車通りはなく、海岸は機械的に均され、眼下には貧しげな家が数軒、日立に対して意地を張るかのように洗濯物を干している。
あれは何か巨大な勢力に見捨てられた者の姿。
現に1軒は廃屋になっている。

2018年4月30日撮影

海側の簡素な駅舎の前には、豪農を思わせる旅館が通りを挟んで鎮座している。
街の明暗とは、あれほどの差を伴うものなのだろうか。

北茨城へ。
大津港駅で降りる。
何もないところだということは降りてみてすぐに分かった。
そこは日に何本か終点の役割を受け持つ駅でもある。
しかし何もない。
駅前にセブンイレブンが進出したことを町ではありがたく思っていることだろう。

次の列車の到着は1時間先。
しばらく歩く。
でも海は遠い。
五浦海岸という景勝地があるということだが、一山越えなきゃそこには着かない。

町には似つかわしくないお洒落な美容室の横を通って線路を渡り、舗装されていない線路脇の道を歩き、跨線橋を渡り駅へ戻る。
駅前で待つタクシーの数は少なくなく、運転手がオレに目を向ける。
古い蔵のような駅舎を好ましく思い、缶コーヒーと煙草を手にしてしばらく眺めていた。

2018年4月30日撮影

気が済むと気さくな駅長さんに挨拶してホームへ。
待合室の椅子には座布団が置かれ、暖かかったけど、ホームの方がいい。
松本清張の短い話を読了すると、煙草に火をつけて、茜に染まった西の空を正面に見る。

先頭を飛ぶカモメの号令に従って、群れがきれいな三角形を保ちながら東へと去っていく。
この世界を生きるのは人間だけじゃないと思えるのは、人間が集まるために造られた場所で、たったひとりで、そんな光景を眺める時くらいのものなのかもしれない。
忘れがたい思いに包まれ、人生の名場面とも感じられ、ひとりを楽しむ。

跨線橋を渡ってきたご婦人の姿が見えないと思ったら、まるで蛾のように、階段の途中に張り付くように風を避けていた。
おそらく旅人になれる者の数は限られている。

関連記事

「鉄旅日記」2019年霜月【津軽鉄道、弘南鉄道に乗りにいきました。羽州街道を歩いた晩秋の旅でございます。】最終日(北上-東京)その4‐米沢、福島、上野(奥羽本線/東北新幹線)

鉄旅日記2019年11月4日・・・米沢駅、福島駅、上野駅(奥羽本線/東北新幹線) 17:38 米沢(

記事を読む

「鉄旅日記」2015年春【名鉄電車2DAYフリーきっぷで行く、中京旅】最終日その3(岩倉-東京)-津島、須ヶ口、神宮前、豊明、岡崎公園前、中岡崎、東岡崎、国府、豊川稲荷、豊川(名鉄津島線/名鉄本線/名鉄豊川線)

鉄旅日記2015年3月8日その3・・・津島駅、須ヶ口駅、神宮前駅、豊明駅、岡崎公園前駅、中岡崎駅、東

記事を読む

「鉄旅日記」2017年夏【私鉄王国で過ごす夏】3日目(姫路-十三)その3-高速神戸、湊川神社、神戸三宮、甲陽園、夙川、西宮北口、宝塚、箕面、石橋、北千里、十三(阪急電鉄神戸高速線/神戸本線/甲陽線/今津線/宝塚本線/箕面線/千里線)

鉄旅日記2017年8月12日・・・高速神戸駅、神戸三宮駅、甲陽園駅、夙川駅、西宮北口駅、宝塚駅、箕面

記事を読む

「鉄旅日記」2020年如月【東日本大震災で被害を受けた大船渡に泊まりにまいりました。山田線完全乗車も目指しておりましたが・・。】最終日(釜石-東京)その2‐小山田、土沢、花巻、石鳥谷(釜石線/東北本線)

鉄旅日記2020年2月24日・・・小山田駅、土沢駅、花巻駅、石鳥谷駅(釜石線/東北本線) 7:40

記事を読む

「車旅日記」2000年春【一年のブランクを経て、旅再開。出発場所は東京町田から、下町葛飾へと変わっております。】最終日(郡山‐茂木‐下館‐東京)郡山スターホテル、新白河駅、黒羽くらしの館、茂木駅、下館駅、みつかいどうロードパーク、葛飾金町

車旅日記2000年5月7日 2000・5・7 8:35 郡山スターホテル510号室 最後の朝がやって

記事を読む

「車旅日記」1996年秋【夏をあきらめきれず、秋。再び夏のルートへと向かったのでございます。】2日目(新潟‐象潟‐鳴子温泉) 道の駅豊栄、道の駅朝日、道の駅温海、象潟駅-茶房くにまつ、蚶満寺、九十九島、矢島、鳴子サンハイツ

車旅日記1996年11月2日 1996・11・2 8:17 7号国道‐豊栄(道の駅) よく眠れた

記事を読む

「鉄旅日記」2006年新春【雪の降った翌日。近くのローカル線に乗りに出かけました。】-馬橋、流山、幸谷、新松戸、佐貫、竜ケ崎(常磐線/総武流山電鉄/関東鉄道竜ヶ崎線)

鉄旅日記2006年1月22日・・・馬橋駅、流山駅、幸谷駅、新松戸駅、佐貫駅、竜ケ崎駅(常磐線/総武流

記事を読む

「車旅日記」1996年黄金週間【友を訪ねて大阪へ。そして約束の地、金沢へ。夢を見ながら国道を走った日々でございます。】最終日 北陸より東京へ‐その2(R8→R18→R19)直江津駅、新井、豊野町、長野駅、道の駅信州新町、道の駅大岡村

車旅日記1996年5月6日 6:58 直江津駅 恋する女よ、いつの間にか日本海とさよならしていた

記事を読む

「鉄旅日記」2019年霜月【津軽鉄道、弘南鉄道に乗りにいきました。羽州街道を歩いた晩秋の旅でございます。】初日(東京-五所川原)その4‐青森、新青森、津軽新城、鶴ヶ坂、浪岡(奥羽本線)

鉄旅日記2019年11月2日・・・青森駅、新青森駅、津軽新城駅、鶴ヶ坂駅、浪岡駅(奥羽本線) 19:

記事を読む

「鉄旅日記」2020年文月【コロナ禍でございます。内緒の旅でございました。余部鉄橋へ。萩へ。霧の街へ。東京五輪延期で浮いた4連休の記録でございます。】3日目(萩-三次)その1‐萩、玉江、東萩(山陰本線)

鉄旅日記2020年7月25日・・・萩駅、玉江駅、東萩駅(山陰本線) 2020・7・25&nb

記事を読む

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

「鉄旅日記」2020年初秋【時空の友を訪ねて讃州高松へ。金比羅さん、瀬戸大橋、大歩危、小歩危などを友とめぐり、義仲寺に寄り、直島に渡り、水島臨海鉄道にも乗った4日間の記録でございます。】最終日(高松-東京)その2 ‐茶屋町、岡山、倉敷、倉敷市、水島、常盤、栄、三菱自工前(宇野線/伯備線/水島臨海鉄道)/倉敷センター街、阿智神社、倉敷美観地区

鉄旅日記2020年9月22日・・・茶屋町駅、岡山駅、倉敷駅、倉敷市駅

「鉄旅日記」2020年初秋【時空の友を訪ねて讃州高松へ。金比羅さん、瀬戸大橋、大歩危、小歩危などを友とめぐり、義仲寺に寄り、直島に渡り、水島臨海鉄道にも乗った4日間の記録でございます。】最終日(高松-東京)その1 ‐高松港3番乗場、直島宮浦海の駅、宇野港、宇野駅(高松→直島宮浦フェリー/直島宮浦→宇野フェリー)

鉄旅日記2020年9月22日・・・高松港3番乗場、直島宮浦海の駅、宇

「鉄旅日記」2020年初秋【時空の友を訪ねて讃州高松へ。金比羅さん、瀬戸大橋、大歩危、小歩危などを友とめぐり、義仲寺に寄り、直島に渡り、水島臨海鉄道にも乗った4日間の記録でございます。】3日目(高松)その2 ‐金刀比羅宮、善通寺駅、高松港公園、八十場駅、白峰宮、天皇寺、磯禅師墓

車旅日記2020年9月21日・・・金刀比羅宮、善通寺駅、高松港公園、

「鉄旅日記」2020年初秋【時空の友を訪ねて讃州高松へ。金比羅さん、瀬戸大橋、大歩危、小歩危などを友とめぐり、義仲寺に寄り、直島に渡り、水島臨海鉄道にも乗った4日間の記録でございます。】3日目(高松)その1 ‐片原町駅、瓦町駅、高松築港駅、玉藻公園(高松城跡)、一宮寺、滝宮天満宮、滝宮駅、満濃池

車旅日記2020年9月21日・・・片原町駅、瓦町駅、高松築港駅、玉藻

「鉄旅日記」2020年初秋【時空の友を訪ねて讃州高松へ。金比羅さん、瀬戸大橋、大歩危、小歩危などを友とめぐり、義仲寺に寄り、直島に渡り、水島臨海鉄道にも乗った4日間の記録でございます。】2日目(高松)その2 ‐祖谷口駅、小歩危駅、大歩危駅、剣山リフト乗場、恋人峠、穴吹駅、黒田屋高松西インター店

車旅日記2020年9月20日・・・祖谷口駅、小歩危駅、大歩危駅、剣山

→もっと見る

    PAGE TOP ↑