「鉄旅日記」2013年春【青春18きっぷで、房総途中下車旅】その2-上総興津、安房小湊、安房天津、安房鴨川、和田浦、九重、若井、竹岡、上総湊、佐貫町、青堀、稲毛海岸、新習志野(外房線、内房線、京葉線)
鉄旅日記2013年3月9日その2
15:51 上総興津(かずさおきつ)駅(外房線 千葉県)
数分の停車。
あのゲートをくぐって海辺に下りていく機会はやがて訪れるだろうか。
こじんまりとしたステキな駅前風景がここにある。
16:03 安房小湊(あわこみなと)駅(外房線 千葉県)
数分の停車。
シーズン前の小湊の夕方。
いつも人がいた駅にはタクシーが一台。
日差しが小湊海岸を照らしている。
ここもホテル三日月の町だったが、味のある旅館も確認できた。
心浮き立つ海旅が続いている。
16:11 安房天津(あわあまつ)駅(外房線 千葉県)
さらに数分の停車。
古くて白くて、どこか日本家屋風とは違うステキな駅舎だ。
目の前の中学校もどこか異国情緒を漂わせ、太平洋に面した町ではその存在が違和感を感じさせることはない。
車窓から見えた海辺へつづく道を眺めた。
20年前か。
伊豆へ同期連中と出かけていた頃が懐かしい。
それは楽しい思い出で、あの時に彼等と向かった海へ向かう小径が基準になっている。
そしてそんな小径をいつも探している。
16:49 安房鴨川(あわかもがわ)駅(外房線/内房線 千葉県)
タイクツな街にタイクツな海岸。
この街に対してそんな記憶を抱えて生きていた。
だからこの街で時間を使うことに否定的でいたんだ。
それがどうだ。
あらためて歩いてみて、街は小さいけど、サーファーが車を並べる海岸はとてもステキだった。
高く聳える南国椰子と街灯。
その先の仁右衛門島。
かつての寒く曇った1月のある一日が、この街でオレに記憶させたものがろくでもないものだったことを知った。
駅舎が工事中だったことも記憶していた。
赤屋根はそのままに軒が増築されていた。
そこには待合室とコンビニが入り、外観はそのあたりのリゾート建築物と見紛うお洒落な造りになっている。
この街で、記憶を更新できたことを喜んでいる。
17:00の時報が鳴った。
夕焼け小焼けだ。
17:39 和田浦(わだうら)駅(内房線 千葉県)
数分の停車。
菜の花がきれいな駅はクジラをイメージしたものと知っていた。
見物する時間はなかったが、待合室には捕鯨の資料が並べられ、解体の様子などを説明している。
駅員は仕事を終え、駅前は夕焼け。
駅灯はあったかい色をしていた。
18:03 九重(ここのえ)駅(内房線 千葉県)
数分の停車。
菜の花と桜の駅で日が暮れた。
駅前広場に灯はなかったが、並行する県道が明るかった。
道々夕焼け空がとてもきれいだったが、このあたりじゃ日が暮れてくると夕暮れの余韻は僅かで、さっさと夜に席を譲る。
いや、違うな。
たんにオレが名残惜しい思いでいるだけだろう。
18:29 岩井(いわい)駅(内房線 千葉県)
数分の停車。
民宿のまちを謳う岩井の駅は思いのほか大きく立派で、駅から町へ続く道は暖色の灯に明るく照らされ、清潔で人を見かけない様は、すべての営業を終えた柴又帝釈天参道を思い出させた。
かつてオレは柴又の隣町で暮らしていたんだ。
18:51 竹岡(たけおか)駅(内房線 千葉県)
さらに数分の停車。
夕闇に沈んだ町に遠く久里浜の灯が見え、見上げた空は星がとてもきれいだ。
10年以上前に社長たちと寄ったことがある。
オレが生まれる前、彼は少年の頃の夏をこの地で過ごしたという。
駅は改装されていて、東浪見や九重で見られた房総簡易仕様になっていた。
このあたりのオバサンの言葉には結構強烈なクセがある。
19:26 上総湊(かずさみなと)駅(内房線 千葉県)
青屋根の駅。
暗くても分かるよ。
潮騒が聞こえる。
通りすがりの女性の髪が風に香る。
なんて星がきれいなのだろう。
駅前通りは国道に通じ、かつては商店街で通ってた筈だが、出ていった者が多く、募集中のスペースが入居のアテを掴むことは、事によってはしばらくないかもしれない。
国道に出てみればきれいな旅館があり、湊夕陽ヶ丘の赤い灯は切なげな光彩を放っている。
対岸には横須賀の灯。
富津の中心地、湊地区を行き交う車は多かった。
19:41 佐貫町(さぬきまち)駅(内房線 千葉県)
数分の停車。
青屋根駅舎だ。
去年は分からなかったし、意識もしなかったな。
駅前の薄暗い灯が好きだ。
夜に対して敬意を払う色だ。
マツダ不動産の脇に食堂の暖簾がかかり、店員が立ち働く様が見てとれた。
去年は確かクリーニング屋があるのみと記した筈だ。
どんな場所にも再訪する価値はある。
20:02 青堀(あおほり)駅(内房線 千葉県)
青屋根駅舎はここから始まり、気づけば駅で煙草が吸えなくなっている。
新日鉄、東電火力発電所といったあたりが臨海に灯を浮かべ、駅周辺も何やら明るく、星が見えにくくなった。
地図を見たらやたらと古墳が多い。
ここらあたりで眠っている王は、どの時代を生きた者たちなのだろう。
21:07 稲毛海岸(いなげかいがん)駅(京葉線 千葉県)
イオンの街。
そして高層住宅の街。
京葉線沿線から人工的な匂いがとれるのにどれほどの歳月が必要だろうか。
高架を走るが海は見えず、幕張新都心がその期待された役目を十分に果たすのはいつになるのかと漠然と思う。
21:25 新習志野(しんならしの)駅(京葉線 千葉県)
数分の停車。
満員の車内に放り込まれた。
凄まじくうるさい。
駅前はかつて仕事途中に寄った時から変わっていないのだろう。
やたらに広いロータリーを囲むように巨大な商業施設がただひとつ。
華やぐ声は聞こえてこなかった。
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