「車旅日記」2005年初夏【長岡、会津、庄内。戊辰戦争ゆかりの地を巡りたかったのだと記憶しております。】初日(長岡-会津-福島-山形)走行距離388㎞ その1-長岡駅、小出駅、田子倉駅、只見駅、会津水沼駅、会津坂下駅、猪苗代駅
車旅日記2005年7月16日・・・長岡駅、小出駅、田子倉駅、只見駅、会津水沼駅、会津坂下駅、猪苗代駅
2005・7・16 9:38 長岡駅
MAXトキ307号で北越の街へ。
東京で散々やっていた「人体の不思議展」がこの街にも回ってくるらしい。
駅にポスターが貼られていたよ。
朝には視界を危うくするほどの大雨が降ったという。
寂しい駅頭に古い道。
長岡人は優しかったよ。
タクシー運転手もトヨタレンタカーの店員も。
11:08 小出駅(7月16日の長岡駅より40㎞)
最初の目的地、小出郷へ。
この町で、不沈艦スタン・ハンセンと喧嘩番長ディック・スレーターが強力タッグ・チームを結成して、天龍源一郎、阿修羅原の龍原砲に挑んだのは随分前のことになる。
雪国を実感させる古いアーケード街に時代が映り、古ぼけた廃屋の前で老人がバスを待っている。
駅舎は雪国でよく見かける横に長い平屋造り。
崖と川に挟まれた狭い地点に立つ。
きっと雪下ろしに適した構造なのだろう。
駅前には川喜旅館という素敵な旅館と、HOTEL OKABE。
旅館では腹の出たオッサンが裸のまま外を眺めていた。
一風呂浴びてきたところだろう。
町の中心は川向うにある。
長岡でも日は差したが、今差している日差しは夏を予感させる。
オレの神様は北越の地でも健在だ。
今年初めて夏の虫の声を聞いた。
東京でも鳴き始めているのだろうか。
オレが暮らすあたりじゃ、ほとんど聞こえてこない。
この町から会津へと線路が延びる。
2018年3月3日撮影
12:22 田子倉駅(7月16日の長岡駅より87㎞)
日が差してきた。
風が心地いい。
川のせせらぎが聞こえている。
ここは鉄道ファンの間では有名な駅らしい。
国道沿いに壊れかけたようなプレハブが建ち、そこに駅名が記されている。
「工事関係者以外立ち入り禁止」とでも書かれていそうな入口をくぐり、心細い階段を下りたところにホームがある。
駅員の姿はなく、雑記帳が置かれている。
スノーシェッドに覆われ、まるでトンネルの中のようだ。
田子倉湖では一年中溶けない雪を見た。
道は険しく、何度もスノーシェッドを潜る。
幕末の長岡。
武装中立の方針をたてた長岡藩家老、河井継之助。
彼の願いは容れられず、新政府軍は長岡へと乱入。
長岡城を奪われたが、奪い返す。
奪回へと押し寄せる新政府軍を大手門で迎え撃った長岡武士。
新兵器ガトリング砲が火を噴く。
河井継之助は自らこの兵器を操作したという。
やがて落城。
傷ついた彼はこの道を会津に向かい、途中で果てる。
12:47 只見駅(7月16日の長岡駅より99㎞)
機械音のような蝉の声がまとわりつく駅。
人々が集まっている。
広い駐車場があり、古くて大きな旅館がある。
山間の寂しい駅だが、集った人々は次の汽車の到着を待っている。
SLを走らせる駅であり、周囲には登山者を喜ばせる山がある。
ただ、ここじゃメシにも煙草にもありつけない。
険しい山路はひとまず終わったようだが、会津まではまだ遠く、人の姿は稀だ。
2018年3月3日撮影
13:35 会津水沼駅(7月16日の長岡駅より135㎞)
梅雨明けはまだだが、夏はすでに来ている。
蜩はささやかに奏で、油蝉はどこでも元気だ。
草が香る。
只見線は会津に入ってもなお好みの風景を保ち、名所になりそうな鉄橋や石橋を架けて線路を渡している。
蝶が舞い、気づくと日が差している。
太陽が気にかけてくれているみたいで、気分がいい。
あたりに集落はなく、会津の中心若松は遠いけど、古くから敷かれている線路にオレは未来を感じている。
不思議な気持ちだし、この感覚は感動に近い。
とても利用者が多いとは思えないこの小さな駅も禁煙とある。
14:30 会津坂下駅(7月16日の長岡駅より170㎞)
七夕飾りがいくつか下がり、風鈴が揺れている。
品揃えの少ない食料品店で昼食を調達したらライターをくれたよ。
新潟も福島も人情がいい。
広い駅前と駅前通りだが、閑散としていて、けだるい午後の空気が流れている。
只見線に沿って走ってきたが、それもここで終わり。
春日八郎の銅像が立っている。
彼の故郷だという。
会津には思い入れがあるが、また今度だ。
次に来る頃には会津ナンバーの車が行き交っていることだろう。
かつて辛酸を舐めた会津人の誇りは、それである程度埋められるかもしれない。
賊軍としての歴史はとうに終わっている。
それにしても会津盆地が懐かしい。
今日もあの風景に海を感じた。
そこに海なんかないのに。
あれから。
初めてひとりで旅に出てから、ちょうど10年になる。
15:20 猪苗代駅(7月16日の長岡駅より202㎞)
猪苗代湖の姿は僅かに覗き見ることができた。
金の橋、銀の橋は寂れていた。
10年前の黄金週間の賑わいはなく、49号国道は郡山へとスムースに流れている。
懐かしいという感覚が訪れることはなく、初めてオレは磐梯山を確認した。
観光街の玄関口も閑散としている。
駅前の明かりは乏しく、通りに面した壁の剥がれた旅館は、もしかしたら営業を諦めていたのかもしれない。
郵便のバイクがまるで夕刊配りの新聞配達のような音を残して去った。
夕方を感じさせる音だった。
ジーという蝉の声はここでも空を覆うように聞こえ、鳥は囀る。
豪雪に耐えられる構造の古い駅舎。
開業は明治の頃で、かつて野口英世を世界に送り出した。
2018年4月1日撮影
関連記事
-
「鉄旅日記」2020年文月【コロナ禍でございます。内緒の旅でございました。余部鉄橋へ。萩へ。霧の街へ。東京五輪延期で浮いた4連休の記録でございます。】最終日(三次-東京)その2‐万能倉、神辺、井原、吉備真備(福塩線/井原鉄道)
鉄旅日記2020年7月26日・・・万能倉駅、神辺駅、井原駅、吉備真備駅(福塩線/井原鉄道)
-
「鉄旅日記」2019年霜月【津軽鉄道、弘南鉄道に乗りにいきました。羽州街道を歩いた晩秋の旅でございます。】初日(東京-五所川原)その4‐青森、新青森、津軽新城、鶴ヶ坂、浪岡(奥羽本線)
鉄旅日記2019年11月2日・・・青森駅、新青森駅、津軽新城駅、鶴ヶ坂駅、浪岡駅(奥羽本線) 19:
-
「車旅日記」2004年春【旭川に下りて、思う存分に北の大地を走った旅の記録でございます】4日目(旭川-稚内)走行距離428㎞その2-雄武町日の出岬、マリーンアイランド岡島、千畳岩、神威岬、クッチャロ湖、さるふつ公園、宗谷岬、稚内駅
車旅日記2004年5月4日・・・雄武町日の出岬、マリーンアイランド岡島、千畳岩、神威岬、クッチャロ湖
-
「鉄旅日記」2020年初秋【時空の友を訪ねて讃州高松へ。金比羅さん、瀬戸大橋、大歩危、小歩危などを友とめぐり、義仲寺に寄り、直島に渡り、水島臨海鉄道にも乗った4日間の記録でございます。】最終日(高松-東京)その1 ‐高松港3番乗場、直島宮浦海の駅、宇野港、宇野駅(高松→直島宮浦フェリー/直島宮浦→宇野フェリー)
鉄旅日記2020年9月22日・・・高松港3番乗場、直島宮浦海の駅、宇野港、宇野駅(高松→直島宮浦フ
-
「車旅日記」1996年黄金週間【友を訪ねて大阪へ。そして約束の地、金沢へ。夢を見ながら国道を走った日々でございます。】最終日 北陸より東京へ‐その3(R20)諏訪湖、韮崎、道の駅甲斐大和
車旅日記1996年5月6日 16:28 諏訪湖 松本市内を通過して塩尻峠を下りていく。 塩
-
「鉄旅日記」2020年睦月【秋田内陸縦貫鉄道に乗りにいきました。五能線の名所も歩いた旅初めでございます。】2日目(湯沢-鷹ノ巣)その3‐驫木、風合瀬、大戸瀬、千畳敷、北金ヶ沢(五能線)
鉄旅日記2020年1月12日・・・驫木駅、風合瀬駅、大戸瀬駅、千畳敷駅、北金ヶ沢駅(五能線) 13:
-
「鉄旅日記」2006年如月【房総半島から1週間。常磐線に乗って、下っていったのでございます。】その2-勿来、いわき(常磐線)
鉄旅日記2006年2月11日・・・勿来駅、いわき駅(常磐線) 2006・2・11 いわき東急イン61
-
「鉄旅日記」2012年晩秋【休日おでかけパスで、相模線途中下車旅】保土ヶ谷、大船、香川、北茅ヶ崎、厚木、社家、相武台下、原当麻、下溝、片倉、八王子、猿橋、西八王子、武蔵小金井、東小金井(横須賀線、東海道本線、相模線、横浜線、中央本線)
鉄旅日記2012年11月17日・・・保土ヶ谷駅、大船駅、香川駅、北茅ヶ崎駅、厚木駅、社家駅、相武台下
-
「鉄旅日記」2015年夏【日本最南端の終着駅、枕崎までの往復旅】3日目(鹿児島中央-西鉄柳川)その1-指宿、枕崎、入野、開聞、山川、喜入、瀬々串、慈眼寺、南鹿児島、郡元(指宿枕崎線)
鉄旅日記2015年8月14日その1・・・指宿駅、枕崎駅、入野駅、開聞駅、山川駅、喜入駅、瀬々串駅、慈
-
「鉄旅日記」2012年夏【青春18きっぷで、富山・岐阜途中下車旅】最終日(富山-東京)その2-美濃太田、可児、姫、下切、南木曽、田立、勝沼ぶどう郷(太多線、中央本線)
鉄旅日記2012年8月26日その2・・・美濃太田駅、可児駅、姫駅、下切駅、南木曽駅、田立駅、勝沼ぶど