「鉄旅日記」2021年夏 最終日(上田-東京)その2 ‐北飯山、飯山、蓮、森宮野原(飯山線) 【4度目の緊急事態宣言前。飯山線に乗りたくて旅を思い立ちました。湯檜曽駅で夏の第一声を聞き、信越路を歩いた記録でございます。】
鉄旅日記2021年7月11日・・・北飯山駅、飯山駅、蓮駅、森宮野原駅(飯山線)
9:16 北飯山(きたいいやま)駅(飯山線 長野県)にて

9:57 飯山(いいやま)駅(北陸新幹線/飯山線 長野県)
北飯山駅で降りてひと駅を歩く。
途中には飯山城址公園。千曲川の畔にある。


武田信玄に国を追われ、上杉謙信を頼った高梨氏の支城だったのを、最前衛基地として謙信が改修。
謙信死後、後継のもつれから勃発した御館の乱で勝利した上杉景勝によって、甲越同盟を結んだ武田勝頼に割譲された。信玄在世時の北信はまだ武田家の領地ではなかったことを今さらながらに知った。
そうした信越国境の歴史を想う。その後飯山藩へとつながり明治維新を迎えた。
本町アーケードから南町へ。斑尾高原の表示を見る。

友人と二人で斑尾へのスキーツアーに参加したのはおおよそ30年前。楽しい記憶だが大半は忘れている。
当時はバブル期。「淫ら尾」と俗称されて多くの男女が向かった。現在もそうした言葉が生きているかは知らない。
そして日赤病院。大学卒業前の春に野沢温泉スキー場で迎えた朝、突如肺を病んで10日近く入院した。
その内の一週間はベッドにつながれ、母と叔母、当時の恋人、友人が訪ねてくれた。
恋人とは同じアルバイト先で知り合ったのだが、仲間たちのカンパで旅費の工面がついて列車を乗り継いできてくれた。カーテンで隠してキスをしてくれたよ。
友人もその仲間。近くにスキー旅行で来ていて、ついでに寄ってくれたんだ。ひとりとは現在も年賀状ではつながっていて、もうひとりは今どうしているだろう。
病院と駅の間を往復しただけだが、北陸新幹線開通で駅は変わり、駅前も変わり、通りもまた変わり、病院も姿を変えた。
当時寄った本屋はもちろんない。彼女に頼んで買ってきてもらった本まで覚えているよ。司馬遼太郎さんの「箱根の坂」「戦雲の夢」「アームストロング砲」。
一番若かったこともあり、同じ病室の患者さんやご家族の方々には優しくしてもらい、いろいろな食べ物がオレの元に集まり、重い手術で数日離れた患者さんが無事に帰還された時、病室は深い感動に包まれ、口々に祝福の声が上がった。退院の際は、家族に似たような連帯感を持っていることに気づき、それなりに感極まったよ。
そんなこともあったな。これまでの人生で入院はそれっきり。
寺社風だった駅舎は著しく変貌して巨大になり、愛を語らう若者の爽やかな笑顔がある。

でも利用客はまだ少ないのだろう。新幹線駅はまだ街に馴染んでいないように見える。
10:37 蓮(はちす)駅(飯山線 長野県)
昨日の車窓でも高社山(こうしゃさん)に目を奪われた。駅名に引かれて飯山からひと駅を戻り、こうして正面に見ている。


駅は永國寺の境内にあたり、山門を上がったところにホームがある。さっきまではお坊さんの読経が聞こえていた。





蓮とは仏教の極楽浄土を連想させるが、駅名の由来は地名による。
「どぶに落ちても根のあるやつは、いつかは蓮の花と咲く」
声を出さずによく口ずさむ「男はつらいよ」の一節。
「男というものつらいもの。顔で笑って腹で泣く。」
たまらないな。
山門脇をまさに蓮の葉が覆い、駅横に鎮座するお地蔵様の表情は優しい。日差しはまだ鈍く、夏を感じさせるには早い。

でも虫たちは夏を奏で始めたようだ。そうこうするうちに晴れ間は広がり、なぜか水滴も落ちてきた。不穏な雲もまた広がりつつある。
飯山で購入した酒を飲みながら列車を待っている。

細かな雨が体を冷やしてくれる。
12:28 森宮野原(もりみやのはら)駅(飯山線 長野県)
昭和20年2月12日に7.85メートルという日本最大の積雪を記録した栄村。
標柱を見ると途方もない高さで、現在の駅舎がすっぽり隠れる。

その駅舎は温泉旅館や和風レストランを連想させる何事かが待っていそうな造り。うれしいことにビールが売っていた。


駅前の家並はすぐに尽きるが、旅館の看板も見える。

ここで列車行き違い19分の停車。
信濃川に沿っている。降り続く雨が川を泥色に染めて、流れは早い。
蓮滞在中に崩れた空は戸狩野沢温泉では豪雨を寄越し、今もまだ降り続いている。その蓮手前で緑の門をくぐった際の初夏の爽やかさは消えて、梅雨前線の動きに陰りはない。
信濃川が泥色を脱するには、雨が止んでからどれほどの日数が必要なのだろう。
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