「鉄旅日記」2005年秋 最終日(小諸-東京)その2-高崎、新前橋、前橋、中央前橋、小山、水戸、東京葛飾金町(信越本線/両毛線/水戸線/常磐線) 【軽井沢で挙式する身内を祝うために、初めて鉄道で旅をいたしました。】
鉄旅日記2005年11月7日・・・高崎駅、新前橋駅、前橋駅、中央前橋駅、小山駅、水戸駅(信越本線/両毛線/水戸線/常磐線)
2005・11・7 東京葛飾金町
高崎行の列車が出る。
18号国道と並走しながらしばらくして安中、そして終点高崎。
高崎駅に降りたのは初めてだった。
車の窓から大きな街だと感じていた高崎は、信越路以外を知ったオレには小さく見えた。
上越・長野新幹線、信越本線、高崎線、上越線、両毛線、吾妻線、上信電鉄が乗り入れる高崎駅構内は、鉄道史上欠かせない役割を担ってきた駅らしく、広大で重々しかったが、駅ビルとなった駅舎には、他の現代駅と同じように高崎を感じさせるものは見られなかった。

2018年3月3日撮影
小山行の両毛線に乗る。
降りたのは新前橋。
三角形の駅舎の下にそばをメインにした食堂があり、上州そばを腹に入れて前橋を歩く。

2019年12月7日撮影
前橋駅へと歩く道に想像上の前橋の姿はなく、延々と歩き、利根川を渡る。
利根川は前橋の風景に欠かせないもので、かつての三国峠越えが蘇る。
渡り終えると右手に刑務所を見て、中心街と思しき場所を見ることなく前橋駅へ。
高架駅で、県庁所在地の駅としては存在感が薄く感じられる。
佐賀駅や山口駅が似た存在として挙げられる。
新前橋駅で計算に入れていた列車はすでに前橋を離れていて、しばし途方に暮れる。
駅を突っ切り反対側に出ると、メインストリートはどうやらこっち。
誘われるように歩きだし、街の案内板で見かけた上毛電鉄の中央前橋駅まで。
東急インホテルが途中にある。
周囲にめぼしいものはなく、脇に商店街らしきものを従えているが、想像上の前橋はそこにもない。
やがて麻雀の文字が目立つ廃墟のような雑居ビルが現れ、その右手に新しくて斬新な感じの中央前橋駅があった。
終着駅だ。
さして長くないホームに桐生に向かう列車が止まっている。

2014年12月29日撮影
乗客の姿は認められず、線路に沿って小川が流れている。
若い警察官が挨拶をくれる。
一本道ばかりを歩いてきたから多くを語る資格は持たないが、想像上の前橋をとうとう見ることはなかった。
次は伊勢崎行。
古くて黄味がかった味のある駅舎。
赤い屋根と時計台が印象的で、2階の窓が開いていた。
駅前からじゃ街の規模は想像できない。
駅もそうだが、乾いていて、どこか退廃的な埃っぽい臭いを嗅いだような気がした。
「駅そば」もどことなく侘しく、イスラムの男が不安げにうろうろしている。
あの賑やかな浅草を出る東武伊勢崎線の終点はこの駅になる。
東武線用の駅舎などはなく、JR駅を間借りするように終着ホームが端っこにある。
「ここはまだ昭和のままだよ」。
そんなくたびれた男の声でも聞こえてきそうな街だった。
車窓からは広大な関東平野がいつまでも広がっている。
その際には赤城山の姿のいい山容が裾を広げている。
桐生に到着すると上毛地帯の重厚な歴史を感じた。
牧歌的な車内の空気が一変したのは足利に到着した時だった。
大勢の高校生たちが乗り込んできた。
読書に集中していたオレがふと車内に目を移すと、そこは無法地帯だった。
車内中の地べたにだらしなく座り込んだ高校生男女の姿があった。
この国はどこへ向かうのかと暗然とした気持ちになったが、多勢に無勢。
何も言葉が出てこない。
一刻も早くあの状況から抜け出したかったが、その狂った世界は小山まで続いた。
ろくでもなく、取り返しのつかない光景だった。
この国の教育はどうしてしまったのだろう。
東北新幹線の停車駅で、東北本線、両毛線、水戸線が乗り入れる小山は鉄道の街。
駅が圧倒的な存在感を放つ街だった。

2013年3月31日撮影
駅を出ると特に目立つものはなく、すぐに人気のない路地が現れる。
水戸線のホームは一番端にある。
目の前は広大な空地だったが、工事が始まる気配がある。
5年も経てば周辺も変わるだろう。
水戸へ。
結城、下館、笠間といった街を通過していく。
あたりはすっかり暗くなり、闇から光が現れると、そこが駅。
小さな駅にたくさん停車して水戸へ。
あの沿線を車で走ったのは何年前になるのか。
明るい時間だったから、そこに見えたのはやはり広大な関東平野で、時折筑波山が覗いていた。
水戸駅は光に溢れている。
縦横に張り巡らされた歩道橋で恋人は寄り添い、楽器を奏でる者もいる。
賑やかな街だと思いながら歩道橋を下りると、そこに歓楽街はなかった。

2018年4月1日撮影
駅ビルにはたくさんの人々がいたが、外に出ると水戸の現在が見えた。
駅を貫くようにように走る大通りを行く車はまれで、ぼってりとした大きなテレビ塔の灯は消えている。
歴史と海を持つ街だが、水戸街道はメインストリートから外れている。
駅ビルの中に蕎麦を食わせる飲み屋があって、ビールと酒。
厚揚げと蕎麦。
どこかで三日月を見て、土浦、柏、松戸。
そして江戸川を渡り、金町。
それにしても、どうして最近の若者はああして人に不快感と失望感を与える存在に成り下がってしまったのか。
常磐線でもそうした手合いを幾人か見かけている。
もうよそう。
帰り着いた金町の路上は濡れていた。
旅は終わった。
先日の日本武道館で行われた三沢光晴×天龍源一郎、小橋建太、潮崎豪×佐々木健介、中嶋勝彦の名勝負を見て疲れを癒した。
関連記事
-
-
「鉄旅日記」2014年春 その2-瓜連、静、山方宿、袋田、西金、下小川、後台、常陸津田、常陸青柳、神立、高浜、牛久(水郡線/常磐線) 【ときわ路パスで、常陸ローカル旅】
鉄旅日記2014年4月27日その2・・・瓜連駅、静駅、山方宿駅、袋田駅、西金駅、下小川駅、後台駅、常
-
-
「鉄旅日記」2019年霜月 最終日(北上-東京)その3‐仙台、国見、愛子、山形(仙山線) 【津軽鉄道、弘南鉄道に乗りにいきました。羽州街道を歩いた晩秋の旅でございます。】
鉄旅日記2019年11月4日・・・仙台駅、国見駅、愛子駅、山形駅(仙山線) 14:39 仙台(せん
-
-
「鉄旅日記」2016年春 初日(東京-水沢)その1-郡山、杉田、五百川、高城町、矢本、野蒜、陸前赤井、石巻、女川(東北本線/仙石線/石巻線) 【東日本大震災被災地へ】
鉄旅日記2016年3月5日その1・・・郡山駅、杉田駅、五百川駅、高城町駅、矢本駅、野蒜駅、陸前赤井駅
-
-
「鉄旅日記」2015年春 最終日その1(岩倉-東京)-岩倉、御嵩、犬山、新鵜沼、鵜沼、名電各務原、各務ヶ原、新那加、那珂、名鉄岐阜(名鉄犬山線/名鉄広見線/名鉄各務原線) 【名鉄電車2DAYフリーきっぷで行く、中京旅】
鉄旅日記2015年3月8日その1・・・岩倉駅、御嵩駅、犬山駅、新鵜沼駅、鵜沼駅、名電各務原駅、各務ヶ
-
-
「車旅日記」2000年夏Part.1 最終日(小千谷-桐生-下妻-東京)道の駅おぢや、塩沢らーめんショップ、月夜野情報サービスセンター、旅の駅桐生、道の駅しもつま、柏市あけぼの2丁目、葛飾金町 【信濃、飛騨、そして能登島。帰りは北陸路。この国の美しさをあらためて感じました夏旅でございます。】
車旅日記2000年7月23日 2000・7・23 2:09 17号国道‐おぢや(道の駅) 都合3時
-
-
「鉄旅日記」2022年弥生vol.1 最終日(熱海-東京)その6 ‐向河原、津田山、久地、宿河原、中野島、稲城長沼、府中本町(南武線) 【金沢シーサイドライン、根岸線、湘南モノレール、横須賀線、大雄山線、相模線、鶴見線etc.駅旅人本領発揮の旅でございます。】
鉄旅日記2022年3月6日・・・向河原駅、津田山駅、久地駅、宿河原駅、中野島駅、稲城長沼駅、府中本
-
-
「鉄旅日記」2019年霜月 2日目(五所川原-北上)その4‐小柳、筒井、八戸、盛岡、北上(青い森鉄道/東北・北海道新幹線/東北本線) 【津軽鉄道、弘南鉄道に乗りにいきました。羽州街道を歩いた晩秋の旅でございます。】
鉄旅日記2019年11月3日・・・小柳駅、筒井駅、八戸駅、盛岡駅、北上駅(青い森鉄道/東北・北海道新
-
-
「鉄旅日記」2018年秋 初日(松戸-流山-潮来-銚子-東金-松戸)その2-湖北、下総松崎、成田、香取、延方、北浦、佐原、大戸(我孫子支線/成田線/鹿島線) 【サンキューちばフリーパスでめぐる上総下総安房旅】
鉄旅日記2018年9月22日・・・湖北駅、下総松崎駅、成田駅、香取駅、延方駅、佐原駅、大戸駅(我孫子
-
-
「鉄旅日記」2009年秋 3日目(大分-佐賀)その1-大分、中判田、豊後竹田、宮地、肥後大津、水前寺、辛島町、熊電上熊本、上熊本(豊肥本線/熊本市電) 【遅い夏休みをとり、長崎までの切符を買いました。】
鉄旅日記2009年9月20日・・・大分駅、中判田駅、豊後竹田駅、宮地駅、肥後大津駅、水前寺駅、辛島町
-
-
「鉄旅日記」2018年弥生 最終日(会津若松-新潟-吉田-三条-東京)その2-新潟、白山、内野、巻、吉田、燕(越後線/弥彦線) 【青春18きっぷを握り、目指したのはまたしても会津。練馬から旅立つ最後の旅でございます。】
鉄旅日記2018年3月4日・・・新潟駅、白山駅、内野駅、巻駅、吉田駅、燕駅(越後線/弥彦線) 11
