「鉄旅日記」2005年秋【軽井沢で挙式する身内を祝うために、初めて鉄道で旅をいたしました。ここから鉄旅が始まったのでございます。】最終日(小諸-軽井沢-高崎-水戸-東京)その1-小諸、軽井沢、横川(しなの鉄道)
鉄旅日記2005年11月7日・・・小諸駅、軽井沢駅、横川駅(しなの鉄道)
2005・11・7 東京葛飾金町
昨夜の雨は上がり、霧に煙った小諸から見える遥かなる信濃の山並。
ホテルを出る頃には晴れてきた。
品揃えのいい古城の土産物屋で彼女とその他へ。
そして駅近くで友人に酒を。
小諸は懐かしい。
でも懐古園に寄るのは初めてだ。
もちろん街を歩いたこともなかった。
島崎藤村の古井戸があり、粋な食べ物屋がある。
出来立ての町にはありっこないものが歩いていると見つかる。
離れがたい。
従兄弟が言うには、昔の駅前とは違うらしい。
もちろんそうだろう。
世は無常。
でもオレは覚えているよ。
改札を出て最初に見えるあの駅前風景を。
![](https://kazushiaruga.com/wp-content/uploads/2017/07/c2e2c4d37b3bc5d0039b23bb52e621ec-300x169.jpg)
2012年12月9日撮影
駅舎は信越本線の第三セクター移行にあたって上部を付け替えたのだろう。
昔からやっていそうな軽食堂が2階にある。
そこに上がれば、たぶんいい時代が見られただろう。
![](https://kazushiaruga.com/wp-content/uploads/2017/07/27197de2e49afc5e9455de56fb2ece35-300x169.jpg)
2012年12月9日撮影
車寅次郎は小諸でも恋をしている。
人情味あふれるいい話だった。
駅舎にはその時の記憶が写真として飾られていた。
ホームにはすでに軽井沢行が待っている。
昔の駅は改札口のあたりが何とも言えずいい。
寒い町ほどいい。
まるで家に着いた時のような気持にさせてくれる。
到着した人々も、あたたかそうな顔をして改札口から町へと出ていく。
![](https://kazushiaruga.com/wp-content/uploads/2017/07/41f447a970daa1d7ce2fff4122150e33-300x169.jpg)
2012年12月9日撮影
オレも昔両親に連れられて、暗くなった時分に何度かあの改札口を出た。
そこで見た小諸の駅前風景が初めてみる外界の風景だった。
そしてたいていの場合、その街がその者にとっての故郷を意味するのだろう。
今年になってから信濃人の末裔であることに誇りを感じている。
中学生の頃に夢中になって読んだ「すくらっぷぶっく」という少年チャンピオンに連載されていた漫画がある。
舞台は小諸。
当時はなぜよりによって小諸なのかと思っていたが、今は違う。
登場人物のイチノくんと理美ちゃんが別れ際に唇を重ねたのが小諸駅。
20年前の話だ。
あの漫画の背景には人々が多くいたけど、今朝認められた人影は多くない。
時代だとか、新幹線のコースから外されてしまった街だとか。
どうでもいい。
たんに離れがたかった。
列車が動きだした時は爽やかな寂しさが訪れた。
人生の素晴らしいところは、こうした寂しさを味わうことにもあるのだと感じている。
暦の上では冬を迎えた初日。
そんな日にしては強い日差しが車窓から入ってきていた。
だから小諸はオレの中ではあたたかい。
東小諸、乙女、平原、御代田、信濃追分、中軽井沢。
中軽井沢駅では昨日の駅長さんが丁寧な仕事をしている姿を見かけた。
そして晴天の軽井沢へ。
仕事の電話が入る。
かつて社員旅行で降り立った駅で、空と軽井沢プリンスホテルの人口ゲレンデを眺めながら必要なことを喋り出口へ。
さっぱりとした軽井沢駅前に行楽地の香りはなく、高原の清々しい空気が漂う駅だった。
列車を待つのにワルクない店もある。
2019年2月10日撮影
かつては碓氷峠へと延びていた線路はどうなったのだろうと視線を向けると、線路は続いていた。
見渡す限り続いていた。
峠下の横川駅に向かうバスに乗る。
乗客は10名ばかり。
彼等の行先への興味が湧く。
碓氷峠は何度も上り下りしている。
でも今日見た風景に見覚えはなかった。
雄大で険しい峠の風景。
一際目立つ山が妙義山。
飽きることのない風景に紅が加わっている。
2019年2月10日撮影
横川に着く。
まるで博物館のように、使われなくなったホームに古錆びた特急列車が時代を封じ込めたまま止まっている。
あるいは上野発で一番最後にこの駅に到着した特急列車が、そのまま留め置かれているのかもしれない。
駅舎はとても小さかった。
かつて栄えていた頃からこうだったのだろうか。
周辺の人家は少ない。
2019年2月10日撮影
横川に到着するたびに、大きな駅に着いたと感じていた過去。
列車が峠越えの準備をする間に人々は「峠の釜めし」を買いに走り、オレは「駅そば」に走った。
持ち帰ると伝えたにもかかわらず、陶器によそわれたそばを受け取ったこともあった。
「駅そば」はまだあった。
客足はどうだろう。
時代には置いていかれたが、ここで働く人々に余所者の感慨などはどうでもよく、朝夕に峠を眺めて暮らす。
軽井沢で一緒のバスに乗り合わせた人々が、皆同じ列車を待つ。
缶コーヒーを購入して煙草を吸っていると、まだ少女のような面影を残した女性が火を借りにきた。
可愛らしい女性だったことと、ふと見上げた駅と峠に挟まれた狭い空が美しかったことを覚えている。
鉄道が走らなくなった碓氷峠は明治以前の秘境に戻り、支配権も妙義の神に戻された。
関連記事
-
-
「鉄旅日記」2020年卯月【緊急事態宣言発令直前のことでございます。常磐線全線運転再開を祝して人知れず旅に出たのでございます。】初日(東京-新津)その3‐仙台、北山、葛岡、山形(仙山線)
鉄旅日記2020年4月4日・・・仙台駅、北山駅、葛岡駅、山形駅(仙山線) 12:25 仙台(せんだい
-
-
「鉄旅日記」2009年秋【女川を目指した旅。ここには震災前の女川の姿が残されております。】初日(東京-新庄)松戸、取手、友部、上菅谷、常陸太田、高萩、いわき、郡山、福島、米沢、山形、新庄(常磐線/水郡線/水郡線常陸太田支線/磐越東線/東北本線/奥羽本線)
鉄旅日記2009年10月10日・・・松戸駅、取手駅、友部駅、上菅谷駅、常陸太田駅、高萩駅、いわき駅、
-
-
「鉄旅日記」2006年新春【雪の降った翌日。近くのローカル線に乗りに出かけました。】-馬橋、流山、幸谷、新松戸、佐貫、竜ケ崎(常磐線/総武流山電鉄/関東鉄道竜ヶ崎線)
鉄旅日記2006年1月22日・・・馬橋駅、流山駅、幸谷駅、新松戸駅、佐貫駅、竜ケ崎駅(常磐線/総武流
-
-
「鉄旅日記」2020年卯月【緊急事態宣言発令直前のことでございます。常磐線全線運転再開を祝して人知れず旅に出たのでございます。】初日(東京-新津)その5‐小国、坂町、新津(米坂線/羽越本線)
鉄旅日記2020年4月4日・・・小国駅、坂町駅、新津駅(米坂線/羽越本線) 17:50 小国(おぐ
-
-
「鉄旅日記」2003年冬【ご縁と別れがあり、34歳の誕生日を北九州で迎えた日の記憶でございます。】初日(宇部-飯塚-博多)その2-博多の夜
鉄旅日記2003年2月15日 2003・2・15 サンシティ博多フレックス21 507号 とうと
-
-
「鉄旅日記」2018年秋【サンキューちばフリーパスでめぐる上総下総安房旅】初日(松戸-流山-潮来-銚子-東金-松戸)その1-松戸、北松戸、馬橋、萬満寺、流山、近藤勇陣屋跡、小金城趾、幸谷、新松戸、北小金、南柏、北柏、我孫子(常磐線/流鉄流山線)
鉄旅日記2018年9月22日・・・松戸駅、北松戸駅、馬橋駅、流山駅、小金城趾駅、幸谷駅、新松戸駅、北
-
-
「車旅日記」1998年夏【20代最後の旅でございます。青森港から北海道上陸を目指して北へ向かったのでございますが・・・。】初日(東京-青森フェリー埠頭)-東京町田、加平PA、千代田PA、東海PA、差塩PA、福島松川PA、泉PA、金成PA、北上金ヶ崎PA、岩手山SA、湯瀬PA、津軽SA、青森フェリー埠頭
車旅日記1998年8月12日 1998・8・12 7:21 東京町田 夏の第1ラウンドのツアーか
-
-
「鉄旅日記」2019年霜月【津軽鉄道、弘南鉄道に乗りにいきました。羽州街道を歩いた晩秋の旅でございます。】最終日(北上-東京)その2‐新庄、鳴子温泉、小牛田(陸羽東線)
鉄旅日記2019年11月4日・・・新庄駅、鳴子温泉駅、小牛田駅(陸羽東線) 11:19 新庄(しんじ
-
-
「鉄旅日記」2015年春【名鉄電車2DAYフリーきっぷで行く、中京旅】最終日その3(岩倉-東京)-津島、須ヶ口、神宮前、豊明、岡崎公園前、中岡崎、東岡崎、国府、豊川稲荷、豊川(名鉄津島線/名鉄本線/名鉄豊川線)
鉄旅日記2015年3月8日その3・・・津島駅、須ヶ口駅、神宮前駅、豊明駅、岡崎公園前駅、中岡崎駅、東
-
-
「車旅日記」2005年冬【どこへ行こうか。まっさきに浮かんだのが、昨夏に旅した南九州でございました。】最終日(人吉-天草-熊本空港)走行距離240㎞ その1-人吉駅、一勝地駅、球泉洞駅、佐敷駅、上田浦駅、千丁駅、有佐駅、道の駅不知火
車旅日記2005年2月13日・・・人吉駅、一勝地駅、球泉洞駅、佐敷駅、上田浦駅、千丁駅、有佐駅、道の