「鉄旅日記」2009年晩秋【陰陽を行き来した3日間。この国の秋は美しゅうございました。】初日(東京-倉敷)その2-北条町、姫路、播州赤穂、日生、備前片上、西片上、倉敷(北条鉄道/加古川線/山陽本線/赤穂線)
鉄旅日記2009年11月21日・・・北条町駅、姫路駅、播州赤穂駅、日生駅、備前片上駅、西片上駅、倉敷駅(北条鉄道/加古川線/山陽本線/赤穂線)
13:38 北条町(ほうじょうまち)駅(北条鉄道 兵庫県)
加西市の中心地。
寂れた終着駅を想像していたが現代的な駅舎を持ち、町のコミュニティと密着して多くの役割を受け持っている。
しばらく歩けば五百羅漢があり、角の大きな街案内には北条鉄道とともに大きく紹介されていた。
連絡橋を渡った先の大型店「アスティアかさい」はひっそりとしていて、町を心配したくなる。
鍛冶屋線の他にも、かつて加古川線から分岐する線は3線あったが、生き残ったのは北条線のみ。
今後の健闘を祈る。
粟生までの道中にめぼしいものはなく、開業時からの古い駅舎を売り物にしている。
15:33 姫路(ひめじ)駅(山陽新幹線/山陽本線/播但線/姫新線 兵庫県)
播州の首都は、国宝姫路城までの道のりに外人をはじめ大勢を集めて賑わっている。
みゆき通りをお城まで歩く。
西二階町にぼんぼりが灯り、街の外れに歓楽街があった。
京都時代の最後、一般道だけを走って東京から九州、四国へと渡ったあの壮大な旅でも姫路に寄った。
あれから何度も通っている。
街を貫くモノレールの廃線跡。
その存在を街に入る頃には思い出していた。
播州娘もまた美しく、多くの感慨を持って街を離れた。
30分などじゃとても足りない大きな街。
16:35 播州赤穂(ばんしゅうあこう)駅(赤穂線 兵庫県)
赤穂に寄ったのは何年前のことになるのか。
関西での記憶が雪のように積もっていく。
それはとてもうれしいことだ。
お城通りを往復する。
赤穂城址が中心の街で、品のいい店が駅に向かってぽつぽつと並んでいる。
明らかに観光地だが、風格のある静けさをまとっている。
赤穂浪士の討ち入りは師走の頃。
地元赤穂より、浪士たちが葬られた泉岳寺の方が賑わうのだろう。
事件の関係者は誰も赤穂には戻らなかった。
1983年に赤穂で王者ジャンボ鶴田は、挑戦者に「北海の白熊」二コリ・ボルコフを迎え防衛戦を行い、その日の興行はテレビ放送されている。
17:15 日生(ひなせ)駅(赤穂線 岡山県)
赤穂に寄った旅でのことだった。
宇野、城崎と泊まって京都に戻り、祇園に寄って彼女に会ったのか。
おそらくそうだろう。
ただ、もうよくは覚えていない。
その旅で250号国道を走ってここを通り過ぎて、後悔と未練が残った。
そこに何か忘れがたい景色を見たんだ。
あれから、ここを通るのは3度目になる。
港を出る船は小豆島へ向かうか、あるいは日生諸島を遊覧するもの。
案内板にはキリシタンの流刑地だった島や、潮干狩りが楽しめる島が見られる。
船の運航はもう終わって港は静まりかえり、夕暮れの寂しくも美しい風景を見せている。
今夜は三日月が出ている。
17:39 備前片上(びぜんかたかみ)駅(赤穂線 岡山県)にて
18:15 西片上(にしかたかみ)駅(赤穂線 岡山県)
ひとつ手前の備前片上駅から歩く。
備前市役所前を過ぎると町が明るくなった。
このホームから眺めると、余計に聳えて見える角の百貨店らしきものは撤退したのか。
あのあたりで畳表の懐かしい匂いが香った。
素敵なケーキ屋さんに、片上商店街があった。
菓子屋に肉、魚、旅館。
どれも一代やそこらの代物じゃない。
少し離れたところにあった居酒屋は閉まって真っ暗で、国道の時計屋は派手に電飾で彩っていた。
片上の中心は西片上で、ここから山陽本線の和気駅を通って山間に至る片上鉄道が平成に入っても営業していたが、現在は廃線となっている。
町を見下ろす高台1面ホームの駅に、先に赤穂行が入ってきた。
市役所には「赤穂線と共に」というような垂れ幕がかかっていた。
加古川線でも「加古川線をもっと利用しよう」と謳っていた。
廃線の危機が囁かれているのか。
どうかその事態は避けてほしい。
いつか2号国道から眺めた備前市の家並はどこらあたりだったのだろう。
もう暗くなってしまって吉井川にも会えない。
22:00 ヤングイン倉敷415号室
眠りから覚めたら西大寺。
乗客は増えていた。
備前国は穏やかに暮れて、岡山駅に降りる感覚はごく普通だった。
ここではもはやオレは異邦人ではない。
今となれば、かつてあれほどの縁を得た京都駅の方が緊張する。
時代は流れたのだ。
そしてオレは京都よりも先にある遠くの街を友として、こうして旅を続けている。
倉敷。
赤穂で思い出した旅で一度寄っている。
駅前風景に懐かしさは感じなかった。
あの日オレは美観地区には行っていない。
それよりももっと先へ行きたかったから、あの日はそれでよかった。
でも後悔は生じた。
それで今オレはこの街にいる。
美観地区はとても素敵だった。
似たような町並を持つ柳井、豊後竹田。
大好きな街だが、倉敷は規模において優る。
美観地区へとつながるアーケード街の風情もあわせて第一級の街だった。
倉敷で2大王座戦が組まれたのは1987年。
ジャンボ鶴田×ニック・ボックウィンクルのインター選手権。
天龍源一郎、阿修羅・原×スタン・ハンセン、ジョー・ディートンの世界タッグ選手権。
偉大なるニック・ボックウィンクルの最後の勇姿だった。
倉敷は天領か。
この街の価値が見失われることは考えられず、永遠の文化都市であり続けるだろう。
岡山は大空襲を受けたが、倉敷は無事だったのだろう。
彼女は夏にこの街に下りている。
万感の思いがあった9月は過ぎて、どうにも成長できないオレを連れて今ここにいいる。
情けない日々を過ごし、それをあらためる風もなく生きて、この街にきた。
酔客が騒ぐ声が聞こえる。
この街はいつまでも平和であってほしい。
世界に向けて誇れる街だった。
関連記事
-
「鉄旅日記」2020年弥生【富山地方鉄道に乗りにまいりました。太多線、高山本線に乗るのも楽しみにしていたのでございます。】初日(東京-高山)その5‐飛騨金山、下呂、禅昌寺、飛騨萩原、上呂(高山本線)
鉄旅日記2020年3月20日・・・飛騨金山駅、下呂駅、禅昌寺駅、飛騨萩原駅、上呂駅(高山本線) 16
-
「鉄旅日記」2019年如月【週末パスで東京から伊豆。そして上州、信州へ。友人は言ったものでございます。何気に大層な移動距離だと。】初日(東京-安中)その2-伊豆急下田、伊豆高原、橋本、八王子、東福生、福生、拝島(伊豆急行線/横浜線/八高線/青梅線)
鉄旅日記2019年2月9日・・・伊豆急下田駅、伊豆高原駅、橋本駅、八王子駅、東福生駅、福生駅、拝島駅
-
「鉄旅日記」2020年弥生【富山地方鉄道に乗りにまいりました。太多線、高山本線に乗るのも楽しみにしていたのでございます。】初日(東京-高山)その3‐上諏訪、塩尻、洗馬、中津川(中央本線)
鉄旅日記2020年3月20日・・・上諏訪駅、塩尻駅、洗馬駅、中津川駅(中央本線) 10:27 上諏訪
-
「鉄旅日記」2008年初夏【まほろばの路から紀州へ。紀伊半島で過ごした短い夏の記憶でございます。】2日目(和歌山-松阪)その1-和歌山市、和歌山、海南、西御坊、御坊、紀伊田辺、白浜(紀勢本線/紀州鉄道)
鉄旅日記2008年7月20日・・・和歌山市駅、和歌山駅、海南駅、西御坊駅、御坊駅、紀伊田辺駅、白浜駅
-
「鉄旅日記」2020年弥生【富山地方鉄道に乗りにまいりました。太多線、高山本線に乗るのも楽しみにしていたのでございます。】2日目(高山-速星)その1‐高山、打保、猪谷、富山、電鉄富山(高山本線)
鉄旅日記2020年3月21日・・・高山駅、打保駅、猪谷駅、富山駅、電鉄富山駅(高山本線) 2020
-
「鉄旅日記」2016年春【下北半島から東日本大震災被災地へ】最終日(石巻-東京)その2-久田野、新白河、豊原、白坂、黒磯、西那須野、那須塩原、矢板(東北本線)
鉄旅日記2016年3月21日その2・・・久田野駅、新白河駅、豊原駅、白坂駅、黒磯駅、西那須野駅、那須
-
「鉄旅日記」2009年秋【女川を目指した旅。ここには震災前の女川の姿が残されております。】最終日(新庄-東京)その2-女川、渡波、松島海岸、本塩釜、仙台、駒ヶ嶺、原ノ町、桃内、いわき、石岡(石巻線/仙石線/常磐線)
鉄旅日記2009年10月11日・・・女川駅、渡波駅、松島海岸駅、本塩釜駅、仙台駅、駒ヶ嶺駅、原ノ町駅
-
「鉄旅日記」2020年弥生【富山地方鉄道に乗りにまいりました。太多線、高山本線に乗るのも楽しみにしていたのでございます。】初日(東京-高山)その1‐金町、東京、高尾、藤野(常磐線/中央本線)
鉄旅日記2020年3月20日・・・金町駅、東京駅、高尾駅、藤野駅(常磐線/中央本線) 2020・3・
-
「車旅日記」1996年黄金週間【友を訪ねて大阪へ。そして約束の地、金沢へ。夢を見ながら国道を走った日々でございます。】3日目 いよいよ金沢へ‐その1(R1→湖岸道路)伏見、山科西野、大津駅、瀬田駅、守山、彦根
車旅日記1996年5月5日 1996・5・5 11:36 1号国道‐伏見 黄金週間の混雑は古都の
-
「車旅日記」1995年秋【恋に病んで・・・西へ。1号国道をひたすら、大阪の友に会いにいく。】その2-東寺、五条大橋、琵琶湖湖岸道路、米原、関ヶ原・・・・-
車旅日記1995年11月5日 1996・11・5 9:19 1号国道-東寺 京都乱入。 晴