「鉄旅日記」2014年春 最終日(魚津-東京)その1-魚津、生地、黒部、電鉄黒部、泊、親不知、越中宮崎、糸魚川、能生、梶屋敷、浦本(北陸本線) 【青春18きっぷで、丹後若狭から北陸、信州へ】
鉄旅日記2014年3月23日その1・・・魚津駅、生地駅、黒部駅、電鉄黒部駅、泊駅、親不知駅、越中宮崎駅、糸魚川駅、能生駅、梶屋敷駅、浦本駅(北陸本線)
2014・3・23 6:02 魚津(うおづ)駅(北陸本線 富山県)
たいして眠れなかったけど、魚津でいい夢を見た。
寒さに敬意を表すべき朝だ。
駅に行ったら、雪景色の立山連山が幻のように見えている。
巨大な壁だ。
行く手は完全に遮られている。
魚津は蜃気楼の街でもある。


6:22 生地(いくじ)駅(北陸本線 富山県)
公民館だけがある駅前に4分の滞在。
ガランとした待合室に健全な少女たちが次々とやってきて笑顔を交わしている。
美しい朝の光景だ。
ホームでは鋼の肉体のような立山連山の彫刻美を飽かずに見つめていた。
ひと駅戻り黒部へ。
近寄りがたい神の懐に戻るべく黒部へ。

電鉄黒部(でんてつくろべ)駅(富山地方鉄道本線 富山県)にて



黒部~電鉄黒部間(徒歩)

6:54 黒部(くろべ)駅(北陸本線 富山県)
雪だった2007年1月。
駅前にたった一軒の中華食堂は健在だった。
ホテルアクア、中央病院を過ぎ、黒部の繁華街まで快足歩きで8分。
廃屋の目立つ寂れた街を貫くストリートが美しかった。
行く手はやはり立山連山が立ち塞がっている。
戦国の頃、佐々成政は富山城からあの景色の中へと消え、やがて浜松に姿を現す。
同盟関係にあった柴田勝家を滅ぼした豊臣秀吉からの圧力が迫り、自領を出ればすべて敵地という状況下で、彼はその苦境を打破するべく、こともあろうにあの幻を連想させる大山脈を越えて浜松に辿り着き、徳川家康を頼ることを思いつく。
厳冬期に行われた「さらさら越え」。
とてつもないことをやった男だ。
結局彼の行為が報われることはなかったが、彼以来伝え聞くことのない壮挙で、現代を生きるどんな冒険家もそんな真似はしないだろう。
彼は帰りもその険路を辿り富山に帰り着く。
そんなこんな、立山連山はずっと黒部の街を見てきた。
新幹線景気があるのなら、どうか黒部を潤してほしい。
過去2度の黒部行でも確かそう思った筈だ。

7:15 泊(とまり)駅(北陸本線 富山県)
特急の通過を見送るため5分の停車。
言ってみれば旧友との再会みたいなものだ。
大和屋旅館が右手にあって、駅前商店街が真っ直ぐに延びている。
何年前かは忘れたがオレは車でこの駅に立ち寄っている。


車窓からの立山連山

7:39 親不知(おやしらず)駅(北陸本線 新潟県)
8号国道沿いのかつて立ち寄ったピアパークがここから見えたと思っていたけど、記憶違いだったか。
北アルプスの先端、名勝親不知子不知。
承久の乱では鎌倉軍と後鳥羽上皇軍の壮絶な死闘が行われたという。
そんな天下の険に恐れを抱いた過去いく度かの北陸行。
ここを通る時はたいてい早朝で、急カーブに身を縮ませたものだ。
今回初めて電車に乗ってやってきた。
車と違って、穏やかなものだ。
北陸自動車道の高架と日本海に目を向けて、ここから2駅戻る。



7:58 越中宮崎(えっちゅうみやざき)駅(北陸本線 富山県)
かつて「たら汁」を食べた栄食堂は営業中だったよ。
この国をまだよく知らない頃、もっとも今もよく知ったとは言いがたいが、とにかく昔のことだ。
ここを通る度に何度も同じことを記してきた「旅と女と孤独」の話がある。
でも今日はよそう。
もう次はないかもしれないが、よしておこう。
オレはもはや孤独ではないのだから。
再生することはないであろう宮崎海岸の廃れた駅前風景。
あれからずっと無常を感じて生きてきたが、今回の再訪では角の釣具屋の亭主と偶然同じ列車に乗り合わせていて、その巨体を追い抜く際に何者だろうと思いつつ駅を出た。
海岸に出て美しい日本海を見た。
朝から楽しんでいる集団がいて、風が吹いて、帰り道に彼の正体を知った。
日々無常の中で生きる彼にとって、オレのようにふらふらしているように見える男はさぞ腹立たしい存在に違いない。




8:54 糸魚川(いといがわ)駅(北陸本線/大糸線 新潟県)
30分近く停車。
関西のオッサンに話しかけられる。
たぶん、魚津から乗った時に隣りの車両の長椅子で横になって寝ていた人だ。
陽気で精力的で、オレのどこを気に入ったのか、お握りをくれようとしたりする。
「あの山は何や?」と地元の少年に話しかけてくれたお陰で黒姫山の存在を知った。
翡翠の街、糸魚川の駅は新幹線開業に合わせて変貌していた。
8号国道まで歩き、展望台から日本海と北アルプスを望み、木造アーケードが残る古い街並を歩いた。
加賀前田公御用達の造り酒屋がおそらく当時のまま現存していた。
旅館、何かを商う店、商いをやめた家。
そんな古い建物が押し込まれるように連なり、場違いに見えるスナックの姿もある。
銭湯のような懐かしさを感じた。
語り尽くせない味わいを持った街だ。






9:58 能生(のう)駅(北陸本線 新潟県)
この町で60分を過ごす。
さっきから駅のホームでアンパンなんぞを食べているが、ここは日差しに満ちてあたたかく、北陸の長い冬ももう終わりだと感じている。
8号国道に沿う海岸線はテトラポットに埋め尽くされ進入を許さない。
やむなく引き返してスーパーに入った。
9:00過ぎだというのに駐車場は随分埋まっている。
レジですぐ前に並んでいたご婦人がたった一本のビールを持って立ち尽くしているオレに「お先にどうぞ」と声をかけてくる。
「気にしないでほしい」旨を感謝とともに告げ、外に出て気持よくビールを飲んでその場を離れた。
東京ではまず見られない人情だった。
能生駅には駅員がいる。
品のいい女性だ。
電話応対などそれなりに忙しそうだったが、ホームに上がろうとするオレに「寒いですよ」と気遣いをくれる。
ストーブの置かれた待合室には顔に深い皺を刻んだ爺さんが所在なげに座っていた。
おそらく飽きるまでずっといるつもりなのだろう。
自分がいることで、オレが入室を遠慮しているのじゃないかと気にする素振りを見せた。
だからオレはここで日を浴びているわけだ。
北風がやんだ。
とてもあたたかい。
2駅戻る。

梶屋敷(かじやしき)駅(北陸本線 新潟県)にて

梶屋敷~浦本間(徒歩)


11:04 浦本(うらもと)駅(北陸本線 新潟県)
ひとつ手前の梶屋敷駅から早川を越え、白峰を振り返り振り返り歩いた。
約40分の徒歩行。
すれ違ったオッサンは北朝鮮の故金正日将軍にとてもよく似ていた。
会釈をしたら愛嬌とともに返したくれた。
オレと誕生日が同じで、人民に対して圧政を敷いた故将軍も一皮むけば、これもオレと同じように「男はつらいよ」が大好きだったという。
故金大中元韓国大統領との会談の際に見せた笑顔を見て思ったことでもあるが、案外人のいい男だったのかもしれない。
快晴の日本海路を童心に戻って歩いた。
カモメの一団がV字に飛んでくる。
うれしく楽しく歩いた。
振り返ると北アルプスが親不知で断崖となり日本海に落ち込む姿が見えて、とても気高く感じた。
8号国道を走っていたドライバーもさぞ気持ちよかっただろう。
オレもかつてたった一度同じ方向に車を走らせたことがあったが、あの光景は覚えていない。
梶屋敷駅は村の中心にあって近くの旧道には旅館や割烹を謳う食堂がある。
浦本駅は村外れのトンネルの手前に位置していた。
目にしたものすべてが美しく愛おしかった。


関連記事
-
-
「車旅日記」1996年秋【夏をあきらめきれず、秋。再び夏のルートへと向かったのでございます。】最終日(鳴子温泉‐米沢‐東京) 鳴子サンハイツ、鳴子温泉駅、芦沢駅、赤湯駅、米沢郊外、磐梯、猪苗代湖、新白河駅、氏家、春日部、三軒茶屋、東京町田
車旅日記1996年11月3日 1996・11・3 9:09 鳴子サンハイツ 拝啓 その後、元気です
-
-
「鉄旅日記」2008年皐月 4日目(徳島-善通寺)その2-海部、桑野、阿南、穴吹、佃、琴平、善通寺(牟岐線/徳島本線/土讃本線) 【旅は京都から始まり、山陰から下関へ。そして四国へと渡ったのでございます。】
鉄旅日記2008年5月5日・・・海部駅、桑野駅、阿南駅、穴吹駅、佃駅、琴平駅、善通寺駅(牟岐線/徳島
-
-
「鉄旅日記」2021年春 初日(東京-米内沢)その1‐金町、上野、古川、陸前谷地(常磐線/東北新幹線/陸羽東線) 【大人の休日倶楽部パスで東北へ。新幹線、在来線特急乗り放題でございます。続くコロナ禍ではございますが、約半年の辛抱の時を過ぎて、天候にも苛まれながら秋田内陸縦貫鉄道に乗りに行きました。】
鉄旅日記2021年4月17日・・・金町駅、上野駅、古川駅、陸前谷地駅(常磐線/東北新幹線/陸羽東線
-
-
「鉄旅日記」2020年初秋 初日(東京-高松)その4 ‐姫路、相生、有年、三石(山陽本線) 【時空の友を訪ねて讃州高松へ。金比羅さん、瀬戸大橋、大歩危、小歩危などを友とめぐり、義仲寺に寄り、直島に渡り、水島臨海鉄道にも乗った4日間の記録でございます。】
鉄旅日記2020年9月19日・・・姫路駅、相生駅、有年駅、三石駅(山陽本線) 14:31&n
-
-
「鉄旅日記」2008年初夏 2日目(和歌山-松阪)その2-串本、新宮、尾鷲、紀伊長島、三瀬谷、多気、松阪(紀勢本線)【まほろばの路から紀州へ。紀伊半島で過ごした短い夏の記憶でございます。】
鉄旅日記2008年7月20日・・・串本駅、新宮駅、尾鷲駅、紀伊長島駅、三瀬谷駅、多気駅、松阪駅(紀勢
-
-
「鉄旅日記」2021年春【週末パスで信濃へ。妙高高原駅で引き返し、松本の友人を訪ね、大糸線を旅して思い出の白馬へ。先の旅から一週間後のことでございました。】最終日(松本-東京)その3 ‐南小谷、白馬大池、信濃森上、白馬(大糸線)
鉄旅日記2021年4月25日・・・南小谷駅、白馬大池駅、信濃森上駅、白馬駅(大糸線) 11:
-
-
「鉄旅日記」2017年冬 初日(東京-会津若松)その1-大泉学園、北千住、東武動物公園、上三依塩原温泉口、中三依温泉、会津高原尾瀬口、七ヶ岳登山口、会津山村道場(西武池袋線/東武伊勢崎線/東武鬼怒川線/野岩鉄道/会津鉄道) 【会津へ。会津へ行きたかったのでございます。】
鉄旅日記2017年12月2日・・・大泉学園駅、北千住駅、東武動物公園駅、上三依塩原温泉口駅、中三依温
-
-
「車旅日記」2000年春 初日(東京‐足利‐鬼怒川‐会津若松‐新潟豊栄)その1‐葛飾金町、幸手駅、古河駅、渡良瀬遊水地北エントランス、藤岡駅、佐野厄除け大師、足利駅 【一年のブランクを経て、旅再開。出発場所は東京町田から、下町葛飾へと変わっております。】
車旅日記2000年5月3日 2000・5・2 東京葛飾金町 前夜祭 旅に出る前夜。 これほどの胸の
-
-
「鉄旅日記」2006年如月 その1-取手、土浦、勝田、阿字ヶ浦、那珂湊、日立、大津港(常磐線/茨城交通) 【房総半島から1週間。常磐線に乗って、下っていったのでございます。】
鉄旅日記2006年2月11日・・・取手駅、土浦駅、勝田駅、阿字ヶ浦駅、那珂湊駅、日立駅、大津港駅(常
-
-
「車旅日記」1997年梅雨明け【疲れきった若き日々。またしても向かうのは北でございました。】(東京-鳴子温泉)初日-町田、用賀、築地、北松戸、荒川沖駅、美野里パーキング、常陸多賀駅、いわき久ノ浜パーキング
車旅日記1997年7月19日 1997・7・19 19:42 東京町田 さしたる感慨も浮かばない。
