*

「鉄旅日記」2009年秋【関東ぶらぶら旅その2-武蔵から相模へ】-川口、浦和、深谷、倉賀野、寄居、東飯能、飯能、寒川、茅ヶ崎、辻堂、新橋(京浜東北線/高崎線/八高線/相模線/東海道本線)

公開日: : 最終更新日:2024/05/09 旅話, 旅話 2009年

鉄旅日記2009年10月27日・・・川口駅、浦和駅、深谷駅、倉賀野駅、寄居駅、東飯能駅、飯能駅、寒川駅、茅ヶ崎駅、辻堂駅、新橋駅(京浜東北線/高崎線/八高線/相模線/東海道本線)
2009・10・27 9:19 川口(かわぐち)駅(京浜東北線 埼玉県)
久々に乗る朝の常磐線は、都会口へ出るまでの距離を感じさせた。
葛飾下町から都会に出るには少なくともあれだけの時間と労力が必要らしい。

キューポラのある街、川口は大宮によく似ていた。

西口には劇場を思わせるロータリーと巨大構造物。
東口正面にSOGOを置いて、脇を固めるのはパチンコ屋が入った雑居ビル。
東北本線に並行して商店街が長く続いていた。

荒川を越えれば東京で、「駅そば」の屋号は「中山道」。

鋳物の街としての機能は現在も生きているのだろうか。
目にしたのはたんに都会風の街だった。

いつかここで酒を飲んでみたいと思う街ではあった。

9:58 浦和(うらわ)駅(東北本線/高崎線/京浜東北線 埼玉県)
繁華街は西口に移り、風格を持つ埼玉県庁に向けて大通りが延びている。
まるで太刀持ちのように脇を自民党と民主党が固め、手前の埼玉会館も人を集めていた。

西の伊勢丹、東のPARCO。
東口はまるで幕張のようだ。

PARCOが進出しても、一度できた人の流れは簡単に変えられるものじゃないようで、PARCOが滑稽なまでに立派に見える。
都会の一歩手前の街だった。

商店街でお年寄りがぼんやりと腰かけていた。
駅前広場でもお年寄りの一団が見られた。

都会を見たかったわけじゃない。
浦和がどんな顔をしているのか知りたかっただけだが、歩ききれない。

川口でもそうだったが、ここ浦和でも歓楽街は目に入らなかった。

11:04 深谷(ふかや)駅(高崎線 埼玉県)
東京駅を模した駅を出ると、キンカ堂がまず目に入る。

渋沢栄一生誕の地を謳う街には山の気が漂う。
関東の果てはまだ先で、街中から山は見えないが、川口や浦和には吹いていなかった風を肌に感じている。

台風20号が去った関東に強い日差しが降り注いでいる。
平野の端に秩父の山並が見えだした。

深谷にどんな用があるのか知らないが、ルートインをはじめビジネスホテルがいくつかある。
駅に並ぶ建物の中には、駅に倣ってレンガ造りのものがいくつかあって、笑いを誘った。

11:46 倉賀野(くらがの)駅(高崎線/八高線 埼玉県)
特徴のない駅舎に、商店を持たない駅前。
分岐駅だけあって構内は広く、長い跨線橋だけが印象に残る。

2両編成のディーゼル列車に乗って高麗川に向かっている。

旅情には期待していなかったが、ここは濃厚だ。
乗客にも鄙を感じる。

12:27 寄居(よりい)駅(八高線/東武東上線/秩父鉄道 埼玉県)
倉賀野と同じような駅で5分の停車。
構内は広く、外に出るのはよした。

東武線、秩父鉄道が乗り入れる大鉄道駅で、この旅で初めて山が迫り、景色がより田舎じみてきた。

発車して濁流の荒川を渡る。
ちょっとした絶景をそこに見た。

14:17 東飯能(ひがしはんのう)駅(八高線/西武秩父線 埼玉県)
甲子園で見かけた聖望学園脇を通り、列車は東飯能に着く。

西武鉄道の街とも言えるこの駅にはマルヒロが、飯能銀座の先にある飯能駅にはpepeが聳えている。

そうした街だが、マルヒロの高層階は閉鎖されている。
以前は飲食店街があったのに違いない。
この手の構造物に例外はない。

食事は飯能駅に近いラーメン屋で。
仕事の電話をかけて、明日の予定が2件決まった。

2つの駅をつなぐ街並に田舎の匂いはない。
無理に探せば、ここは関東平野の一番端の街で、秩父の山々が迫っていること。

いくつか渡った川には護岸工事がされておらず、その自然な様が喜ばしい。

それにしてもJRに比べて、西武鉄道の運賃が安いことには少し驚いた。

飯能(はんのう)駅(西武池袋線/西武秩父線 埼玉県)にて

16:42 寒川(さむかわ)駅(相模線 神奈川県)
八王子、橋本で乗り換えて、この沿線じゃ有名な町に降りる。

その寒川駅前は寂しいものだ。
空地が目立ち、誘われるような街の灯もない。

多くの者が降りたが、改札を抜けると人声は絶えて、ただただ強烈な西日に照らされていた。

寒川神社はあるいはここから遠いのだろうか。
橋本からずっと見えていた丹沢の山々はこの先もまだ見えるのだろうか。

次の列車がやってきて、次の香川駅に着く。
こっちの方が駅前の風情は優れている。

宮脇俊三さんの本で、寒川からはかつて西寒川に向かう支線が出ていたことを知ったが、その頃になってようやくその事実を思い出した。

17:15 茅ヶ崎(ちがさき)駅(東海道本線/相模線 神奈川県)
この街に着けば、大学時代に淡い想いを寄せた女友達を思い出す。

かつて彼女が水着姿で自転車に乗って駆け抜けた街。
近くを車で何度も通っているはずだが、見覚えはない。

この駅を記憶していると思い込んでいたが、脳裏に浮かぶ姿は幻だった。

別に構わない。
当時駅に用があったわけじゃなく、その女友達と海に用があった。
その記憶は鮮明だから。

湘南に向いた街並は歴史を感じさせる。
おそらく彼女と遊んでいた当時から変わっていないのだろう。

北口にはまったく覚えがない。
駅ビルをはじめとする新興勢力が台頭する未来型の造りで、少し歩くとすぐに商圏を外れる。

駅弁の中に鰺寿司があった。
彼女への手土産にすればよかったと後悔している。

17:38 辻堂(つじどう)駅(東海道本線 神奈川県)
広大な更地を目にしている。
そんなだだっ広い場所に吹く風が夕暮れ時を心地よくしている。

辻堂の商圏も狭かったが、クリスマスを想わせる素敵な灯が灯っていた。
そんな頃ももう近い。
線路際では湘南に似つかわしい、まったりとしたポップスが流れていた。

当時、茅ケ崎の女友達は辻堂を知らなかった。
彼女は今も茅ヶ崎で幸せに暮らしているが、辻堂は相変わらず通過しているだけなのかもしれない。

この町のどこかに珈琲館があったんだ。
オレにとっての辻堂とは、あの店が放つ灯がすべてだった。
ただ懐かしい。

そして当時とそうは変わらない姿で、こうしてひととき戻ってきた。
彼女にばったり会っても驚かれることはないだろう。
今のオレにとっちゃ、それが一番大切なことだ。

そして新橋に向かっている。
愛する女性に会いにいく。

23:22 新橋(しんばし)駅(東海道本線/山手線/京浜東北線/横須賀線快速/東京メトロ銀座線 東京都)
愛することってむずかしい。
かつて佐野元春は歌っていた。

でも分かったような気でいるよ。

都会を走っている。
そこに戻ってきた。

関連記事

「車旅日記」2005年初夏【長岡、会津、庄内。戊辰戦争ゆかりの地を巡りたかったのだと記憶しております。】最終日(新潟-五泉-弥彦-柏崎-長岡)走行距離246㎞ その1-新津駅、五泉駅、巻駅、弥彦駅、柏崎駅、笠島駅

車旅日記2005年7月18日・・・新津駅、五泉駅、巻駅、弥彦駅、柏崎駅、笠島駅 2005・7・18

記事を読む

「車旅日記」2000年夏Part.2【友を訪ねて備後福山へ。長門宇部へ。2000㎞に及ぶ長大な旅路でございました。】2日目(琵琶湖志賀-福山)桂川PA、三木SA、白鳥PA、篠坂PA、芦田川畔

車旅日記2000年8月13日・・・桂川PA、三木SA、白鳥PA、篠坂PA、芦田川畔 2000・8・1

記事を読む

「鉄旅日記」2015年夏【日本最南端の終着駅、枕崎までの往復旅】3日目(鹿児島中央-西鉄柳川)その1-指宿、枕崎、入野、開聞、山川、喜入、瀬々串、慈眼寺、南鹿児島、郡元(指宿枕崎線)

鉄旅日記2015年8月14日その1・・・指宿駅、枕崎駅、入野駅、開聞駅、山川駅、喜入駅、瀬々串駅、慈

記事を読む

「鉄旅日記」2017年秋【湘南へ向かう休日。江ノ電に乗りに行ったのでございます。】その2-和田塚、由比ヶ浜、長谷、鎌倉大仏殿高徳院、極楽寺、稲村ケ崎、七里ヶ浜、鎌倉高校前(江ノ島電鉄)

鉄旅日記2017年11月12日・・・和田塚駅、由比ヶ浜駅、長谷駅、極楽寺駅、稲村ケ崎駅、七里ヶ浜駅、

記事を読む

「鉄旅日記」2020年文月【コロナ禍でございます。内緒の旅でございました。余部鉄橋へ。萩へ。霧の街へ。東京五輪延期で浮いた4連休の記録でございます。】初日(東京-香住)その6‐上川口、養父、豊岡、香住(山陰本線)

鉄旅日記2020年7月23日・・・上川口駅、養父駅、豊岡駅、香住駅(山陰本線) 18:35&

記事を読む

「鉄旅日記」2008年初秋【秋になると北陸に行きたくなるものでございます。能登半島をはじめ、いくつもの終着駅へと行き着いたのでございます。】初日(東京-羽咋)その2-新西金沢、野町、加賀一の宮、西金沢、羽咋(北陸本線/北陸鉄道石川線/七尾線)

鉄旅日記2008年9月13日・・・新西金沢駅、野町駅、加賀一の宮駅、西金沢駅、羽咋駅(北陸本線/北陸

記事を読む

「車旅日記」2003年晩秋・番外編【京都にて】-京都御所、宇治川公園、京都駅

車旅日記2003年11月25日・・・京都御所、宇治川公園、京都駅 2003・11・25 10:57

記事を読む

「鉄旅日記」2012年春【青春18きっぷで、鶴見線・伊豆・駿河途中下車旅】その1-扇町、浅野、海芝浦、国道、大川、保土ヶ谷、東戸塚、網代、伊豆多賀、宇佐美、熱海(鶴見線、海芝浦支線、大川支線、東海道本線、伊東線)

鉄旅日記2012年4月8日その1・・・扇町駅、浅野駅、海芝浦駅、国道駅、大川駅、保土ヶ谷駅、東戸塚駅

記事を読む

「鉄旅日記」2009年晩秋【陰陽を行き来した3日間。この国の秋は美しゅうございました。】2日目(倉敷-和田山)その2-郡家、若桜、智頭、京口、福崎、寺前、和田山(因美線/智頭急行/播但線)

鉄旅日記2009年11月22日・・・郡家駅、若桜駅、智頭駅、京口駅、福崎駅、寺前駅、和田山駅(因美線

記事を読む

「車旅日記」2000年夏Part.1【信濃、飛騨、そして能登島。帰りは北陸路。この国の美しさをあらためて感じました夏旅でございます。】2日目(諏訪-飯田-飛騨古川-能登島)上諏訪、辰野駅、駒ヶ根駅、飯田駅、道の駅賤母、ドライブイン飛騨花工場、道の駅飛騨古川、能登島

車旅日記2000年7月21日 2000・7・21 7:55 上諏訪某リゾートクラブ 朝湯につかり

記事を読む

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

「鉄旅日記」2020年文月【コロナ禍でございます。内緒の旅でございました。余部鉄橋へ。萩へ。霧の街へ。東京五輪延期で浮いた4連休の記録でございます。】最終日(三次-東京)その1‐三次、上下、府中(福塩線)

鉄旅日記2020年7月26日・・・三次駅、上下駅、府中駅(福塩線)

「鉄旅日記」2020年文月【コロナ禍でございます。内緒の旅でございました。余部鉄橋へ。萩へ。霧の街へ。東京五輪延期で浮いた4連休の記録でございます。】3日目(萩-三次)その5‐備後落合、備後庄原、三次(芸備線)

鉄旅日記2020年7月25日・・・備後落合駅、備後庄原駅、三次駅(芸

「鉄旅日記」2020年文月【コロナ禍でございます。内緒の旅でございました。余部鉄橋へ。萩へ。霧の街へ。東京五輪延期で浮いた4連休の記録でございます。】3日目(萩-三次)その4‐宍道、加茂中、出雲横田、出雲坂根(木次線)

鉄旅日記2020年7月25日・・・宍道駅、加茂中駅、出雲横田駅、出雲

「鉄旅日記」2020年文月【コロナ禍でございます。内緒の旅でございました。余部鉄橋へ。萩へ。霧の街へ。東京五輪延期で浮いた4連休の記録でございます。】3日目(萩-三次)その3‐黒松、仁万、出雲市、荘原(山陰本線)

鉄旅日記2020年7月25日・・・黒松駅、仁万駅、出雲市駅、荘原駅(

「鉄旅日記」2020年文月【コロナ禍でございます。内緒の旅でございました。余部鉄橋へ。萩へ。霧の街へ。東京五輪延期で浮いた4連休の記録でございます。】3日目(萩-三次)その2‐益田、三保三隅、浜田、波子(山陰本線)

鉄旅日記2020年7月25日・・・益田駅、三保三隅駅、浜田駅、波子駅

→もっと見る

    PAGE TOP ↑