「車旅日記」2006年初夏【これが最後の車旅でございます。鈴鹿山脈を回るように、終着駅を探して走ったのでございます。】最終日(近江八幡-長浜-揖斐-岐阜)-ホテルはちまん、近江八幡駅、安土駅、彦根駅、長浜駅、垂井駅、美濃赤坂駅、揖斐駅、木知原駅
鉄旅日記2006年7月17日
2006・7・17 8:26 ホテルはちまん607号
昨日、鈴鹿山脈に雲がかかっていたからな。
今朝は雨。
しっとりとした雨。
3日振りに見たテレビじゃ、秋田の男児殺害事件。
関西でも同じ事件を扱っている。
当り前か。
全国が同じ情報を共有している。
願わくば、うれしいニュースを共有したいものだ。
雨は想定していた。
空を頼るなと、詩人の三代目魚武さんが言っていた。
オレも心の中にハレを描いて出かけよう。
8:58 近江八幡駅(7月16日の岐阜駅より319㎞)
激しい雨が降る。
高校生たちが部活に向かう朝の風景が駅にある。
高校サッカーで全国を制した野洲はここから近い。
レンガ色の駅舎にはコンビニが2軒。
1軒は昨夜閉まっていたけど、駅に活気はある。

2015年3月22日撮影
近江鉄道の終着駅でもある近江八幡。
近江、滋賀県の地図をオレには正確に描けない。
八幡山の方向にテレビ塔が見える。
秀吉の狂気に触れ、一族もろとも破滅的な最期を遂げた豊臣秀次が築き、近江商人が生まれた街。
水郷の古き商家のたたずまい。
これからそれを見に行く。
メンタームで有名な近江兄弟社行きのバスが街を往く。
9:22 安土駅(7月16日の岐阜駅より331㎞)
八幡商店街から旧町屋を通り、八幡城址を左に見て、琵琶湖に向けて車を走らせた。
水郷は日本一を謳う。
人気のない船着き場は雨に叩かれていた。
琵琶湖の内陸は山深く、やがて西の湖が見えて、空が広くなった。
180度に広がる空は近江の国にもあったか。
しっとりとした音楽をかけながら安土へ。
町の体育館や建物が、さながら安土城のように見える。
織田信長が最後に夢を見た地は、彼の死とともに歴史の檜舞台に上がることもなく、昔ながらの古い駅舎が信長像に見守られながら静かに雨に濡れている。
あれから檜舞台に立つことがなかったために、この町は信長の死後400年以上を経ても彼の町であり続けている。
永遠にそうなのだろう。
それだけ歴史に重い事績を残した男だった。
上りは米原、下りは姫路、網干。
JR西日本は鈍行列車にずいぶん長い距離を走らせる。
10:16 彦根駅(7月16日の岐阜駅より358㎞)
世界の終わりのような空だった。
真っ暗だったんだ。
それからの土砂降り。
かつて静岡の海を目指して平塚まで行って断念した時や、青森、松山での降り。
いずれもひどい降りだったけど、完全に凌駕していた。
あの黒い雲はもはや上空になく、果てしなくグレーに染まっている。
湖岸道路はそんな天候の中でも快走路で、琵琶湖は空のグレーに染まることはなく、懸命に水の色を表現して、雨と靄に抗していた。
静かで激しい風景だった。
彦根城と旧城下町のたたずまいが美しい。
琵琶湖といくつもの水路でつながる街並も美しい。
駅前には彦根藩の祖、井伊直政の像が立っている。
近江鉄道が再び姿を見せて、駅からはお城も見える。

2015年3月22日撮影
1860年に起きた桜田門外の変で、大老職にあった藩主の井伊直弼が暗殺されてから、徳川幕府と三河以来の譜代井伊氏の関係は微妙なものになっていったのだろう。
旧幕府軍と薩長軍の間で戦端が開かれた鳥羽伏見の戦いで、徳川家に事あれば先鋒の名誉を担っていた彦根藩は薩長軍に寝返り、旧幕府軍の気勢を削いだ。
そうして残された彦根の街は、何度も言うが美しい。
彼女から便りが届いた。
11:56 長浜駅(7月16日の岐阜駅より375㎞)
秀吉の出世城、長浜へ。
湖岸を走るのはここまで。
琵琶湖ともまたしばらくのお別れになる。
駅に着いて、待合所で彼女にメールを送る。
心は上天気と結ぶ。
長浜城と旧長浜駅舎を見物。
昼食も済ませ、彼女と友人へ土産の酒を購入。
思いのほか長浜を楽しむ。
明治15年開業の長浜駅の現在の姿は二代目で、今年の10月には三代目が姿を現すとのこと。
湖東の街は優しい。
血とともにあった時代は去り、現在の城下町の賑わいはそれなりのものだ。
テレビ放送はなかったが、かつて長浜でジャンボ鶴田は喧嘩番長ディック・スレーターの挑戦を退け、黒雲は東へ去った。
現在は細い雨が降っている。
いい思い出ができた。
彼女にまつわる素敵な思い出ができた。
あの日オレは長浜にいた。
そんなことを懐かしく思い出す日がやがて来るだろう。
13:04 垂井駅(7月16日の岐阜駅より407㎞)
伊吹山地へ。
湖北の平野は潤い、雲は流れる。
織田・徳川連合軍と浅井・朝倉連合軍が対した姉川を探したけど、行き着かない。
四日市へと通じる365号国道で伊吹山地を突っ切り、関ヶ原へ。
天下分け目の大決戦が行われた決戦場へ行く道は草が生い茂り、車の通行を許さない。
旧中山道を通り、神色をした御幸橋で岩手川を渡ると大きな鳥居の下をくぐる。
ここは中山道の垂井宿。
町中には当時を偲ばせる旧家や古くからの泉がある。
旅情あふれる宿場町だ。
祭は盛大なものらしい。
雨の日を楽しむ。
こうした境地に至るのは珍しい。
2018年9月16日撮影
13:39 美濃赤坂駅(7月16日の岐阜駅より419㎞)
東軍が陣取り、大垣に構える西軍とにらみ合った赤坂の宿。
東軍はこの地から石田三成の居城佐和山を目指し、その行く手を遮るように西軍は大垣を出て関ヶ原に向かった。
石灰の袋を積んだ貨物用プラットホームが、巨大な廃墟のように雨の中にたたずんでいる。
この路線は人を運ぶために存続されているわけじゃなさそうだ。
そんな終着駅にいる。
ここから石灰石を切り出す山まで線路が延びている。
ひとつは閉鎖され、もうひとつは保たれている。
古い木造駅舎と大垣行ワンマンカーを撮りにきた男の姿が2つある。
そしてかわいらしい少女がやってきた。
ヘルメットをかぶった作業員が線路を横断してくる。
昭和の町にきたような気分になる。

2009年5月1日撮影
近くを流れる杭瀬川には以前、赤坂港と呼ばれる港があったという。
そしてその河原では東西軍の前哨戦が行われ、島左近率いる西軍が優勢なうちに両軍退いた。
14:22 揖斐駅(7月16日の岐阜駅より432㎞)
伊吹山地と両白山山地に囲まれた揖斐川の町。
ここから北へ延びる道は極端に少なくなる。
山地には相変わらず雲がかかり、明日の天気も予断を許さない。
揖斐川に塞ぎ止められるように近鉄養老線の終着駅があった。
とても小さな古い駅。
待ち人がひとり端然と腰かけている。
2018年9月16日撮影
ゆとりのある旅を続けてきた。
そろそろ車を返して東京に帰ることを考えるべきか。
空はいくらか明るくなったようだが、信用はしない。
今日の場合、このまま雨でも構わない。
商店街は閑散として、店の数も少ない。
通る車も少ない。
旅の最後に、そんな終着駅にいる。
15:06 木知原駅(7月16日の岐阜駅より452㎞)
「こちぼら」と読むようだ。
この旅で使用している古くなった地図に、名鉄が谷汲という集落まで線路を敷いていることを知って向かったけど、途中廃線跡に出くわした。
引き返すのも能がなく谷汲へは行った。
谷汲は根尾川で獲れる鮎が名物とのこと。
このあたりじゃ有名な土地らしい。
ここが最後になる。
最後はいつもこんな感じで、特に不満はない。
無人の木知原駅で傘を差しながら根尾川を眺め、線路の続きに思いを馳せ、車に戻った。
この路線は、旧国鉄によって大垣から越前大野を通り、金沢に出ることを計画されて着工され、途中まで敷かれたところで断念。
やがて旧国鉄は経営を放棄。
第三セクターの樽見鉄道へと移管して、樽見までの延伸を見て、そこで前進は止まったという。
これまで聞くことはなかったが、根尾川の流れはなかなかに雄大だ。
山肌にへばりついた雲がとれる気配はない。
22:47 東京葛飾金町
岐阜に戻った時の走行距離は476㎞だったと記憶している。
岐阜市内に戻って長良川を渡り、しばらく走って稲葉山の麓を右折した。
稲葉山山頂にはロープウェイが通じている。
街中は都会といっていいが、歩く人の数は圧倒的なまでに少なかった。
岐阜駅進入の際にバスの運転手にひどい剣幕で追い返されたことで気分を害した。
事情を知らないオレが悪かったが、他の態度もあろうに。
案外こうした記憶は残るものだが、美濃人の人の好さをオレは知っている。
実際に車を返すにあたり、寄ったガソリンスタンドのオッサンは見事なまでに善良だった。
水に流して車を返して岐阜駅へ。
岐阜駅前を象徴するような繊維センターの古いビルを目に焼きつけて改札を抜ける。
稲葉山こと金華山は東海道本線の車窓からも見える。
山頂の岐阜城は雲に隠れていた。
増水した木曽川。
尾張一宮の煤けた駅舎。
清須城の復元天守閣。
庄内川を渡ると名古屋の繁栄が始まり、名古屋駅で新幹線へ。
2日前の三河大塚で眺めた三河湾。
浜名湖。
かつて世界を集めたエコバ・サッカー場。
掛川。
大井川。
安倍川。
安倍川を渡ると姿を現す大都市静岡。
由比海岸で見る東海。
富士川。
富士の海岸沿いに見える製紙工場の煙突。
三島。
熱海の夕景。
東海一帯の雨は上がっていた。
すっかり安心した気持ちでいたが、東京に近づくにつれて窓に雨粒がついていることに気づいた。
小田原。
車窓風景として気に入った西湘の海。
新横浜。
品川そして東京駅。
約1時間40分。
新幹線は揺れないし、立ちっ放しでいることは気にならなかった。
池波正太郎の「真田騒動」も楽しみのひとつだった。
雨は激しく、音を消してくれる。
涼しい夜になった。
彼女も喜んでいるようだ。
明日からは、心はいつも上天気。
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