「鉄旅日記」2003年冬 最終日(博多-宇部)その1-博多そして小倉 【ご縁と別れがあり、34歳の誕生日を北九州で迎えた日の記憶でございます。】
鉄旅日記2003年2月16日
2003・2・16日の記憶
日曜日の朝だった。
34歳の誕生日に目覚めた場所は博多のシティマンションだった。
窓から外を覗く。
下界にアジア的な2階屋の集合住宅が見える。
そこで暮らす人々には悪いが、連想したのは畜舎だった。
どこか貧しさを感じさせる。
発展を続ける東京での暮らしについていくことを躊躇するオレだ。
そんな風景に接するとどこか安心感のようなものを覚える。
漠然と目指していたのは佐賀だったが、すぐにその計画は破綻した。
傘もなく、その日に東京に帰るオレには九州のさらに奥へと進む余裕を持てなかった。
大博通りを北へ。
玄界灘が見えると正面に福岡国際センター、右手にはマリンメッセ福岡。
格闘技好きのオレには憧れの場所でもある。
博多港にはちょっとしたベイサイドエリアがある。
朝はまだ早く、コーヒーショップが1軒だけ開いていたが、寄らずにエリアに流れる音楽に耳を傾けた。
港からは壱岐対馬五島列島行きのフェリーが出ていて、賑わいを見せている。
そうした島々に渡る人々は、どうした経緯で朝まだ早い波止場にいたのか。
そんなことを想像するのが好きだ。
脇には高さ自慢とはいかないタワーが建っていて、入場無料。
タワーの名は記されていない。
そう言えば昨夜、中洲の屋台で聞いた。
街中に福岡空港を持つ博多には、背の高い建物はないのだと。
那珂川に沿って歩き出す。
靄に煙った川辺にガス灯がぼんやりと浮かぶ。
どこか京都の鴨川に似た那珂川の風景をとても身近に感じて、やがて昨夜の屋台があったあたりに差しかかった。
どうなっているのだろうと思いきや跡形もない。
冷静に考えればそうだろうが、一夜のうちにあの親子は屋台をたたみ、どこかへ引き上げたのかと思うと、前の夜にそこにいたことが夢のように思えてくる。
とても不思議な感覚だった。
寂しいとも言えるし、手品ショウを見せられたような気分でもある。
いずれにしろ、博多で一番の思い出の場所は、夜にならないと現れない。
那珂川の対岸、天神あたりは官庁街。
東京駅を模したような赤レンガの建物が見える。
折尾でも見た。
門司でも見ることになる。
博多商人の動きは遥か以前から活発で、博多の賑わいは鎌倉時代から続く。
賑やかなキャナルシティを通り抜けて博多駅へ。
駅では若松競艇のイベントが開催されていて、若い女性司会者がベテランの競艇選手にマイクを差し向け、あたりを冴えない中年男性たちが囲んでいる。
その司会者の他は同じような年恰好のギャンブル好きの男の姿しかない。
とても奇妙な光景だった。
新宿渋谷あたりじゃ考えられないイベントだが、博多駅は中高年のうらぶれた男たちにも集合場所を提供している。
筑紫口の風景は忘れてしまった。
小倉へ。
門司港行の鹿児島本線に乗る。
折尾までは初めての区間になる。
福間駅ホームには赤い灯篭が立ち、脇には田圃が広がる。
大昔からの神域を感じた。
宇佐を思い出し、今また紀伊半島を思い出した。
この国には確かに神々が暮らしている。
戸畑では巨大な若戸大橋と再会。
博多からは約1時間ほど。
ゆったりとした旅だった。
やがて辿り着いた駅であの懐かしいアナウンスを聞く。
「こくら~こくら~」。
赤い観覧車と煙突の煙り。
たまに彼女が関門海峡を越えて買い物にくるという北九州の大都会。
海側には西日本総合展示場。
人の流れはその反対側に多く見られる。
都市モノレールに沿うメイン・ストリートを歩き、川を渡る。
そこに小倉城がある。
幕末に長州藩が攻め入り、落城。
世にいう小倉戦争。
山陰の浜田もそうだったが、城主は城を焼いて逃亡。
現在の城は昭和になってから有志の力で再建されたもので、場内の資料館には宮本武蔵関連の展示物が並んでいた。
日曜日の午後。
小倉の街はとても穏やかだった。
散策も終わりに近づく頃、気になる通りを見つけた。
日過市場という相当な歴史を持つであろう商店街。
魚街銀天街を出て通りを渡るとその一角へとつながる。
気の利いた食堂でもないかと奥に踏み入ると、かつてそこに店があったという造りが並ぶが、商売人の姿はなく、客の姿もない。
ヤバい臭いがする。
まるで人買いでも行われていそうで、これまでに嗅いだことのない生臭さに戦慄を感じる。
どこからかラジオの音が聞こえてくる。
夜にはよからぬ連中が集まりそうな怪しげな一角だった。
小倉の住人が外の人間には見せたくないスカートの中身を覗いてしまったような気にさせられた。
日過市場の入口まで戻り、今度は人通りの多い銀天街へ。
松山にも同じ名の繁華街がある。
他の街にもあるのだろう。
途中で回転寿司をつまみ、ラーメン屋へ。
不愛想なおねえさんの「らっしゃい」という掛け声がやけに印象に残っている。
名物の博多ラーメン。
安かったけど、そこの店のは美味くはなかった。
関連記事
-
-
「鉄旅日記」2017年冬 最終日(喜多方-東京)その2-会津若松、芦ノ牧温泉、大川ダム公園、芦ノ牧温泉南(会津鉄道)/大塚山古墳群【会津へ。会津へ行きたかったのでございます。】
鉄旅日記2017年12月3日・・・会津若松駅、芦ノ牧温泉駅、大川ダム公園駅、芦ノ牧温泉南駅(会津鉄道
-
-
「鉄旅日記」2021年春 最終日(米内沢-東京)その2 ‐小砂川、女鹿、象潟、秋田(羽越本線/秋田新幹線)/三崎峠 【大人の休日倶楽部パスで東北へ。新幹線、在来線特急乗り放題でございます。続くコロナ禍ではございますが、約半年の辛抱の時を過ぎて、天候にも苛まれながら秋田内陸縦貫鉄道に乗りに行きました。】
鉄旅日記2021年4月18日・・・小砂川駅、女鹿駅、象潟駅、秋田駅(羽越本線/秋田新幹線)/三崎峠
-
-
「鉄旅日記」2009年皐月【四国へ、途中下車の旅】2日目(三ノ宮-琴電琴平)-三ノ宮、元町、和田岬、兵庫、須磨、西明石、加古川、網干、上郡、和気、高松、志度、琴電屋島、瓦町、一宮、琴平(山陽本線、和田岬支線、瀬戸大橋線、予讃本線、高徳本線、琴平電鉄志度線、琴平電鉄琴平線)
鉄旅日記2009年5月2日・・・三ノ宮駅、元町駅、和田岬駅、兵庫駅、須磨駅、西明石駅、加古川駅、網干
-
-
「鉄旅日記」2014年冬 初日(東京-鬼怒川温泉)-下今市、新藤原、川治湯元、川治温泉、湯西川温泉、龍王峡、鬼怒川公園、新高徳、鬼怒川温泉(東武鬼怒川線/野岩鉄道) 【まるごと日光・鬼怒川 東武フリーパスで、野州旅】
鉄旅日記2014年12月6日・・・下今市駅、新藤原駅、川治湯元駅、川治温泉駅、湯西川温泉駅、龍王峡駅
-
-
「鉄旅日記」2019年如月 初日(東京-安中)その1-金町、熱海、城ヶ崎海岸、伊豆熱川、伊豆稲取、今井浜海岸、河津(常磐線/東海道本線/伊東線/伊豆急行線) 【週末パスで東京から伊豆。そして上州、信州へ。友人は言ったものでございます。何気に大層な移動距離だと。】
鉄旅日記2019年2月9日・・・金町駅、熱海駅、城ヶ崎海岸駅、伊豆熱川駅、伊豆稲取駅、今井浜海岸駅、
-
-
「車旅日記」2000年夏Part.1 3日目(能登島-氷見-小千谷)能登島、道の駅いおり、氷見港、道の駅ウェーブパークなめりかわ、朝日町栄食堂、親不知ピア・パーク、道の駅能生、長岡市宮本、道の駅おぢや 【信濃、飛騨、そして能登島。帰りは北陸路。この国の美しさをあらためて感じました夏旅でございます。】
車旅日記2000年7月22日 2000・7・22 9:00 能登島某リゾートクラブ 昨夜は風の音を
-
-
「鉄旅日記」2020年如月 最終日(釜石-東京)その4‐安積永盛、鏡石、須賀川、新白河、黒磯、宇都宮(東北本線) 【東日本大震災で被害を受けた大船渡に泊まりにまいりました。山田線完全乗車も目指しておりましたが・・。】
鉄旅日記2020年2月24日・・・安積永盛駅、鏡石駅、須賀川駅、新白河駅、黒磯駅、宇都宮駅(東北本線
-
-
「鉄旅日記」2000年晩秋【京都の女性に恋をしていた頃がございました。その京都時代のはじまりでございます。】-京都タワーホテル
鉄旅日記2000年11月23日~24日 2000・11・23 0:03 京都タワーホテル924号室
-
-
「車旅日記」1996年黄金週間【友を訪ねて大阪へ。そして約束の地、金沢へ。夢を見ながら国道を走った日々でございます。】初日(東京-大阪茨木 R246→R1→名神高速)その3-関駅、その後
車旅日記1996年5月3日 16:36 関駅 あれから2時間経ってようやくここに戻ってきた。
-
-
「鉄旅日記」2017年春【近鉄に乗る日々】2日目(新大宮-大阪難波)その2-生駒、鳥居前、宝山寺、生駒山上、布施、俊徳道、JR俊徳道、河内山本、信貴山口、高安山(生駒ケーブル/奈良線/大阪線/信貴線/西信貴ケーブル)
鉄旅日記2017年3月18日・・・生駒駅、鳥居前駅、宝山寺駅、生駒山上駅、布施駅、俊徳道駅、JR俊徳