*

「鉄旅日記」2003年冬【ご縁と別れがあり、34歳の誕生日を北九州で迎えた日の記憶でございます。】最終日(博多-小倉-門司港-宇部)その2-門司港にて

公開日: : 最終更新日:2024/05/17 旅話, 旅話 2003年

鉄旅日記2003年2月16日
2003・2・16日の記憶
門司港行の鹿児島本線に乗る。
門司港レトロ地区には、日曜日ともなれば多くの観光客が訪れる。

その場所の存在を知ったのは去年の夏だった。
九州の鉄道旅は門司港から始まる。
宮脇俊三さんの著書を思い起こす。

あの日は海峡花火大会の混雑で、この地区への立ち入りは制限されていた。
再訪を期したが、意外なところからその機会はやってきた。

12月、オレを招き寄せた女性がいた。
初めて会った日の寒い夜、二人で山口から2号国道を走り、関門海峡を越えた。

レトロ地区を一通り歩き、彼女が食べたがっていたカレー屋を探したが見当たらず、門司港地ビール工房に入る。
倉庫を改造した店は、現在の門司が外に向けて発信したい姿をしていた。

埠頭で彼女を待った。
やっぱりあの時も彼女はよそよそしかった。

夜の門司港駅は素晴らしかった。
鉄道員は明治時代の制服に身を包み、鉄道員としての誇りを上品な態度で観光客に示していた。
その時も彼女はオレから離れた場所で違うものを眺めていたっけ。

オレはこれまでに出会ったことのない郷愁に酔い、そしてそんなどこか冷たい彼女との未来を想った。
対岸の下関の夜景は美しく、夏の感動は完結した。
だけどそこへ行くと彼女を思い出さずにはいられない。

現代的な装備を完璧なまでに備えたJR九州自慢の新式車両が、不意にレトロをまとい門司港駅に近づいていく。
構内は鉄錆びて、柱木は長いこと風雨に耐えてきた証を刻んでいる。

2020年8月15日撮影

昔の上野駅もこんな感じだった。
そのホームから特急「あさま」は、まだ幼かったオレや家族を小諸まで運んだ。
冷凍ミカンやプラスチック容器に入ったお茶を売り歩く弁当売りが散見された時代だ。
今じゃ鉄道で小諸にやってくる者はまれだろう。

門司は造船でも栄えたようだが、造船所も今じゃ廃墟になっている。
いくつもの赤レンガの廃墟が線路沿いに無造作に放置され、丘側では長屋が解体されている。
まるで手の行き届いていない墓場だ。
おそらく秋や冬には独特の寂寥感を放つだろう。

ホームに降り立った者はどこへ向かったのか。
あんなにも寂しい終着駅に降りたことはこれまでになかった。

2020年8月15日撮影

東京で生まれたオレにとって、新天地とはあるいはこんな街なのかもしれない。
そんなことを思い、どうやら少しだけ青いものを見せそうな空にほんの少しだけ目をやり、人々の流れに一番最後に乗り、改札口に向かった。

実質的な活躍の場を失った九州の玄関口からは、昭和はおろか、明治大正の香りがする。
鉄錆びた街の駅には、しゃぶしゃぶを売りにする紗舞館という粋な店が入っていた。
街を見終え、オレはそこで2杯のビールを飲み、僅かな手掛かりを残した。

街に出て辿ったのは彼女と歩いた道。
不思議と彼女といた記憶は蘇らず、本来は彼女と過ごすことを約束されていたのに、彼女がそこにいないことは気にならなかった。

12月に彼女と訪ねた際に無視したわけじゃないが、寄らなかった一角がある。
レトロ街として限定された地区からは隔離されたかのように存在するアーケード街。
レトロ横丁と呼ばれるその商店街は昼も薄暗く、人通りもまれだ。

2020年8月15日撮影

全長200メートルほどのその通りを歩くと、途中にさらに奥まった路地を発見した。
夜になると女たちがやってきて、うらぶれた男たちに酒を出す店が並んでいる。
場末とはあんな場所を指すのだろう。

再開発の波に押されて、薄暗いところに閉じ込められたような印象だが、かつては遊郭もあって賑わったという。
資料館でその頃の写真を目にした。
ただ、門司は歴史の中だけに生きているわけじゃない。
そこで暮らす男たちは今もいる。
人通りの絶えた夜の横町の、さらに奥まった通りへやってくる男たちの人生劇場に思いを馳せた。

地ビール工房の脇を通り岸壁へ。
博多の朝に細かい雨を降らせていた空も薄日を寄越し、関門海峡を前にして多くの釣り人が糸を垂れている。
海峡を通る船の記憶はなく、対岸の下関の風景だけが目に焼きついている。
でも人に説明できるのは海峡メッセくらいのものだ。
鞄に腰かけ、しばらくそうしていた。

関門トンネルを抜けると大鉄道基地。
山口県内で一番の人口数を誇る下関は奥深い。
近い過去には頭をおかしくした無法者が車で乱入して悲劇が起こった。

港町として現在とは比較にならないほど栄えていた頃、港には多くのアジア人が荷物のように運ばれ、また出ていったという。
そんな過去の事情もあり、治安は今もあまりよくないらしい。

改札を出れば思い出の街が広がる。
あの夏に改札から眺めた場所にオレは立っていた。

2020年8月16日撮影

映画「RONIN」に出てくる坂を下ったところにあるカフェ。
ロバート・デ・ニーロとジャン・レノが出会い、別れた場所。
似たような風景を夜の街で見かけた。

人の姿はなく、なぜだか恐怖にかられて明るい通りに引き返した。
あの時オレは街が抱える歴史の裏を感じたのだろう。
街を出るオレが遠い目で見たのは夏の日の海峡花火大会。
関門海峡を離れる時は寂しい気持ちになる。

岩国行の山陽本線に乗る。
鹿児島本線や筑豊本線のきれいな客車に慣れた目には、やけに古くさく感じる。

宇部まで。
昨日は立つ位置の都合により山間の風景ばかりを眺めていたが、帰りは瀬戸内側に寄せていた。
所により海が覗き、その日には誰も用を持たなかった山陽オートレース場が木々に囲まれながら、まるで置き去りにされかのように寂しく鎮座していた。
途方もない侘しさをそこに見る思いだった。

宇部駅にはすでに宇部線が待っていた。
宇部新川まで。

厚東川を渡る。
何本もの橋が架かり、一番海側に高速道路と見紛う、宇部興産の巨大な専用アーチ橋が見える。
宇部にいる時には何度も眺めた風景。
懐かしく愛しい風景で、あの風景が日常になるのであれば宇部で暮らすのも悪くない。
そんなことを12月には思ったはずだ。
横には彼女がいたから。

宇部新川駅を出ると夜が降りてきていて、バス乗場は暗く、明かりへと吸い寄せられる虫のように4、5人が山口宇部空港行の高速バスを待っていた。
これでしばらく来ることはないだろう。
そんな思いで眺めた宇部市内の明かりはなかなか眩しく、空にはオレンジ色に霞んだ月が出ていた。

空港へ。
空の玄関の明かりが好きだ。
そこに行くと何か凄いことでも始まりそうな気になる。

空港ビルを正面から眺めた。
11月の新宿駅。
2月の京都駅。
仰ぎ見た時はいつもひとりで、何事かがその少し前まで進行していた。

覚えている。
懐かしさはない。
そして縁が遠ざかっていくのを感じていた。

羽田行きの最終便を待つ間にレストランでビールと食事。
彼女と初めて会った日に何度も聴いたマライヤ・キャリーの美しいバラードが流れている。
あれからあの楽曲が聞こえるたびに彼女を思い出す。

ANA便に乗り込むまでは、あるいは彼女から電話が入るかもしれないと思っていた。
でもあるはずがない。

その日から35年目の人生が始まった。

関連記事

「鉄旅日記」2003年冬【ご縁と別れがあり、34歳の誕生日を北九州で迎えた日の記憶でございます。】初日(宇部-飯塚-博多)その1-山口宇部空港、宇部新川、宇部、下関、小倉、折尾、飯塚、博多(宇部線/山陽本線/鹿児島本線/筑豊本線/篠栗線)

鉄旅日記2003年2月15日・・・山口宇部空港、宇部新川駅、宇部駅、下関駅、小倉駅、折尾駅、飯塚駅、

記事を読む

「鉄旅日記」2012年夏【青春18きっぷで、富山・岐阜途中下車旅】最終日(富山-東京)その2-美濃太田、可児、姫、下切、南木曽、田立、勝沼ぶどう郷(太多線、中央本線)

鉄旅日記2012年8月26日その2・・・美濃太田駅、可児駅、姫駅、下切駅、南木曽駅、田立駅、勝沼ぶど

記事を読む

「鉄旅日記」2015年春【名鉄電車2DAYフリーきっぷで行く、中京旅】最終日その1(岩倉-東京)-岩倉、御嵩、犬山、新鵜沼、鵜沼、名電各務原、各務ヶ原、新那加、那珂、名鉄岐阜(名鉄犬山線/名鉄広見線/名鉄各務原線)

鉄旅日記2015年3月8日その1・・・岩倉駅、御嵩駅、犬山駅、新鵜沼駅、鵜沼駅、名電各務原駅、各務ヶ

記事を読む

「鉄旅日記」2018年エイプリルフール【8年振りに金町に帰ってまいりました。青春18きっぷはまだ3日分残っております。呼んでくれたのは会津でございました。】その3-谷田川、磐城石川、磐城塙、常陸大子、玉川村、常陸大宮、上菅谷、水戸(水郡線)

鉄旅日記2018年4月1日・・・谷田川駅、磐城石川駅、磐城塙駅、常陸大子駅、玉川村駅、常陸大宮駅、上

記事を読む

「車旅日記」2000年夏Part.1【信濃、飛騨、そして能登島。帰りは北陸路。この国の美しさをあらためて感じました夏旅でございます。】初日(東京‐諏訪)葛飾金町、調布駅、高尾駅、桂川ドライブイン、甲府芸術の森公園、道の駅信州蔦木宿、上諏訪

車旅日記2000年7月20日 2000・7・20 8:10 東京葛飾金町 天気は良好。 やけに

記事を読む

「鉄旅日記」2018年弥生【青春18きっぷを握り、目指したのはまたしても会津。練馬から旅立つ最後の旅でございます。】初日(東京-小出-会津若松)その1-保谷、池袋、赤羽、高崎、井野、水上(西武池袋線/埼京線/高崎線/上越線)

鉄旅日記2018年3月3日・・・保谷駅、池袋駅、赤羽駅、高崎駅、井野駅、水上駅(西武池袋線/埼京線/

記事を読む

「鉄旅日記」2012年春【青春18きっぷで、ダム湖に水没する鉄路へ】その1-上尾、桶川、鴻巣、行田、岡部、神保原、新町、群馬総社、中之条、郷原、長野原草津口、万座・鹿沢口(高崎線、吾妻線)

鉄旅日記2012年4月1日その1・・・上尾駅、桶川駅、鴻巣駅、行田駅、岡部駅、神保原駅、新町駅、群馬

記事を読む

「鉄旅日記」2018年神無月【北陸へ。信州へ。友を訪ねての巡礼旅でございます】最終日(松本-辰野-天竜峡-岡谷-東京)その3-勝沼ぶどう郷、大月(中央本線)

鉄旅日記2018年10月8日・・・勝沼ぶどう郷駅、大月駅(中央本線) 17:25 勝沼ぶどう郷(か

記事を読む

「鉄旅日記」2008年皐月【旅は京都から始まり、山陰から下関へ。そして四国へと渡ったのでございます。】最終日(善通寺-東京)-善通寺、多度津、丸亀、坂出、岡山、京都、野洲、東京葛飾(土讃本線/予讃本線/本四備讃線/山陽本線/東海道本線)

鉄旅日記2008年5月6日・・・善通寺駅、多度津駅、丸亀駅、坂出駅、岡山駅、京都駅、野洲駅(土讃本線

記事を読む

「鉄旅日記」2019年弥生Part.1【和歌山電鐵に乗るために、青春18きっぷで紀伊半島一周を思い立ったのでございます。】最終日(紀伊田辺-東京)その1-紀伊田辺、箕島、和歌山、伊太祈曽、貴志(紀勢本線/和歌山電鐵貴志川線)

鉄旅日記2019年3月3日・・・紀伊田辺駅、箕島駅、和歌山駅、伊太祈曽駅、貴志駅(紀勢本線/和歌山電

記事を読む

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

「鉄旅日記」2020年文月【コロナ禍でございます。内緒の旅でございました。余部鉄橋へ。萩へ。霧の街へ。東京五輪延期で浮いた4連休の記録でございます。】最終日(三次-東京)その1‐三次、上下、府中(福塩線)

鉄旅日記2020年7月26日・・・三次駅、上下駅、府中駅(福塩線)

「鉄旅日記」2020年文月【コロナ禍でございます。内緒の旅でございました。余部鉄橋へ。萩へ。霧の街へ。東京五輪延期で浮いた4連休の記録でございます。】3日目(萩-三次)その5‐備後落合、備後庄原、三次(芸備線)

鉄旅日記2020年7月25日・・・備後落合駅、備後庄原駅、三次駅(芸

「鉄旅日記」2020年文月【コロナ禍でございます。内緒の旅でございました。余部鉄橋へ。萩へ。霧の街へ。東京五輪延期で浮いた4連休の記録でございます。】3日目(萩-三次)その4‐宍道、加茂中、出雲横田、出雲坂根(木次線)

鉄旅日記2020年7月25日・・・宍道駅、加茂中駅、出雲横田駅、出雲

「鉄旅日記」2020年文月【コロナ禍でございます。内緒の旅でございました。余部鉄橋へ。萩へ。霧の街へ。東京五輪延期で浮いた4連休の記録でございます。】3日目(萩-三次)その3‐黒松、仁万、出雲市、荘原(山陰本線)

鉄旅日記2020年7月25日・・・黒松駅、仁万駅、出雲市駅、荘原駅(

「鉄旅日記」2020年文月【コロナ禍でございます。内緒の旅でございました。余部鉄橋へ。萩へ。霧の街へ。東京五輪延期で浮いた4連休の記録でございます。】3日目(萩-三次)その2‐益田、三保三隅、浜田、波子(山陰本線)

鉄旅日記2020年7月25日・・・益田駅、三保三隅駅、浜田駅、波子駅

→もっと見る

    PAGE TOP ↑