*

「鉄旅日記」2003年冬 最終日(博多-宇部)その2-門司港にて 【ご縁と別れがあり、34歳の誕生日を北九州で迎えた日の記憶でございます。】

公開日: : 最終更新日:2025/05/24 旅話, 旅話 2003年

鉄旅日記2003年2月16日

2003・2・16日の記憶
門司港行の鹿児島本線に乗る。
門司港レトロ地区には、日曜日ともなれば多くの観光客が訪れる。

その場所の存在を知ったのは去年の夏だった。
九州の鉄道旅は門司港から始まる。
宮脇俊三さんの著書を思い起こす。

あの日は海峡花火大会の混雑で、この地区への立ち入りは制限されていた。
再訪を期したが、意外なところからその機会はやってきた。

12月、オレを招き寄せた女性がいた。
初めて会った日の寒い夜、二人で山口から2号国道を走り、関門海峡を越えた。

レトロ地区を一通り歩き、彼女が食べたがっていたカレー屋を探したが見当たらず、門司港地ビール工房に入る。
倉庫を改造した店は、現在の門司が外に向けて発信したい姿をしていた。

埠頭で彼女を待った。
やっぱりあの時も彼女はよそよそしかった。

夜の門司港駅は素晴らしかった。
鉄道員は明治時代の制服に身を包み、鉄道員としての誇りを上品な態度で観光客に示していた。
その時も彼女はオレから離れた場所で違うものを眺めていたっけ。

オレはこれまでに出会ったことのない郷愁に酔い、そしてそんなどこか冷たい彼女との未来を想った。
対岸の下関の夜景は美しく、夏の感動は完結した。
だけどそこへ行くと彼女を思い出さずにはいられない。

現代的な装備を完璧なまでに備えたJR九州自慢の新式車両が、不意にレトロをまとい門司港駅に近づいていく。
構内は鉄錆びて、柱木は長いこと風雨に耐えてきた証を刻んでいる。

2020年8月15日撮影

昔の上野駅もこんな感じだった。
そのホームから特急「あさま」は、まだ幼かったオレや家族を小諸まで運んだ。
冷凍ミカンやプラスチック容器に入ったお茶を売り歩く弁当売りが散見された時代だ。
今じゃ鉄道で小諸にやってくる者はまれだろう。

門司は造船でも栄えたようだが、造船所も今じゃ廃墟になっている。
いくつもの赤レンガの廃墟が線路沿いに無造作に放置され、丘側では長屋が解体されている。
まるで手の行き届いていない墓場だ。
おそらく秋や冬には独特の寂寥感を放つだろう。

ホームに降り立った者はどこへ向かったのか。
あんなにも寂しい終着駅に降りたことはこれまでになかった。

2020年8月15日撮影

東京で生まれたオレにとって、新天地とはあるいはこんな街なのかもしれない。
そんなことを思い、どうやら少しだけ青いものを見せそうな空にほんの少しだけ目をやり、人々の流れに一番最後に乗り、改札口に向かった。

実質的な活躍の場を失った九州の玄関口からは、昭和はおろか、明治大正の香りがする。
鉄錆びた街の駅には、しゃぶしゃぶを売りにする紗舞館という粋な店が入っていた。
街を見終え、オレはそこで2杯のビールを飲み、僅かな手掛かりを残した。

街に出て辿ったのは彼女と歩いた道。
不思議と彼女といた記憶は蘇らず、本来は彼女と過ごすことを約束されていたのに、彼女がそこにいないことは気にならなかった。

12月に彼女と訪ねた際に無視したわけじゃないが、寄らなかった一角がある。
レトロ街として限定された地区からは隔離されたかのように存在するアーケード街。
レトロ横丁と呼ばれるその商店街は昼も薄暗く、人通りもまれだ。

2020年8月15日撮影

全長200メートルほどのその通りを歩くと、途中にさらに奥まった路地を発見した。
夜になると女たちがやってきて、うらぶれた男たちに酒を出す店が並んでいる。
場末とはあんな場所を指すのだろう。

再開発の波に押されて、薄暗いところに閉じ込められたような印象だが、かつては遊郭もあって賑わったという。
資料館でその頃の写真を目にした。
ただ、門司は歴史の中だけに生きているわけじゃない。
そこで暮らす男たちは今もいる。
人通りの絶えた夜の横町の、さらに奥まった通りへやってくる男たちの人生劇場に思いを馳せた。

地ビール工房の脇を通り岸壁へ。
博多の朝に細かい雨を降らせていた空も薄日を寄越し、関門海峡を前にして多くの釣り人が糸を垂れている。
海峡を通る船の記憶はなく、対岸の下関の風景だけが目に焼きついている。
でも人に説明できるのは海峡メッセくらいのものだ。
鞄に腰かけ、しばらくそうしていた。

関門トンネルを抜けると大鉄道基地。
山口県内で一番の人口数を誇る下関は奥深い。
近い過去には頭をおかしくした無法者が車で乱入して悲劇が起こった。

港町として現在とは比較にならないほど栄えていた頃、港には多くのアジア人が荷物のように運ばれ、また出ていったという。
そんな過去の事情もあり、治安は今もあまりよくないらしい。

改札を出れば思い出の街が広がる。
あの夏に改札から眺めた場所にオレは立っていた。

2020年8月16日撮影

映画「RONIN」に出てくる坂を下ったところにあるカフェ。
ロバート・デ・ニーロとジャン・レノが出会い、別れた場所。
似たような風景を夜の街で見かけた。

人の姿はなく、なぜだか恐怖にかられて明るい通りに引き返した。
あの時オレは街が抱える歴史の裏を感じたのだろう。
街を出るオレが遠い目で見たのは夏の日の海峡花火大会。
関門海峡を離れる時は寂しい気持ちになる。

岩国行の山陽本線に乗る。
鹿児島本線や筑豊本線のきれいな客車に慣れた目には、やけに古くさく感じる。

宇部まで。
昨日は立つ位置の都合により山間の風景ばかりを眺めていたが、帰りは瀬戸内側に寄せていた。
所により海が覗き、その日には誰も用を持たなかった山陽オートレース場が木々に囲まれながら、まるで置き去りにされかのように寂しく鎮座していた。
途方もない侘しさをそこに見る思いだった。

宇部駅にはすでに宇部線が待っていた。
宇部新川まで。

厚東川を渡る。
何本もの橋が架かり、一番海側に高速道路と見紛う、宇部興産の巨大な専用アーチ橋が見える。
宇部にいる時には何度も眺めた風景。
懐かしく愛しい風景で、あの風景が日常になるのであれば宇部で暮らすのも悪くない。
そんなことを12月には思ったはずだ。
横には彼女がいたから。

宇部新川駅を出ると夜が降りてきていて、バス乗場は暗く、明かりへと吸い寄せられる虫のように4、5人が山口宇部空港行の高速バスを待っていた。
これでしばらく来ることはないだろう。
そんな思いで眺めた宇部市内の明かりはなかなか眩しく、空にはオレンジ色に霞んだ月が出ていた。

空港へ。
空の玄関の明かりが好きだ。
そこに行くと何か凄いことでも始まりそうな気になる。

空港ビルを正面から眺めた。
11月の新宿駅。
2月の京都駅。
仰ぎ見た時はいつもひとりで、何事かがその少し前まで進行していた。

覚えている。
懐かしさはない。
そして縁が遠ざかっていくのを感じていた。

羽田行きの最終便を待つ間にレストランでビールと食事。
彼女と初めて会った日に何度も聴いたマライヤ・キャリーの美しいバラードが流れている。
あれからあの楽曲が聞こえるたびに彼女を思い出す。

ANA便に乗り込むまでは、あるいは彼女から電話が入るかもしれないと思っていた。
でもあるはずがない。

その日から35年目の人生が始まった。

関連記事

「鉄旅日記」2006年晩夏-伊勢崎、桐生、西桐生、下仁田、上州富岡、高崎(高崎線/両毛線/上信電鉄) 【ふと誘われるように、上州へ向かう列車に乗ったのでございます。】

鉄旅日記2006年9月2日・・・伊勢崎駅、桐生駅、西桐生駅、下仁田駅、上州富岡駅、高崎駅(高崎線/両

記事を読む

「鉄旅日記」2019年弥生Part.1 最終日(紀伊田辺-東京)その1-紀伊田辺、箕島、和歌山、伊太祈曽、貴志(紀勢本線/和歌山電鐵貴志川線) 【和歌山電鐵に乗るために、青春18きっぷで紀伊半島一周を思い立ったのでございます。】

鉄旅日記2019年3月3日・・・紀伊田辺駅、箕島駅、和歌山駅、伊太祈曽駅、貴志駅(紀勢本線/和歌山電

記事を読む

「鉄旅日記」2009年晩秋 2日目(倉敷-和田山)その1-倉敷、足立、生山、上菅、伯耆溝口、伯耆大山、赤碕、浦安、松崎、浜村、末恒、湖山、鳥取(伯備線/山陰本線) 【陰陽を行き来した3日間。この国の秋は美しゅうございました。】

鉄旅日記2009年11月22日・・・倉敷駅、足立駅、生山駅、上菅駅、伯耆溝口駅、伯耆大山駅、赤碕駅、

記事を読む

「鉄旅日記」2021年夏 初日(東京-上田)その1 ‐金町、上野、高崎、水上(常磐線/高崎線/上越線) 【4度目の緊急事態宣言前。飯山線に乗りたくて旅を思い立ちました。湯檜曽駅で夏の第一声を聞き、信越路を歩いた記録でございます。】

鉄旅日記2021年7月10日・・・金町駅、上野駅、高崎駅、水上駅(常磐線/高崎線/上越線)

記事を読む

「鉄旅日記」2020年卯月 最終日(新津-東京)その3‐小野新町、要田、いわき(磐越東線) 【緊急事態宣言発令直前のことでございます。常磐線全線運転再開を祝して人知れず旅に出たのでございます。】

鉄旅日記2020年4月5日・・・小野新町駅、要田駅、いわき駅(磐越東線) 12:33 小野新町(お

記事を読む

「鉄旅日記」2016年春 2日目(下北-石巻)その1-大湊、野辺地、浅虫温泉、小湊、東青森、上北町、小川原湖、下田、八戸(大湊線、青い森鉄道) 【下北半島から東日本大震災被災地へ】2日目(下北-石巻)

鉄旅日記2016年3月20日その1・・・大湊駅、野辺地駅、浅虫温泉駅、小湊駅、東青森駅、上北町駅、小

記事を読む

「鉄旅日記」2014年夏 初日(東京-津山)-尾張一宮、播磨高岡、太市、余部、播磨新宮、三日月、西栗栖、美作江見、林野、上月、津山口、津山(東海道本線、山陽本線、姫新線) 【青春18きっぷで、中国ぶらぶら旅】

鉄旅日記2014年8月13日・・・尾張一宮駅、播磨高岡駅、太市駅、余部駅、播磨新宮駅、三日月駅、西栗

記事を読む

「鉄旅日記」2021年秋 初日(東京-飯坂温泉)その2 ‐竜田、原ノ町、鹿島、新地、岩沼(常磐線/東北本線) 【4度目の緊急事態宣言明け。これ以降そのようなものが発令されることはございませんでした。阿武隈急行、峠駅、立石寺。お宿は飯坂温泉。秋の東北を満喫すべく常磐線に乗りました。】

鉄旅日記2021年10月9日・・・竜田駅、原ノ町駅、鹿島駅、新地駅、岩沼駅(常磐線/東北本線)

記事を読む

「鉄旅日記」2005年秋 初日(東京-名古屋)-根府川、島田、豊橋、岡崎、名古屋(東海道本線) 【軽井沢で挙式する身内を祝うために、初めて鉄道で旅をいたしました。】

鉄旅日記2005年11月5日・・・根府川駅、島田駅、豊橋駅、岡崎駅、名古屋駅(東海道本線) 200

記事を読む

「鉄旅日記」2020年盛夏 2日目(防府-肥前鹿島)その3‐阿川、小串、下関、小倉(山陰本線/鹿児島本線) 【コロナ禍の内緒旅VOl.2。宮島へ。錦帯橋へ。筑豊へ。島原へ。千綿駅へ。そして若松~戸畑の渡船。日本晴れの4日間の記録でございます。】

鉄旅日記2020年8月14日・・・阿川駅、小串駅、下関駅、小倉駅(山陰本線/鹿児島本線) 1

記事を読む

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

「鉄旅日記」2022年新春 2日目(湯瀬温泉-三沢)その5 ‐青森、三沢(青い森鉄道)/ホテル天水 【巨大な土偶が貼りつく木造駅を見たくて冬の東北を旅しました。】

鉄旅日記2022年1月9日・・・青森駅、三沢駅(青い森鉄道)/ホテル

「鉄旅日記」2022年新春 2日目(湯瀬温泉-三沢)その4 ‐板柳、川部、撫牛子、大釈迦、鶴ヶ坂(五能線/奥羽本線) 【巨大な土偶が貼りつく木造駅を見たくて冬の東北を旅しました。】

鉄旅日記2022年1月9日・・・板柳駅、川部駅、撫牛子駅、大釈迦駅、

「鉄旅日記」2022年新春 2日目(湯瀬温泉-三沢)その3 ‐川部、五所川原、木造(五能線)/神武食堂 【巨大な土偶が貼りつく木造駅を見たくて冬の東北を旅しました。】

鉄旅日記2022年1月9日・・・川部駅、五所川原駅、木造駅(五能線)

「鉄旅日記」2022年新春 2日目(湯瀬温泉-三沢)その2 ‐東大館、大館、弘前(花輪線/奥羽本線) 【巨大な土偶が貼りつく木造駅を見たくて冬の東北を旅しました。】

鉄旅日記2022年1月9日・・・東大館駅、大館駅、弘前駅(花輪線/奥

「鉄旅日記」2022年新春 2日目(湯瀬温泉-三沢)その1 ‐湯瀬温泉、鹿角花輪、十和田南(花輪線)/和心の宿姫の湯 【巨大な土偶が貼りつく木造駅を見たくて冬の東北を旅しました。】

鉄旅日記2022年1月9日・・・湯瀬温泉駅、鹿角花輪駅、十和田南駅(

→もっと見る

    PAGE TOP ↑