「鉄旅日記」2014年夏【青春18きっぷで、中国ぶらぶら旅】初日(東京-津山)-尾張一宮、播磨高岡、太市、余部、播磨新宮、三日月、西栗栖、美作江見、林野、上月、津山口、津山(東海道本線、山陽本線、姫新線)
鉄旅日記2014年8月13日
2014・8・13 11:41 尾張一宮(おわりいちのみや)駅(東海道本線 愛知県)
保谷、池袋、東京、沼津、静岡、浜松、豊橋と乗り継ぎ、新快速大垣行きに乗る。
鈍足台風が去った列島の夏。
甲子園では台風接近のために開幕が2日延び、開幕試合に現れたセンバツ王者龍谷大平安は春日部共栄の前に呆気なく破れ去った。
チャンスの時に流れる「怪しいボレロ」は毎回のようにアルプスに鳴り響いたが、好機を活かせず何とも情けない結果に終わってしまった。
二日目には星稜、大垣日大が劇的な逆転勝利を飾り大会を大いに盛り上げている。
でも、春の王者の退場と共に、他のどの学校よりも応援している龍谷大平安の敗退と共に、オレの中での夏の盛りは去ってしまったようだ。
過去の経験から炎熱に焼かれた濃尾平野を想像していたが、意外や涼しく、初めて見る新装の尾張一宮駅もまた2階に涼し気なテラスを設けて市民を集めている。
8年前には国鉄色ともいうべき茶色だか紫色だかの色褪せた横長の巨大な箱がでんと置かれていた。
名古屋大空襲が一宮を含めた大規模なものであったのであれば、おそらく1945年夏以降からずっと置かれていたであろう巨大な箱。
内側は無人を思わせる窓が並んで当時の尾張一宮駅。
オレが想像した通りほとんどの部屋は使用されていなかっただろう。
オレはあの駅舎が好きだった。
ホームから覗く後頭部も好きだった。
新しくなった後頭部は今もホームから覗くことができる。
姫路(ひめじ)駅(山陽新幹線/山陽本線/播但線/姫新線 兵庫県)にて
大垣、米原と乗り継ぎ、姫路で姫新線に乗り換える。
ホームから見える姫路城にケータイカメラを向ける。
姫路に降りるといつもそうしてる気がする。
かつては地べたから出発した姫新線は高架ホームからに変わっていた。
しばらく目にする機会がなければ、次に目にした世界は変貌を遂げている。
播州でもその法則は有効だった。
15:31 播磨高岡(はりまたかおか)駅(姫新線 兵庫県)
ひと駅目のここで数分の停車。
2号国道が駅前を走っているが、片道一車線で狭く、天下の2号国道としての迫力に欠ける。
タクシーが一台、簡易駅舎にされてしまった播磨高岡駅前に止まっていた。
15:48 太市(おおいち)駅(姫新線 兵庫県)
ここは「たけのこの里」。
小山に囲まれた水田風景をホームから眺めている。
駅前にはJAと郵便局。
酒屋の看板を掲げた家屋にクラシックカーが置かれていた。
当然だが酒は置いていない。
山陽自動車道が見える。
ここから一駅戻る。
16:02 余部(よべ)駅(姫新線 兵庫県)
白鳥地区というらしい。
駅前の煉瓦色のマンション1階に居酒屋があり、因幡街道に出れば角にうなぎ屋とホルモン焼き屋が並んでいる。
酒井病院という立派な病院もある。
ワンマン運転の列車では、無人駅に到着すると通常先頭車両の前よりの扉しか開かないが、ここではすべての扉が開いた。
ただし駅員の姿はなかった。
青で統一された沿線の木造駅舎がここではグレーに塗られていた。
池が左右に眺められる区間だった。
16:50 播磨新宮(はりましんぐう)駅(姫新線 兵庫県)
駅舎が新しくなっている。
ひとつ手前の本竜野駅でも事情は変わらなかった。
オレのケータイには旧駅舎の姿が記録されている。
新旧の姿が記録されるのは木津駅に次いでふたつ目ケースになる。
7年前、その木造駅舎から笑い転げながら出てきた女子高生たち。
彼女たちは今もこの駅を利用しているのだろうか。
揖保川に架かった吊り橋の先の結婚式場は閉鎖されていた。
なんだか悲しい気持ちになって7年前と同じ道を引き返して、途中でビールを買って駅に戻る。
駅の正面に立ち、右手にテレビ塔を見る。
蒸し暑く暮れていく寂れた駅前には、オレが感じたかった旅情があった。
山上に設えられた不思議な構造物は何だったのだろう。
7年前の記憶からは漏れている。
17:39 三日月(みかづき)駅(姫新線 兵庫県)
その存在を知ってから、地名にどんな由緒があるのか気になっていた。
森家1万5千石の三日月藩というのがあったらしい。
陣屋跡への案内表示は見当たらず、地蔵堂までいって引き返した。
そこにあった案内板で三日月藩が戊辰戦争の折に官軍として東北まで転戦したことを知った。
揖保川の支流まで延びる小さな商店街でビールを買って駅に戻る。
その商店街には鮮魚から肉まで必要な物はすべて揃っていた。
初めて知る歴史のある町。
満ち足りた気持ちになる。
田舎町で迎える夕暮れにも思うところがある。
夏の夕暮れ、、、例えどこで迎えたとしても、某かの余韻が残るものだ。
ここから一駅戻る。
18:13 西栗栖(にしくりす)駅(姫新線 兵庫県)
行きに眺めた古い駅舎に誘われて、当初降りることを予定していた千本駅から計画を変更。
村のコンビニに酒は置いていなくて、いつ以来だか覚えていないソーダアイスを購入した。
話題のガリガリ君だよ。
白鳥を多く見かける区間で、様々な蝉の声にはヒグラシの声も混じる。
駅前の青屋根のお宅ではお若い亭主がご帰還。
車から降りた彼を迎える二人の少女の楽しげな声が聞こえた。
気の進まない頃もあったけど、そんな未来が欲しいとオレも思っている。
播州の夕暮れが与えてくれたこの想いがいつか実るといい。
19:08 美作江見(みまさかえみ)駅(姫新線 岡山県)
数分の停車。
播州から作州へ。
所縁の人物は黒田官兵衛から宮本武蔵へと移った。
通り過ぎてきた佐用は7年前に訪れたのち水害に遭っている。
当時は随分心を痛めた。
ホームから変わらぬ町並みが見えて安心した。
日が暮れて、山村の小さな駅で停車。
改札のたたずまいは、降車客を迎える駅員の姿がないことを除けば、何10年も前から不変でいられるものがあるのだと誇示しているように見える。
列車が動き出す。
行き先の天空に「天」の字が光っている。
19:48 林野(はやしの)駅(姫新線 岡山県)
湯郷温泉の看板は駅の灯が消えると何なのだか正体不明になった。
湯郷・・・なでしこリーグでその名を見たような気がする。
どこからか盆踊りの音が聞こえてきて179号国道まで出てみたけれど、会場もまた不明だ。
あの新しいトンネルのムコウから聞こえてきているのかもしれない。
タクシー会社と喫茶パチンコの廃墟が目につく駅前。
川が落合う村の空に送り火が浮かんでいる。
遠くからは「天」に見えた大文字は、ここでは「美」に変わっていた。
ちょっとしたマジックだ。
虫にまとわりつかれた美作の夜。
不愉快だが、古来夏の夜とはこういうものだ。
20:40 上月(こうづき)駅(姫新線 兵庫県)
無性に上月で降りてみたくなり4駅戻る。
戦国の豪傑、山中鹿之介の苦闘の歴史に終止符が打たれた播州最果ての地は、ホタルの里。
佐用川を渡ると上月支庁の背後は闇で城跡の見当はつかない。
ここでも盆踊りのアナウンスが聞こえてくる。
「艱難辛苦を与え給え」と月に祈った鹿之介が、ここ上月でも見たであろう月は上がっていないが、満足はしている。
彼はやがて護送中の渡しで毛利軍のだまし討に遭うが、ここでは自ら死を選ぶことはなかった。
尼子氏再興のために何度も立ち上がった彼が、何を思って軍門に降ったのか。
ここ上月でそんな彼と尼子一族の悲劇を想いたかった。
列車の到着が遅れている。
アナウンスはないが、踏切の警戒音が聞こえてきた。
津山口(つやまぐち)駅(姫新線 岡山県)にて
津山口~津山間(徒歩)
23:12 旅館お多福はぎ
住宅街の真ん中にある津山口駅で降りる。
僅かな雨を凌げる簡易待合所しかない素っ気ない駅だった。
ひとりになった。
周囲に人影を見ない。
線路に沿って津山の街中へと歩いて行く。
すれ違う者のないひっそりとした通りを真っ直ぐ歩き姫新線の踏切を越えてしばらくすると出雲街道に出る。
津山駅へと向かう道だ。
暗くはないが、明るくもない道には全国チェーンのファミレスなどの進出は見られず、途中右手に「大」の字の送り火が見えた。
津山の繁華街にある旅館に投宿している。
津山は3度目になるが、鶴山公園一帯に足を踏み入れるのは初めてになる。
中国山地の街に泊まるのも同じく初めてのことになる。
そこここに城下町の風情が感じられ、吉井川に架けられた橋のあたりの灯は京都祇園を思い出させてくれた。
この国にはまだまだステキな街がある。
ただ、人通りは極端に少なく、たまに若者の集団を見かけるのみ。
雅な夜の街は閑散としていたが、この暑気とは関係のない、街が持つ熱は感じとった。
しかし「熱闘甲子園」を見ながらこうして記していたのじゃ気が散る。
津山には、明日の朝早くに一旦離れてからまた昼過ぎに戻ることになる。
当り前というべきだが、蒸し暑い夜だ。
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