*

「車旅日記」2005年春 初日(松本-富山)走行距離317㎞ その1-新宿駅、松本駅、明科駅、聖高原駅、冠着駅、姨捨駅、篠ノ井駅、川中島駅、飯山駅 【松本から富山へ。今にして思えば、なぜこの旅を思い立ったのか思い出せないのでございます。】

公開日: : 最終更新日:2025/05/24 旅話, 旅話 2005年

車旅日記2005年4月29日・・・新宿駅、松本駅、明科駅、聖高原駅、冠着駅、姨捨駅、篠ノ井駅、川中島駅、飯山駅

2005・4・29 6:06 新宿駅9番ホーム
中央線は山路の入口。
春山に分け入ろうとする者たちが春風に吹かれている。

北へ向かう旅は久しぶりだ。

弁当屋が開いて、朝一番の特急列車を迎える用意が整った。
オレが乗るこの列車は白馬まで行く。

新宿は旅の駅に相応しくないと思っていたが、そうでもない。
まるで空港のように混み始めた。

この駅じゃ、これは日常の風景だ。

9:41 松本駅
煙草の匂いの染みついた旧型の狭い客車に揺られ、信濃の国へ。
車窓を眺めながらオレの血にまつわる何事かを感じていた。

多くの旅行客がオレの前を通り過ぎていくが、特急は空いていた。

でも信州信濃を目指す客は東京からのものだけじゃない。
かつて京都にいた恋人が、「憧れの信州を通過中」とのメールを寄こしたことを思い出した。

2009年7月19日撮影

10:48 明科駅(松本駅より18㎞)
新緑の信濃路は優しい風景に満ちている。
かつてオレのご先祖様が眺めたであろう、奥穂高岳をはじめとする大山塊が雪をかぶっている。

駅前の喫煙所は若い娘に奪われたけど、途中大きな声で「馬鹿野郎」と叫ぶと、胃のあたりがスッキリした。
なるほど。
胃にきていたんだな。
道理で体が重い。

ここは素敵な場所だ。
松本で車を借りて19号国道を北へ。
随分昔に走っているはずだが鉄道の記憶はなく、川と道の駅の記憶が残るだけだ。

オレの信濃体験や知識などはいい加減なものだ。
走っていくうちに分かるだろう。

花の名前は知らないが、線路内にピンク色の花がきれいに咲いている。
それにあの桜。

駅舎には蕎麦屋が入っている。
「駅そば」ではなく、立派な構えの蕎麦屋だ。

それにしても4月終わりの信濃国はこんなにも暖かいのか。

11:37 聖高原駅(松本駅より39㎞)
長いトンネルを抜けてきた篠ノ井線と合流して、聞いたことのない高原の入口駅に着く。
7、8両の客車を連ねた特急列車が、鄙びた寒村に敷かれた一本の線路を長野方面に去っていく。

強い風が吹いている。
視界が開けた村で高速道のインターチェンジが見える。
どの季節だか分からなくさせる風が吹いている。

駅を出て40号国道に向かう道すがらに旅館もあれば食堂もある。
営業はしているようだ。
駅員が常駐していることから、利用客はそこそこいるのだろう。
野良着を着こんだ近所のオッサンが、名古屋行特急の指定券を購入しにやってきた。

桜木は見かけないが、ところどころに桃色を見かける。
里の春だ。
今日はしかし夏日じゃないか。

駅前には明治神宮の支社がささやかな参道を従えて鎮座している。

鳥はこんな強風の中でも平気なのか。
さえずりは耳に心地よく美しい。

12:00 冠着駅(松本駅より44㎞)
「かむりき」と読む駅にいる。

心細い道を線路伝いに走っていたら見事な桜に出会った。
ホームの上を満開の桜が咲き誇っている。
これが古里の風景。

駅では朴訥そうな事務員が太平を貪っている。
写真家然とした男が撮影場所を探してあたりを行きつ戻りつしている。

風はまだ強く、風の音と鳥の発声以外に聞こえるものはない。
どうやら旅のクライマックスは早々にやってきたようだ。
たぶんこれまでにも目にはしたことはあるだろうが、こんなにもの見事な桜の光景を見るのは初めてのような気がして、しばらく茫々とした。

36年のこれまでの人生はそれなりにいいものだった。
そう思える桜との出会いだった。
立ち去るには惜しく、かつての吉野を思い出す。

淡い黄色に桜色。
道にはそうした可憐な色が散らばっている。

この駅には光が差していた。
花の力とはこんなにも強いものなのか。
素晴らしい。

12:52 姨捨駅(松本駅より66㎞)
冠着トンネルを抜けた線路と再会して、伝説の地へ。
昔、若者が母親を背負って分け入った峰々は険しく、上り詰めると小さな湖やゴルフ場があった。

日本三大車窓風景に数えられている景勝はまさに見事だ。
面前に広がる善光寺平。
そして整然かつこじんまりとした棚田。
駅員の姿はなく、駅をきれいにしてくれと記されている。

オレの知る信濃は狭い。
ましてやこの国など知らないに等しい。

この風景はかつて最上川を眺めた場所に似ている。
善光寺平にはより人の匂いがする。
月がいいと、駅の案内板にはあるが、さぞかし素敵な月見ができるだろう。

伝説の古里に降り立った。
のんびりとした旅だが、これでいい。

2014年3月23日撮影

13:51 篠ノ井駅(松本駅より80㎞)
姨捨の道を下り善光寺平へ。
棚田へ誘う小さな観光表示を見つける。

長野盆地を北へ。

金の用はこの町で足りた。
食事は居酒屋でうな丼。
少しばかり奮発した。

かつてこの駅は長野五輪の開閉会式会場最寄りの駅だったという。
かつて世界を受け入れた栄光の記憶を残している。

その影響からか、駅はこじんまりとした新幹線駅のようだ。
長野新幹線はここを通過する。
その雄姿を覗ける展望フロア-があり、近代化された改札口の脇には昔ながらのカウンターだけの「駅そば」。
そうか、「駅そば」があったのか。
でも、もう食事は済ませたしな。。

金の用は済んだし、長野駅には寄らない。
オレが知る長野駅周辺は新幹線が走る前のものだから、随分と変わっていることだろう。

そして今ここを、地を均すように音速で新幹線が走り過ぎていく。

14:11 川中島駅(松本駅より87㎞)
かつて竜虎相打つ激戦場となった町の駅前にブリトニー・スピアーズの音楽が流れている。
駅前にはその音の主である電器屋さんしか見当たらない。

駅舎はオレが知る姿とは違う。
新幹線の高架下に塗りこめられたような味気ないものになっている。
これが近代化の代償。

かつての古戦場の歴史的重みはこの場所にはなく、あと2駅の距離に迫った長野という都市の匂いもまだしない。

ただ、川中島という響きは懐かしい。

上杉謙信が武田信玄に切りつけた場面が銅像として再現されている八幡原古戦場。
戦死した武田典厩信繁の墓がある典厩寺。

親父に連れられて兄貴と一緒にこの地に来たのは、、、そうかあれから25年も経つのか。

2014年3月23日撮影

15:38 飯山駅(松本駅より126㎞)
18号国道から眺めた長野市内に高層ビルはなく、盆地にできた一地方都市の姿は変わっていなかった。
ひとつだけ長野五輪の遺構が残り、あの頃は確かに存在したことを思い出させてくれる。

18号国道を北へ。
豊野からは志賀高原方面へ。
北へ向かっている。
北信に向かっている。

風景に見覚えがあり、寒々とした街道が続き、峰々には重厚な雲がかかる。
何の変哲もない田舎道だが、気持ちは浮き立った。

飯山市内への表示に従い国道を離れると、右手に日赤病院。
もう14年前になるが、オレは10日ばかりをこの町で暮らしたことがある。
あの病院の大部屋でだ。
2人の友人と母親、叔母、そして当時の恋人が見舞いに来てくれた。

駅は当時のままなのだろう。
駅もそうだが、病院の姿もよくは覚えていない。
白い外壁だったように思うが、定かじゃない。
違うものを見ている感覚だけがあった。

かつての恋人は、新幹線開通前で交通事情のよくない鉄道を乗り継いで、ひとりでこの町にやってきて、この駅で降りた。
オレのために購入してきてくれた本は、この駅周辺で買い求めたはずだが、本屋の姿ももはやない。

自由に歩けるようになってから、オレも一度このあたりを歩いたはずだ。
そして今日歩いて思った。
たぶんあの頃より町は小さくなったのだと。
病院まで歩いて駅に戻る途中で冷たい風に吹かれて、ふと「襟裳岬」が口をついて出た。

悪いが、覚えていない。
入院していた日々は記憶にあるが、町は覚えていない。

かつての恋人を思い出せる場所ではある。
そんな場所にいるのも久しぶりだ。
思えば彼女は北国からやってきたのに、寒い場所にしか連れていってあげられなかった。

駅はあの頃の印象より輝いている。
太い柱で支えられた立派な駅だ。
少し離れた場所からの眺めは神社のようだった。

中信の暖かさはこの町にはなく、強く冷たい風に風花が舞っている。

関連記事

「車旅日記」2003年夏 初日(函館-札幌)走行距離471㎞ -知内駅、道の駅上ノ国もんじゅ、瀬棚町、道の駅いわない、小樽駅、札幌東急イン 【北海道初上陸。2,300㎞を移動した5日間の記録でございます。】

車旅日記2003年8月13日・・・知内駅、道の駅上ノ国もんじゅ、瀬棚町、道の駅いわない、小樽駅、札幌

記事を読む

「鉄旅日記」2009年晩秋 2日目(倉敷-和田山)その2-郡家、若桜、智頭、京口、福崎、寺前、和田山(因美線/智頭急行/播但線) 【陰陽を行き来した3日間。この国の秋は美しゅうございました。】

鉄旅日記2009年11月22日・・・郡家駅、若桜駅、智頭駅、京口駅、福崎駅、寺前駅、和田山駅(因美線

記事を読む

「鉄旅日記」2020年文月 初日(東京-香住)その3‐米原、京都、梅小路京都西、丹波口、花園(東海道本線/山陰本線) 【コロナ禍でございます。内緒の旅でございました。余部鉄橋へ。萩へ。霧の街へ。東京五輪延期で浮いた4連休の記録でございます。】

鉄旅日記2020年7月23日・・・米原駅、京都駅、梅小路京都西駅、丹波口駅、花園駅(東海道本線/山

記事を読む

「鉄旅日記」2016年夏 初日(東京-弘前)-福島、仙台、北山形、新庄、秋田、井川さくら、大館、弘前(東北本線/仙山線/奥羽本線) 【じきに廃線を迎える留萌~増毛に用がありました】

鉄旅日記2016年8月10日・・・福島駅、仙台駅、北山形駅、新庄駅、秋田駅、井川さくら駅、大館駅、弘

記事を読む

「鉄旅日記」2017年夏 最終日(十三-東京)その2-野洲、米原、神領、定光寺、中津川、塩尻、岡谷、日野(東海道本線/中央本線)【私鉄王国で過ごす夏】

鉄旅日記2017年8月14日・・・野洲駅、米原駅、神領駅、定光寺駅、中津川駅、塩尻駅、岡谷駅、日野駅

記事を読む

「車旅日記」2005年冬 2日目(都城-人吉)走行距離284㎞ その2-伊集院駅、串木野駅、川内駅、薩摩高城駅、大隅横川駅、吉松駅、人吉駅前ホテル 【どこへ行こうか。まっさきに浮かんだのが、昨夏に旅した南九州でございました。】

車旅日記2005年2月12日・・・伊集院駅、串木野駅、川内駅、薩摩高城駅、大隅横川駅、吉松駅、人吉駅

記事を読む

「鉄旅日記」2020年卯月 初日(東京-新津)その4‐置賜、高畠、米沢(奥羽本線) 【緊急事態宣言発令直前のことでございます。常磐線全線運転再開を祝して人知れず旅に出たのでございます。】

鉄旅日記2020年4月4日・・・置賜駅、高畠駅、米沢駅(奥羽本線) 15:32 置賜(

記事を読む

「車旅日記」2006年初夏 最終日(近江八幡-長浜-揖斐-岐阜)-ホテルはちまん、近江八幡駅、安土駅、彦根駅、長浜駅、垂井駅、美濃赤坂駅、揖斐駅、木知原駅 【これが最後の車旅でございます。鈴鹿山脈を回るように、終着駅を探して走ったのでございます。】

車旅日記2006年7月17日・・・ホテルはちまん、近江八幡駅、安土駅、彦根駅、長浜駅、垂井駅、美濃赤

記事を読む

「鉄旅日記」2009年秋 初日(東京-新庄)松戸、取手、友部、上菅谷、常陸太田、高萩、いわき、郡山、福島、米沢、山形、新庄(常磐線/水郡線/水郡線常陸太田支線/磐越東線/東北本線/奥羽本線) 【女川を目指した旅。ここには震災前の女川の姿が残されております。】

鉄旅日記2009年10月10日・・・松戸駅、取手駅、友部駅、上菅谷駅、常陸太田駅、高萩駅、いわき駅、

記事を読む

「鉄旅日記」2019年霜月 2日目(五所川原-北上)その2‐大館、大鰐温泉、大鰐、中央弘前、弘前(奥羽本線/弘南鉄道大鰐線) 【津軽鉄道、弘南鉄道に乗りにいきました。羽州街道を歩いた晩秋の旅でございます。】

鉄旅日記2019年11月3日・・・大館駅、大鰐温泉駅、大鰐駅、中央弘前駅、弘前駅(奥羽本線/弘南鉄道

記事を読む

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

「鉄旅日記」2022年皐月 ツレと訪ねた下部温泉~富士宮~田子の浦旅でございます。初日(東京-下部温泉) ‐市川大門、下部温泉(身延線)【Facbookへの投稿より振り返ります。】

鉄旅日記2022年5月28日・・・市川大門駅、下部温泉駅(身延線)

「鉄旅日記」2022年皐月 最終日(磐梯熱海-東京)その3 ‐駒形、前橋大橋、高崎、本庄(両毛線/高崎線)【日光線全駅乗降を果たし、猪苗代湖畔に遊び、磐梯熱海の湯につかり、国定忠治を訪ねた旅でございます。】

鉄旅日記2022年5月8日・・・駒形駅、前橋大島駅、高崎駅、本庄駅(

「鉄旅日記」2022年皐月 最終日(磐梯熱海-東京)その2 ‐国定(両毛線)/国定忠治墓(養寿寺)【日光線全駅乗降を果たし、猪苗代湖畔に遊び、磐梯熱海の湯につかり、国定忠治を訪ねた旅でございます。】

鉄旅日記2022年5月8日・・・国定駅(両毛線)/国定忠治墓(養寿寺

「鉄旅日記」2022年皐月 最終日(磐梯熱海-東京)その1 ‐磐梯熱海、新白河、小山(磐越西線/東北本線)【日光線全駅乗降を果たし、猪苗代湖畔に遊び、磐梯熱海の湯につかり、国定忠治を訪ねた旅でございます。】

鉄旅日記2022年5月8日・・・磐梯熱海駅、新白河駅、小山駅(磐越西

「鉄旅日記」2022年皐月 初日(東京-磐梯熱海)その4 ‐関都、猪苗代湖畔、上戸、磐梯熱海(磐越西線)/志田浜~上戸浜/伊東園ホテル磐梯向滝【日光線全駅乗降を果たし、猪苗代湖畔に遊び、磐梯熱海の湯につかり、国定忠治を訪ねた旅でございます。】

鉄旅日記2022年5月7日・・・関都駅、猪苗代湖畔駅、上戸駅、磐梯熱

→もっと見る

    PAGE TOP ↑