*

「車旅日記」2005年初夏 最終日(新潟-長岡)走行距離246㎞ その2-青海川駅、安田駅、北条駅、長鳥駅、来迎寺駅、長岡駅、東京葛飾金町 【長岡、会津、庄内。戊辰戦争ゆかりの地を巡りたかったのだと記憶しております。】

公開日: : 最終更新日:2025/05/24 旅話, 旅話 2005年

車旅日記2005年7月18日・・・青海川駅、安田駅、北条駅、長鳥駅、来迎寺駅、長岡駅、東京葛飾金町

15:24 青海川駅(7月16日の長岡駅より893㎞)
日本一、海に近い駅。

8号国道に架かる巨大な赤い鉄橋の下に集落がある。
目の前には日本海が広がり、小さな青い駅がある。
その構内に記されていたのが冒頭のフレーズ。

荒い波が打ち寄せる海辺で僅かな人々が遊んでいる。

長岡方面のホームに行って海を眺めたよ。
しばし時間が止まったかのようだった。

水平線は丸みを帯び、視線を直江津方面に移すと落差のある滝が落ちている。
あの滝の存在は知られているのだろうか。
海からと、駅のホームからじゃなきゃ見ることができない。

素晴らしい時間だった。
ここに来られて本当によかったよ。
そんなチープな言葉が口をついて出た。

去り際にトンネルから闇を抜けて直江津行の列車がやってきた。

16:05 安田駅(7月16日の長岡駅より907㎞)
安田という名を懐かしく思っていたけど、上杉家に属していた豪族に安田某という人物がいたことを思い出した。
この土地はその一族が治めていたのだろう。

信越本線はもはや日本海を離れた。
あれだけの人々が日本海へ繰り出していたんだ。
海辺の道は夕方に向かうにつれて混雑するだろう。
オレが選択したこの道の平穏を祈る。

この旅も残り3時間。
海辺では素敵な時間を過ごした。

駅前を252号国道が通り、長岡方面行の列車を待つ者は田園の先に県道を上下する車を見る。
柱も電化設備もグリーンに塗られている。

少年が急いで自転車を置き、駅へと駆け込んできたが、無情にも列車は彼を乗せることなく駅を離れた。
悔しがる彼は、いい面構えの少年だった。

この駅に停車する列車は1時間に1本ほど。
父親の実家の脇にあった集会所を小ぶりにしたような駅舎に、駅員の姿はある。

16:25 北条駅(7月16日の長岡駅より910㎞)
蒸し暑い蝉の声が聞こえている。
じーじーと。

原っぱと小高い丘と。
背後の山は城跡で、いい状態で遺構が残されているとのこと。

安田で感じたとおり、ここは北条氏の本拠地。
上杉謙信の頃には北条丹後守の名が歴史書に見られる。
北条氏は中国の毛利氏と縁を持つ一族であることが駅の案内板には記されている。

駅員の姿はなく、駅舎は蔵造り。
特徴を見いだせない田舎風景に、電化された信越本線の2本の線路が溶け込んでいる。
こうした風景に旅情を感じて久しい。
最も好む風景の一つだ。

寂れたというより、以前からこのようだったのだろう。
この村にも濃厚な郷愁を感じている。

通過していった列車は新潟行の北越号だった。

16:45 長鳥駅(7月16日の長岡駅より917㎞)
この道は通行止め。
だから駅に寄ってみた。
これがきっと最後になるだろう。

小高い場所でよかった。
車を止めている集落が見渡せる。
今回の旅で柴橋駅や羽前前波駅でも似たようなことを記してきたけど、夏の暑い夜にこの駅の狭いホームに上がって、村総出で宴会でも行えると素敵だ。

待合室は地下にあって、警笛が鳴ると乗客はホームへの階段を上がる。
そんな小高い駅。

17:21 来迎寺駅(7月16日の長岡駅より935㎞)
土砂崩れで信越本線に沿った道は閉ざされ、途中に産廃処理場がある山道を走り、404号国道へ。
長岡はもうすぐ。

すぐそこで自転車に乗った少女を撥ねそうになった。
危なかった。

あたりは住宅地で、駅正面にはきれいな菓子屋と社宅のような旅館がある。
駅舎はこの3日間では見かけなかった造りをしている。
市民会館といった趣だろう。
五角形をしていて、駅員の姿が見える。

4人の少女が駐車場で遊んでいる。
和む光景だ。
明日の学校まで待てないのだろう。
そして今日も暮れていく。

線路に西日が差す様は絵画的だ。
これでこの旅もおしまいだな。

18:36 長岡駅(7月16日の長岡駅より947㎞)
無事だ。
よかったよ。
まずは感謝。

一昨日の朝にこの街に着いた。
あの時はまだ街は眠っていた。
今は素敵な夕暮れ色をしている。

真イカの刺身がイケてる。
それに安い。
北越の実力が分かる。
このイカは東京じゃ食べられない。
仮に食べられたとしても、この味は関東平野に持ち込まれたあたりで消えているだろう。

長岡城址があると知って、行ってみた。
記念碑しか残されていない。
幕末の長岡戦争で落城焼失後、明治政府は何も手を加えなかったらしい。
長岡武士の意地はそうした作用を残した。

さらに長岡大空襲で跡形もなくなったという。
当時の本丸は今の長岡駅が建つ位置にあったようだ。

長岡、会津、庄内。
かつて、この国で時代に抗い、賊軍となり、命を懸けた人々が生きた街を今回の旅で辿ってきたことを、長岡城址の碑を見るまで忘れていた。

傍で酔っ払っている連中は標準語でまくしたてている。
長岡人じゃなさそうだが、何の集いだろう。
面白そうな話が聞こえてくる。

夜が近づいてきた。
駅前の「ながおか」という花文字の判読が困難になり、タクシーの動きが活発になってきた。

ほんの少しの間に闇が深くなり、色が分かれていた長岡駅が夜色に統一された。
一昨日の朝も、オレの寝ぼけた目は同じ色を見ていた。
長岡駅の本当の色をオレはこの先も覚えているだろうか。

山古志村のことは気になっていた。
新潟豪雨から一年が経ったようだが、仮設住宅は今も並んでいる。
国道には山古志の看板が立ち、帰りの道路標示にも長岡と並んで山古志の名が記されていた。

このあたりにも、この世とは思えないような雨が降ったのだろう。
頑強な長岡人の末裔が受けた苦難だった。

そんな苦難に対しての、この「応援酒」は美味しいよ。
何もできないが、やがてうまくいくことを祈っている。

あの花文字は夜と同化した。

いつかこの街で毎年打ち上げられる日本一の花火大会を見に行こう。
場所は、日本一の大河である信濃川の畔だろう。
さぁそろそろ新幹線が出る時間だ。

2018年3月4日撮影

24:29 東京葛飾金町
車中は眠れなかった。
読書は随分と進んだ。
947㎞の旅の余韻はもう残っていなかった。

思い出すのは、長岡厚生会館の前で踊りの振りを合わせていた二人の少女のことや、後は何だろう。
上野に着いてオレの右手に触れた女性のことか。
今は愛すべき女性のことを考えたいが、どこでどうなったのか、さっきまで5年前に付き合いを断られた女性のことを考えていた。

昨日車を走らせていたオレを楽しませてくれた斉藤由貴が、今夜この部屋でも「無理じゃないよ」と歌っている。
でも、そんなことを信じていくことはもうできない。

今も好きだけど。
でもその気持ちは上野駅に降りたという事実から生まれたもので、東京駅で降りていたら違っていただろう。
それが人生というものかもしれない。
気づかぬうちにボタンを掛け違えている。

様々あったが、東京を出たオレが初めて気を許せた土地を巡った旅だった。
今じゃそんな街町も日本全国に散らばっている。

関連記事

「鉄旅日記」2020年晩秋 最終日(武生-東京)その1‐越前武生、武生、三方、美浜(北陸本線/小浜線) 【大人の休日倶楽部パスで北陸へ。新幹線、在来線特急乗り放題でございます。魚津、雨晴をめぐり、氷見線、万葉線、城端線、七尾線、えちぜん鉄道、福武線、北陸鉄道との再会でございます。】

鉄旅日記2020年11月23日・・・越前武生駅、武生駅、三方駅、美浜駅(北陸本線/小浜線)

記事を読む

「鉄旅日記」2016年春 最終日(水沢-東京)その2-気仙沼、一ノ関、小牛田、大河原、福島、安積永盛、久喜(大船渡線、東北本線) 【東日本大震災被災地へ】

鉄旅日記2016年3月6日その2・・・気仙沼駅、一ノ関駅、小牛田駅、大河原駅、福島駅、安積永盛駅、久

記事を読む

「鉄旅日記」2008年初夏 2日目(和歌山-松阪)その1-和歌山市、和歌山、海南、西御坊、御坊、紀伊田辺、白浜(紀勢本線/紀州鉄道) 【まほろばの路から紀州へ。紀伊半島で過ごした短い夏の記憶でございます。】

鉄旅日記2008年7月20日・・・和歌山市駅、和歌山駅、海南駅、西御坊駅、御坊駅、紀伊田辺駅、白浜駅

記事を読む

「車旅日記」2004年春 2日目(紋別-釧路)走行距離367㎞その1-紋別港、サロマ湖三里浜オートキャンプ場、芭露駅跡、サロマ湖ワッカ原生花園、網走市鉄道記念館、網走監獄、網走駅、北浜駅、浜小清水駅 【旭川に下りて、思う存分に北の大地を走った旅の記録でございます】

車旅日記2004年5月2日・・・紋別港、サロマ湖三里浜オートキャンプ場、芭露駅跡、サロマ湖ワッカ原生

記事を読む

「鉄旅日記」2009年秋 5日目(松浦-若松)その2-宇美、西戸崎、香椎、福間、赤間、折尾、若松(鹿児島本線/香椎線/筑豊本線) 【遅い夏休みをとり、長崎までの切符を買いました。】

鉄旅日記2009年9月22日・・・宇美駅、西戸崎駅、香椎駅、福間駅、赤間駅、折尾駅、若松駅(鹿児島本

記事を読む

「鉄旅日記」2009年秋 4日目(佐賀-松浦)その1-佐賀、肥前竜王、里信号場、喜々津、浦上、浦上駅前、長崎駅前、長崎、長与、諫早(長崎本線/長崎電気軌道/長崎本線長与支線) 【遅い夏休みをとり、長崎までの切符を買いました。】

鉄旅日記2009年9月21日・・・佐賀駅、肥前竜王駅、里信号場、喜々津駅、浦上駅、浦上駅前駅、長崎駅

記事を読む

「鉄旅日記」2020年神無月【ツレと筑波山を訪ねたのでございます。関東に暮らす身にとりまして、高所に上がりますと平野の果てに浮かぶ筑波山はいつか登るべき山でございました。】-北千住駅、つつじヶ丘駅、女体山、男体山、筑波山頂駅、宮脇駅、筑波山神社、沼田バス停、つくば駅(つくばエクスプレス/筑波山シャトル/筑波山ロープウェイ/筑波山ケーブルカー)

鉄旅日記2020年10月4日・・・北千住駅、つつじヶ丘駅、女体山、男体山、筑波山頂駅、宮脇駅、筑波

記事を読む

「鉄旅日記」2021年師走 最終日(古川-東京)その2 ‐川渡温泉、鳴子御殿湯、鳴子温泉(陸羽東線)/東鳴子温泉神社 【特急乗り放題の大人の休日倶楽部パスで冬の国へ。山田線完全乗車と鳴子温泉郷を始めとした陸羽東線沿線を歩くことが目的でございました。】

鉄旅日記2021年12月5日・・・川渡温泉駅、鳴子御殿湯駅、鳴子温泉駅(陸羽東線)/東鳴子温泉神社

記事を読む

「鉄旅日記」2020年弥生 2日目(高山-速星)その1‐高山、打保、猪谷、富山、電鉄富山(高山本線) 【富山地方鉄道に乗りにまいりました。太多線、高山本線に乗るのも楽しみにしていたのでございます。】

鉄旅日記2020年3月21日・・・高山駅、打保駅、猪谷駅、富山駅、電鉄富山駅(高山本線) 2020

記事を読む

「鉄旅日記」2014年夏 2日目(津山-鳥取)その2-金川、弓削、亀甲、美作滝尾、三浦、美作加茂、知和、智頭、用瀬、津ノ井、大岩、岩美、鳥取(津山線、因美線、山陰本線) 【青春18きっぷで、中国ぶらぶら旅】

鉄旅日記2014年8月14日その2・・・金川駅、弓削駅、亀甲駅、美作滝尾駅、三浦駅、美作加茂駅、知和

記事を読む

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

「鉄旅日記」2022年新春 初日(東京-湯瀬温泉)その1 ‐松戸、神立、友部、水戸、いわき(常磐線) 【巨大な土偶が貼りつく木造駅を見たくて冬の東北を旅しました。】

鉄旅日記2022年1月8日・・・松戸駅、神立駅、友部駅、水戸駅、いわ

2021年神無月~2022年如月【SNSへの投稿より】写真をお楽しみいただけますと幸いでございます。ー下高井戸商店街、辻清人先生、紅葉の頃、金町夕景、今年も暮れゆく東京、金町睦月如月、柴又

2021年10月30日 母校を訪ねるのは卒業以来30年振りでご

「鉄旅日記」2021年師走 最終日(古川-東京)その4 ‐立小路、赤倉温泉、村山、さくらんぼ東根(陸羽東線/奥羽本線/山形新幹線) 【特急乗り放題の大人の休日倶楽部パスで冬の国へ。山田線完全乗車と鳴子温泉郷を始めとした陸羽東線沿線を歩くことが目的でございました。】

鉄旅日記2021年12月5日・・・立小路駅、赤倉温泉駅、村山駅、さく

「鉄旅日記」2021年師走 最終日(古川-東京)その3 ‐瀬見温泉(陸羽東線)/湯前神社/山神社 【特急乗り放題の大人の休日倶楽部パスで冬の国へ。山田線完全乗車と鳴子温泉郷を始めとした陸羽東線沿線を歩くことが目的でございました。】

鉄旅日記2021年12月6日・・・瀬見温泉駅(陸羽東線)/湯前神社/

「鉄旅日記」2021年師走 最終日(古川-東京)その2 ‐川渡温泉、鳴子御殿湯、鳴子温泉(陸羽東線)/東鳴子温泉神社 【特急乗り放題の大人の休日倶楽部パスで冬の国へ。山田線完全乗車と鳴子温泉郷を始めとした陸羽東線沿線を歩くことが目的でございました。】

鉄旅日記2021年12月5日・・・川渡温泉駅、鳴子御殿湯駅、鳴子温泉

→もっと見る

    PAGE TOP ↑