「車旅日記」2005年冬【どこへ行こうか。まっさきに浮かんだのが、昨夏に旅した南九州でございました。】初日(熊本空港-高森-湯前-都城)走行距離270㎞-羽田空港、熊本空港、立野駅、高森駅、湯前駅、小林駅、都城グリーンホテル
車旅日記2005年2月11日
2005・2・11 8:11 羽田空港58番ゲート
眠っているうちに気持ちは旅へと切り替わっていたようだ。
ここまでの4度の乗り換えに何らの支障はなく、「岸和田少年愚連隊」を読み終えて、窓の外を眺める。
空地と雑居ビルの隙間にレインボーブリッジのアーチが見えて、京浜運河沿いに東京モノレールの古ぼけた高架がまるで廃線のように延びている。
人の気配が希薄な大都会の片隅に心惹かれている。
まずは空に上がる。
10:36 熊本空港
快適な空の旅だった。
上空から名古屋港を見下ろす。
ここまで縁を持たなかった大都会が眼下に拡がっていた。
この地に下りて少しの時間が過ぎた。
どうやらトヨタレンタカーの送迎車に見捨てられたようだ。
カウンターに立つ、あの美しい肥後娘にもう一度事情を聞きにいかなきゃならないか。
熊本に下りたのだと実感できる朴訥とした空港だ。
風は冷たいが、あたたかくはある。
目の前には阿蘇の外輪山。
そして白い空港ビルを離れた。
背の低い管制塔を覚えていようと思った。
11:58 立野駅(熊本空港より18㎞)
火の国に下りて1時間が経つ。
57号国道を熊本方面から去年の夏の道へと向かっている。
あの赤い大きな橋をまた渡ることができる。
かつての国鉄のターミナル駅、立野駅は国道を折れたところにひっそりとあった。
豊肥本線の古い線路が草蒸した峡谷沿いに東西に延びて、すぐに姿を隠す。
九州横断列車の威厳のようなものを持ち合わせないごく素朴な鉄路に、晩年を肥後で過ごした宮本武蔵を重ねる。
そして何年も前に国鉄から離れた火山列車の始発駅がここにある。
役場の正午の時報が鳴った。
駅前の食事を出す土産物屋で「おでん」と高菜めし。
店のご主人は民宿も経営しているというスエット姿の「肥後もっこす」だった。
串に刺さったおでんに火の国熊本を味わったような気にさせてもらったよ。
こんな場所で食事にありつけたら最高だと思える場所にいられたよ。
火山列車のホームでは子供たちの賑やかな声が聞こえていたけれど、今はない。
滅多に来ない列車も行っちゃって、あたりはひっそりと落ち着き払い、ご主人は外に出て伸びをする。
退屈かもしれないが、あの暮らしもなかなかよさそうだ。
去年の夏も熊本は通ったが、初めて肥後訛を聞いたよ。
12:43 高森駅(熊本空港より39㎞)
阿蘇に吹く風は冷たい。
あの夏と同じような日差しに青空。
いかに火の国といえども、やってくる冬は半袖で過ごせるほど柔ではないようだ。
阿蘇大橋を渡って左手の滝に目をやる。
夏よりもよく見えたよ。
そして高原に下りて火山列車に沿って、暮らしの道を進む。
大阿蘇は冬枯れ、地の色を見せて、山頂には雪が散らばっている。
九州にも雪は降る。
列島の冬はまだ力を失っていない。
夏と同じ方向に車を走らせているのに、あの大阿蘇の姿を覚えていないことに気づく。
ふと左に目を向けた際に飛び込んできた雄大な姿に驚嘆したよ。
旅も2度目ならゆとりも生まれるのだろう。
火山列車の終着駅、高森。
夏の日より客は多く、トロッコ仕様のメルヘン号ではなく、どちらかと言えばパッとしない立野行ワンマンカーが止まっている。
さっきは線路を歩くご婦人を見かけた。
このあたりじゃ普通のことなのかもしれない。
風は少しだけ強く、空はよく晴れて、1時間前の57号国道には阿蘇を目指す車列が連なっていた。
この駅に再び立ち寄る人生になるとは、去年の夏には思いもよらない。
今回は商店街を通ってここまできた。
なかなかいい町だったよ。
15:33 湯前駅(熊本空港より150㎞)
阿蘇はすでに遥か彼方。
湯の町は随分と遠かったよ。
高森峠で最後の阿蘇の雄姿を見て南へ。
そよ風の町、蘇陽。
九州のへそ馬見原。
そして日向の国へ。
「ひむか神話街道」で五ケ瀬を過ぎる。
水の美味そうな一帯で、ところどころに名水が湧き出ている。
次の町、椎葉という地名には惹かれたけど、とんでもない道になっていた。
狭く蛇行した道は去年の台風で散々に荒らされ、木々は裂け、電柱は横倒しとなり、路肩は崩れている。
神椎葉ダムのあたりで一息つこうと思い、喘ぐように走り、幸いなことに村が近づいたと思いきや、車を寄せられる適当な路肩はなく、一瞬にしてその村は過ぎ去り、険しい道はさらに続く。
残雪の残る飯干峠、湯山峠。
難儀を極め、市房ダムを掠め、ようやく湯前へ。
どこかで古戦場を見かけたけど、どこらあたりだったかすでに記憶にないが、軍隊同士が出会う必然性のあるような地形じゃなかった。
一方は逃げる途中だったのだろう。
おそらく、西南戦争における薩軍の逃避行で起こった局地戦の跡だろう。
きついカーブの度に発せられるカーナビの警告音の絶えない険しい旅路だった。
この町に湯の香りはしない。
木材の町で、線路のすぐ脇に材木が積まれ、駅横には真新しそうなコミュニティセンターがあり、少年がパソコンに向かっている。
民芸品も扱っていて、土産を二品購入。
これは誰に渡すものでもない。
町中からアーチのオブジェが見えて、そこにくま川鉄道の終着駅があるだろうと目星をつけて車をつけた。
湯前駅に駅員の姿はなく、木造建築に瓦屋根の駅舎はいかにも古そうで、横の駐輪場の方が立派に見える。
風に吹かれ、強烈な日差しを浴び続けていれば、こんな姿になるさ。
駅前には古ぼけたレストランと旅館。
焼肉レストランという看板を掲げた店。
どこも客の訪れを期待しているようには見えず、かと言って立ち退く気配もなく、まるで昔からそこにあることを示すためだけに存在し続けるかのように、ひたすら無言を貫いている。
歩く人の姿のない「風と西日の町」湯前。
あたりは低い山に囲まれている。
18:27 小林駅(熊本空港より228㎞)
駅前に日本国旗が翻る小林駅。
少し大きめの村役場といった風情で、三角の時計台に小林駅の文字が刻まれている。
もちろん初めてだが、去年の串間、指宿のように、なんだか懐かしい町だ。
地図を広げはしなかったけど、小林という町が宮崎県にあることを知ったのは1982年の暮れ。
全日本プロレス「世界最強タッグ」の興行日程にこの町を見たからだ。
ホームの上屋も柱も古びていて郷愁をかきたてる。
駅前には立派な旅館があるが、部屋の明かりはひとつとして点いていない。
高校生の少女たちが「寒い寒い」と言いながらはしゃぎ、待合室にも仲の良さそうな少女が二人。
隣に路上生活者然とした初老の男が縮こまっている。
南国の冬の日はなかなか暮れず、山中で心細くなることはなかった。
でも風が冷たい。
こんなオレでも相当に寒いと感じている。
いくつもの峠を越えて町に着いた。
険しい峠ばかりを越えてきた。
九州の山並は遥かで、延々と連なり途絶える姿勢を見せない。
途中ダム湖で一息つこうと堤防上に車を乗り入れたけど、遠くからは観光者の群れに見えた一群は、実は工事関係者で、彼等の怪訝そうな視線に追われるように離れた。
しばらく行くと、まるで山口県の秋吉台を思わせる茫茫とした杉の伐採跡に出くわした。
大型車の通行を許さない国道の脇で、山肌を剥ぐように木々が切り倒された跡だった。
そんな所業を行った人間に、ある種畏敬の念を覚えた。
やがて日は暮れて、薄い三日月が上がっている。
きれいな夜空だ。
駅のムコウが西なんだな。
22:03 都城グリーンホテル672号室(熊本空港より270㎞)
南国の町に、東京のラジオ局「J-WAVE」が流れている。
まさかと思ったが間違いない。
FM宮崎みたいなローカルラジオ局が流している放送を聴きたかったよ。
都城はオレの想像とは随分違う町だった。
この国でおそらく最も優雅な響きを持つ町、都城。
子供の頃から憧れに近い気持ちを持っていたよ。
駅から僅かに延びるメイン通りの右側がビジネス・ホテル街で、左側がスナック街という町割りで、その規模は歓楽街と呼ぶにはあまりに寂しい。
余所者がそうそう訪ねる町じゃなさそうだ。
日向訛はこの町で初めて聞いた。
宮崎駅周辺では聞かなかった訛だ。
これが文化、あるいは土地柄というものだろう。
宮崎市内に降り立つ者はいても、こうして都城に足を延ばす東京者は滅多にいないだろう。
オレが求めている町の姿ではあるが、それにしてもこんな小さな町だったのか。
このホテルのレストランで働く女性は皆美しかった。
都城駅は延岡、日向市と同じように改札口は西を向き、開放的な造りをしている。
次にくる列車は吉松行で、その次のはどこにいくやつだったかな。
待合室には2、3の人影があった。
それとお揃いの白のスエットに身を包んだニートらしき若者が二人、時を持て余していた。
彼等の気持ちは分かるよ。
この町に自分たちに似つかわしい居場所はないのだと思っているのだろう。
それからしばらくして、駅からぶらぶら歩いてホテルに戻る途中で、居酒屋チェーン店に彼等らしき二人連れが入っていくのが見えた。
日本一雅な名を持つ町は、今のところ現代世界から身を置く態度でいる。
221号国道沿いの高崎町は「星空の町」を謳っていた。
車を走らせながら空を見上げれば、なるほどと思わせるほどの星が夜空に散らばっている。
三日月として姿を現した今夜の月の輪郭もはっきりしている。
吉都線は国道との仲が悪く、駅には寄れず悶々としていたけど、この町に着いて同じように空を見上げたら、高崎上空に負けじと星々の輝きがある。
オレにも分かるよ。
あれが北斗七星くらいは。
この南国でキャンプを張っているプロ野球チームがいくつもあるが、今日は寒かっただろう。
よく晴れて気持ちのいい一日だったけど、気温は東京と大差ない。
去年の沖縄は違ったんだ。
汗をかいたくらいだから。
でも列島の南の端に位置する都城の冬は決してあたたかくない。
どこらあたりだったか忘れたが、途中にはスキー場すらあった。
このホテルは線路沿いにある。
古めかしくて大きな鉄道基地がある。
列車がやってくる町にはどことなく情緒がある。
盛を増した町。
そして廃れた町。
後者の方が圧倒的に多く、あるいは都城も後者に属しているのかもしれない。
かつては違っただろうと思いを馳せ、鉄道基地の脇を歩きながら、行先の知れない列車がやってくることを想像した。
明日は、東シナ海を見にいこうか。
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