「車旅日記」2004年夏【九州を一周してみよう。そう思いたった、真夏の日々でございます。】4日目(鹿児島-田原坂-長崎)走行距離384㎞その2-田原坂古戦場跡、大牟田駅、肥前山口駅、長崎ニューポート
車旅日記2004年8月14日・・・田原坂古戦場跡、大牟田駅、肥前山口駅、長崎ニューポート
2004・8・14 17:05 田原坂古戦場跡(8月11日の佐賀空港より1187㎞)
熊本駅を出て3号国道に戻る。
そこで目にした朝日生命ビル。
確か19年前にも見たはずだ。
熊本城の石垣を横目に見て、古武士のような風貌の上熊本駅前を通り過ぎる。
そして西南戦争の最激戦地、田原坂へ。
17日間続いた戦闘を激しい雨が濡らした。
「雨が降る降る田原坂。今日が人生の田原坂」。
12歳の時に見た大河ドラマ「獅子の時代」でその存在を知った場所。
ここに寄るかどうかは今日を迎えるまで決まっていなかった。
蝉の声に混じり、「ふるさと」の時報が聞こえる。
丘の上から眺めた名のない肥後の風景は、夕暮れ時ということもあり味わい深いものだった。
古戦場は公園になり、巨大な慰霊碑が立っている。
周辺には薩軍、官軍双方の墓地がある。
多くの薩摩人が、親兄弟、従兄弟、叔父甥、友人知己でさえも敵味方に分かれての戦いの最中、昼間の激戦が終わり夕暮れを迎えると、両軍の兵士が塁壁上に現れ、無事を喜び、互いの近況を交換する光景が見られたと、海音寺潮五郎さんの小説「田原坂」には描かれている。
明治10年の17日間に降った雨は霙まじりだったそうだ。
18:15 大牟田駅(8月11日の佐賀空港より1217㎞)
かつて薩軍が官軍に対して壮絶な抜刀突撃をかけた田原坂。
三の坂、二の坂、一の坂と史跡を辿りながら坂を下りていく。
当時とたいして変わっていないと思わせる気配の中で鬱蒼としていた。
208号国道が長崎へと続いている。
テレビ塔が見えて、街への接近を感じ、川を越えると玉名。
夕方の渋滞に少しばかりはまった。
やがて筑後、大牟田へ。
この町を縦貫する道には三池道路の名がついている。
大牟田に炭鉱町の風情はすでになく、煙った空に目を向けても男たちの山は見当たらず、南国の雨が落ちてきた。
駅では多くの人々が雨を降らした空を見上げている。
男っぽい街をイメージしていたけど、駅から見える街の風景はむしろ爽やかだった。
道は広く、大きなテレビ塔が聳え、椰子の緑がまぶしい。
平屋の駅舎にはケンタッキー、ampm、パン屋。
空にはまだ青い部分が残っている。
歴史の雨が今年は大牟田に降り、遠くで雷鳴を聞いた。
2009年9月20日撮影
20:05 肥前山口駅(8月11日の佐賀空港より1268㎞)
土砂降りの雨が筑後を濡らす。
西鉄の鉄橋と煙った川面に浮かぶ小舟が旅情をかきたてる。
雨雲の隙間に夕暮れ空を見て、筑後川を越えると佐賀県。
道は流れない。
九州人の歩みは遅いように感じて、若干苛立つ。
東京人の性か。
肥前山口駅という駅名にたまらない旅情を感じて立ち寄ってみたが、周辺にめぼしい商店はなく、基点駅として多くのホームを持つが、駅舎はあまりにも簡素で味気ない。
まるでローカル私鉄駅に降りた時のような気分だ。
駅に人気はないが、ホームに止まっている列車と駅構内が鉄道基地としての風情をかろうじて伝えてくれる。
駅へ上がる階段で、真っ黒な顔をしたプロレスラーのような壮漢がギターの練習をしていた。
なかなかかわいらしい青年で、目を合わせるとはにかんだような笑顔で挨拶をしてくれた。
秋の虫が鳴いているけど、気温30度の蒸し暑い夜だ。
24:49 長崎ニューポート413号室(8月11日の佐賀空港より1357㎞)
有明国道は闇の中。
九州人は足を速めようとしない。
肥前山口駅の青年と出会ってから、少しでも佐賀県に金を落としたいと思い、途中いい具合にガソリンスタンドを見つけた。
初めての有明海をさざ波に感じて、対岸の筑後の町明かりが見えた。
細々として点々としたものだったけど、オレにはあれでいい。
時折空に光の亀裂が走る。
大牟田で耳にした雷かとも思ったけど、どこかの町で上がった花火だったのかもしれない。
今夜は花火日和らしく、あちこちで様々な小さな花火を目にした。
諫早の町明かりはまぶしかった。
長崎到着は遅くなるけど、夜の街に期待して車を走らせていた。
34号国道は途中で二手に分かれる。
オレが採った道からは島原の明かりが見えた。
そして明日、島原に行くことを決めた。
夜景のきれいな街は坂の街。
急な坂を下っていくとその先に長崎の街。
右に曲がると市電と合流して、長崎駅へとさらに下っていく。
長崎駅は19年前の記憶とはまったく違っていて、新幹線駅のようになっていた。
有明国道ですれ違った新幹線のような列車を見て、てっきり長崎新幹線は開通していたかと思ったけど、どうやら特急列車だったようだ。
ビールと夕食はベイサイドの「長崎ぶらぶら館」で。
1階は外国人客が多く、下手くそなバンドが演奏をやめない。
オレがいたのは2階。
ロッド・スチュアートのバラードを流していて、山手の夜景が見える場所で、ビールが進んだ。
思えばいろいろな場所にひとりでいた。
いつも満足していた。
でも今夜ほど満ち足りた気持ちでいることは過去に例を見ない。
友にメールを送り、飽かずに夜景を眺めていた。
寂しいと感じることのない夏の旅だった。
今も寂しさなどはなく、ただ夏の日々は短いと感じている。
明日帰京するという事実はオレの中で現実味を失ったままだ。
長崎を歩けば古い景色もある。
市電通りは19年前とおそらく変わっていないだろう。
好ましいことだけど、オレは新しい長崎に魅かれた。
またひとつ、大好きな街ができた。
関連記事
-
-
「鉄旅日記」2016年夏【じきに廃線を迎える留萌~増毛に用がありました】4日目(富良野-大館)その2-南千歳、苫小牧、登別、東室蘭、北舟岡、伊達紋別、長万部、森、新函館北斗、大館(千歳線/室蘭本線/函館本線/北海道新幹線/奥羽本線)
鉄旅日記2016年8月13日・・・南千歳駅、苫小牧駅、登別駅、東室蘭駅、北舟岡駅、伊達紋別駅、長万部
-
-
「鉄旅日記」2021年春【週末パスで信濃へ。妙高高原駅で引き返し、松本の友人を訪ね、大糸線を旅して思い出の白馬へ。先の旅から一週間後のことでございました。】最終日(松本-東京)その3 ‐南小谷、白馬大池、信濃森上、白馬(大糸線)
鉄旅日記2021年4月25日・・・南小谷駅、白馬大池駅、信濃森上駅、白馬駅(大糸線) 11:
-
-
「鉄旅日記」2009年秋【遅い夏休みをとり、長崎までの切符を買いました。】2日目(新山口-大分)その2-香春、田川伊田、田川後藤寺、日田、豊後森、豊後中村、野矢、由布院、大分(日田彦山線/久大本線)
鉄旅日記2009年9月19日・・・香春駅、田川伊田駅、田川後藤寺駅、日田駅、豊後森駅、豊後中村駅、野
-
-
「鉄旅日記」2018年如月 初日(東京-直江津)その3-梓橋、姨捨、北長野、三才、直江津(大糸線/篠ノ井線/しなの鉄道/えちごトキめき鉄道)【冬の町を見たくて、週末パスを買いました。】
鉄旅日記2018年2月10日・・・梓橋駅、姨捨駅、北長野駅、三才駅、直江津駅(大糸線/篠ノ井線/しな
-
-
「車旅日記」2004年秋【瀬戸内から山陰へ。そんな旅がしたかったのでございます。】2日目(宇野-下津井-新見-津山-城崎)走行距離377㎞ その1-宇野駅、児島駅、下津井港、倉敷駅、総社駅、備中高梁駅、新見駅
車旅日記2004年11月21日・・・宇野駅、児島駅、下津井港、倉敷駅、総社駅、備中高梁駅、新見駅
-
-
2018年初秋 初日(東京-桑名)その3-駅前、赤岩口、井原、運動公園前、駅前大通、豊橋、岡崎、三河豊田、尾張瀬戸(豊橋鉄道市内線/東海道本線/愛知環状鉄道/名鉄瀬戸線)【JR東海&16私鉄乗り鉄☆たびきっぷ」でめぐる東海旅】
鉄旅日記2018年9月15日・・・駅前停留所、赤岩口停留所、井原停留所、運動公園前停留所、駅前大通停
-
-
「鉄旅日記」2018年エイプリルフール その3-谷田川、磐城石川、磐城塙、常陸大子、玉川村、常陸大宮、上菅谷、水戸(水郡線) 【8年振りに金町に帰ってまいりました。青春18きっぷはまだ3日分残っております。呼んでくれたのは会津でございました。】
鉄旅日記2018年4月1日・・・谷田川駅、磐城石川駅、磐城塙駅、常陸大子駅、玉川村駅、常陸大宮駅、上
-
-
「車旅日記」2005年冬【どこへ行こうか。まっさきに浮かんだのが、昨夏に旅した南九州でございました。】最終日(人吉-天草-熊本空港)走行距離240㎞ その2-上天草、三角駅、肥後長浜駅、宇土駅、上熊本駅、肥後大津駅、熊本空港駅、東京葛飾金町
車旅日記2005年2月13日・・・上天草、三角駅、肥後長浜駅、宇土駅、上熊本駅、肥後大津駅、熊本空港
-
-
「鉄旅日記」2014年冬【フリー切符で行く、両毛ローカル旅】最終日(桐生-東京)-間藤、足尾、通洞、神戸、水沼、大間々、相老、桐生、西桐生、新里、膳、大胡、江木、中央前橋、治良門橋、三枚橋、太田(わたらせ渓谷鐵道/上毛電鉄/東武伊勢崎線)
鉄旅日記2014年12月29日・・・間藤駅、足尾駅、通洞駅、神戸駅、水沼駅、大間々駅、相老駅、桐生駅
-
-
「鉄旅日記」2021年春 初日(東京-米内沢)その4‐雫石、田沢湖、神代、角館(田沢湖線) 【大人の休日倶楽部パスで東北へ。新幹線、在来線特急乗り放題でございます。続くコロナ禍ではございますが、約半年の辛抱の時を過ぎて、天候にも苛まれながら秋田内陸縦貫鉄道に乗りに行きました。】
鉄旅日記2021年4月17日・・・雫石駅、田沢湖駅、神代駅、角館駅(田沢湖線) 14:50