「車旅日記」2004年夏 4日目(鹿児島-田原坂-長崎)走行距離384㎞その1-鹿児島東急イン、城山公園、鹿児島中央駅、出水駅、八代駅、熊本駅 【九州を一周してみよう。そう思いたった、真夏の日々でございます。】
車旅日記2004年8月14日・・・鹿児島東急イン、城山公園、鹿児島中央駅、出水駅、八代駅、熊本駅
2004・8・14 9:35 鹿児島東急イン829号室
出発が遅くなった。
でもいいんだ。
昨夜は友と明け方の4時まで飲んでいた。
天文館に繰り出し、豚骨、きびなご、鳥刺を肴に薩摩焼酎を。
さらに山形屋近くのバーで。
楽しい酒だった。
友はそれから吉野町までタクシーで帰っていった。
わざわざ鹿児島まで来てくれたんだ。
今夜の勘定は全部オレが持つ。そう言って、すべて支払ってくれた。
そんな男だったか。
友の新たな一面を知った。
タフでいよう。
ここは男の国、九州だからさ。
10:26 城山公園(8月11日の佐賀空港より978㎞)
最後の鹿児島の記憶を求めて市内を走る。
桜島ももう一度見たかった。
今朝の桜島には雲がかかっている。
昨夜友が言っていた。
桜島に雲がかかると雨が降ると。
降ってくるような蝉の声の下、人々がここに集まってきている。
西郷さん最期の地、城山。
最期の場所までは辿り着けなかった。
10:52 鹿児島中央駅(8月11日の佐賀空港より983㎞)
城山から下りてきて鶴丸城址。
有名な西郷さんの銅像を発見した。
鹿児島での記憶はこれで十分だろうか。
そんなことを思いながら中央駅を目指した。
巨大な観覧車が頭上に聳える駅ビルの開業は9月の話で、東口は工事の最中。
先に開業した九州新幹線の改札前には土産物屋が並び、驚くほど多くの人々でごった返していた。
新たに九州新幹線の係として任命された鉄道員の表情は、随分と緊張しているように見えた。
完全な姿になったこの駅を再訪する機会は、オレに訪れるだろうか。
西口はすでに完成している。
1階のNHKコーナーでは、アテネ五輪の入場式が始まろうとしている。
13:07 出水駅(8月11日の佐賀空港より1056㎞)
鹿児島市内から3号国道を往く。
丘に続く新しくできた団地あたりからしばらく渋滞が続き、それを抜けると宮之城への道。
途中で宮之城を故郷に持つ知人に電話を入れた。
昨夜の友との会話で薩摩人というものを知り、彼のことを考えた。
知人の声はとても優しかった。
これと言って特徴のない山里だったが、気分はとてもよかった。
今日のオレが一番自由なのかもしれない。
宮之城中心街のアーケード通りには町が持つ重みを感じた。
あのあたりに、きっとかつて国鉄宮之城線の宮之城駅があったのだろう。
国道には宮之城高校同窓会告知の看板が置かれ、ある家の前には多くの車が止まり、ふと目をやると大家族が無事の再会を喜び合っていた。
あれがお盆の頃の正しい日本の風景なのだろう。
この出水には鶴が飛来する。
そして九州新幹線が開通して、旧出水駅舎の背後に真新しい巨大駅が出現した。
旧駅舎は保存されているというより放置され、新しくなった駅前広場の中で違和感を漂わせながら閉鎖されていた。
一角に肥薩おれんじ鉄道の駅舎がある。
九州新幹線の開通により鹿児島本線は分断され、一部が第三セクターとして新たな歴史を歩んでいる。
鉄道史もまた目まぐるしい。
他の地方都市にも見られるが、出水も真っ先にテレビ塔が目に入る。
この町に、あれ以上に高い構造物はない。
そんな古い町が好きだ。
そしてこの町に新たな歴史を持ち込んだ巨大な新幹線駅にはまだ人気がなく、町とは不自然な関わり方をしていた。

2013年8月13日撮影
14:57 八代駅(8月11日の佐賀空港より1127㎞)
東シナ海との出会い。
でもその付き合いは長いものにはならなかった。
熊本入りは水俣から。
新水俣駅は、かつて水俣病を引き起こしたチッソの工場と向かい合っていた。
市内は混雑して、その渋滞を抜けるといくつか峠を越える。
そんな3号国道から東シナ海が望める機会は多くなかった。
昼食はコンビニでコーヒーとパン。
背後に日本製紙の煙突が聳える八代駅にて。
赤い瓦屋根の懐かしい駅には飲み屋とコンビニが入っている。
待合室にはたくさんの人々が待っていた。
鹿児島本線、肥薩おれんじ鉄道、ここから人吉へと向かう肥薩線。
交通の要衝にあたる八代には、日本製紙以外にも多くの工場が並んでいる。


2015年8月13日撮影
16:18 熊本駅(8月11日の佐賀空港より1167㎞)
市内への道は順調に流れ、大都市熊本へ。
19年前の修学旅行の際の記憶が、この街を大都市と評価していることに気づく。
駅への道を左に曲がると空地があり、その空地に面した駅前通りから市電が発車した。
随分と寂しいところに始発駅があるものだ。
音のない静かな場所だった。
なぜかそこで懐かしい夏を感じた。
お盆とはそういう空気を感じる季節でもあるのだろう。
200メートルばかり先に熊本駅があった。
駅前に市電の停車場があり、その軌道を越えて駅へと入る。
甲子園球場のスコアボードのような形の駅舎は、「KUMAMOTO STATION」の文字と時計が印象的で、2階のテラスでは肥後娘たちが穏やかな時を過ごしている。
駅前広場には祭の準備が整い、舞台にはすでに太鼓も置かれ、多くの椅子が設置されている。
駐車スペースに空きはなく、振り返ると大きな看板を掲げた古い商店街が並んでいる。
昭和の駅前風景がそこにあった。
そして今、思い出したかのように、蝉の声にオレは反応した。
関連記事
-
-
「車旅日記」1997年夏 最終日(鳴子-米沢-東京)-鳴子サンハイツ、瀬見駅、羽前中山駅、萬世大路記念碑公園、栗子トンネル、松川駅、里白石駅、常陸大子駅、我孫子、東京町田【男鹿半島を目指した夏。友と過ごし、旧友と再会したみちのく旅でございます。】
車旅日記1997年8月16日 1997・8・16 8:18 鳴子サンハイツ 拝啓 残暑お見舞い申し
-
-
「鉄旅日記」2020年卯月 初日(東京-新津)その5‐小国、坂町、新津(米坂線/羽越本線) 【緊急事態宣言発令直前のことでございます。常磐線全線運転再開を祝して人知れず旅に出たのでございます。】
鉄旅日記2020年4月4日・・・小国駅、坂町駅、新津駅(米坂線/羽越本線) 17:50 小国(おぐ
-
-
「鉄旅日記」2013年春 初日(東京-和歌山)その1-米原、弁天町、大正、芦原橋、今宮、杉本町、堺市、東羽衣、鳳(東海道本線、大阪環状線、阪和線、東羽衣支線) 【爆弾低気圧襲来日、青春18きっぷで西へ】
鉄旅日記2013年4月7日その1・・・米原駅、弁天町駅、大正駅、芦原橋駅、今宮駅、杉本町駅、堺市駅、
-
-
「車旅日記」2004年夏 初日(佐賀空港-別府)走行距離254㎞その1-葛飾金町、羽田空港、佐賀空港、佐賀駅、神埼駅、鳥栖駅、筑前内野駅【九州を一周してみよう。そう思いたった、真夏の日々でございます。】
車旅日記2004年8月11日・・・葛飾金町、羽田空港、佐賀空港、佐賀駅、神埼駅、鳥栖駅、筑前内野駅
-
-
「鉄旅日記」2020年睦月 初日(東京-湯沢)その3‐小牛田、一ノ関、北上、柳原、江釣子(東北本線/北上線) 【秋田内陸縦貫鉄道に乗りにいきました。五能線の名所も歩いた旅初めでございます。】
鉄旅日記2020年1月11日・・・小牛田駅、一ノ関駅、北上駅、柳原駅、江釣子駅(東北本線/北上線)
-
-
「鉄旅日記」2007年皐月 初日(東京-米子)-静岡、豊橋、本竜野、播磨新宮、佐用、東津山、米子(東海道本線/姫新線/因美線/山陰本線)【夜汽車で東京を離れ、山陰山陽へ。鉄旅最初の長旅でございました。】
鉄旅日記2007年5月3日・・・静岡駅、豊橋駅、本竜野駅、播磨新宮駅、佐用駅、東津山駅、米子駅(東海
-
-
「鉄旅日記」2018年春 初日(東京-飯田)その2-野田城、長篠城、大海、三河大野、浦川、門島、桜町、飯田(飯田線) 【伊那谷へ。長篠へ。安曇野へ。木曽へ。青春18きっぷを握ったそんな旅でございます。】
鉄旅日記2018年4月7日・・・野田城駅、長篠城駅、大海駅、三河大野駅、浦川駅、門島駅、桜町駅、飯田
-
-
「車旅日記」2006年皐月 初日(東京葛飾-黒磯)-天王台駅、水海道駅、下妻駅、真岡駅、益子駅、烏山駅、黒磯駅、道の駅明治の森黒磯 【東京から出かける最後の車旅。関東、東北を2,265㎞走った記録でございます。】
車旅日記2006年5月2日・・・天王台駅、水海道駅、下妻駅、真岡駅、益子駅、烏山駅、黒磯駅、道の駅明
-
-
「鉄旅日記」2020年文月 2日目(香住-東萩)その2‐浜坂、東浜、福部、鳥取(山陰本線) 【コロナ禍でございます。内緒の旅でございました。余部鉄橋へ。萩へ。霧の街へ。東京五輪延期で浮いた4連休の記録でございます。】
鉄旅日記2020年7月24日・・・浜坂駅、東浜駅、福部駅、鳥取駅(山陰本線) 8:55&nb
-
-
「鉄旅日記」2016年夏 初日(東京-弘前)-福島、仙台、北山形、新庄、秋田、井川さくら、大館、弘前(東北本線/仙山線/奥羽本線) 【じきに廃線を迎える留萌~増毛に用がありました】
鉄旅日記2016年8月10日・・・福島駅、仙台駅、北山形駅、新庄駅、秋田駅、井川さくら駅、大館駅、弘
