*

「車旅日記」2004年春 最終日(稚内-旭川空港)走行距離353㎞その2-天塩中川駅、音威子府駅、美深駅、名寄駅、風連駅、和寒駅、比布駅、神居古潭、旭川空港 【旭川に下りて、思う存分に北の大地を走った旅の記録でございます】

公開日: : 最終更新日:2025/05/26 旅話, 旅話 2004年

車旅日記2004年5月5日・・・天塩中川駅、音威子府駅、美深駅、名寄駅、風連駅、和寒駅、比布駅、神居古潭、旭川空港

12:30 天塩中川駅 (5月1日の旭川空港より1802km)
憧れの天塩川は大河。
滔々と流れ平野を潤し、鉄道国道に沿って南下している。

駅前に祝中川100周年とある。
町ができてから100年ということは、日露戦争の最中に町は形成されたのか。

町としては新しいが、鉄道を敷いてからの歴史は言ってみればどこも同じだ。
青い三角屋根の駅舎はいつから建っているのだろう。

二人の若者がやってきて、さらに女性客がひとり加わった。

ホームからは雪を頂いた山が見える。

あの山を見ながら走っていると大きな橋を見つけて渡り、ここにこうして着いた。

天塩川とはどこまで一緒にいられるのだろう。

さっき山中で迷っていた子猫はどうしたかな。

13:21 音威子府駅 (5月1日の旭川空港より1835km)
道北のかつてのターミナル駅だったという。
きれいな駅だ。

ここの鉄道ギャラリーでひとつ知った。
国鉄分割民営化によって廃止された天北線があったことを。

稚内を出た天北線は宗谷岬を通り、オホーツク海をクッチャロ湖まで進み、方向を変えてこの町に向かい宗谷本線と合流する。

人のいない町をいくつか過ぎてきた。

天塩川沿いの40号国道はオレの旅心をすべて満たした。

サロベツ原野で思い残すことはないと思っていたけど、手塩平野との出会いは素晴らしかった。

鉄道史の一面にも触れられた。

原始の流れを保つ天塩川は寒い道北に潤いを与えて、地質を湿らせる。
どうやらここでおわかれだ。

今日の昼飯も駅そばだ。
あれば食わないわけにはいかない。

やけに黒いそばで結構美味かったよ。

SLを模したホームのベンチがかつての大鉄道基地の誇りを表している。

今日もようやく晴れたな。

14:00 美深駅 (5月1日の旭川空港より1867km)
天塩川はまだすぐ側を流れ、原始の姿に変化はない。

豊かな日差しが平野に降り注ぎ、輝き、懐かしい音楽をかけながら懐かしい気持ちで車を走らせていた。

時に窓を開けて右腕を車窓から出して、すれ違う北人たちを見送った。

今は街道沿いの少し大きめの町にいる。
美深、、、きれいな名前だ。

駅舎はまるで町役場みたいだ。
レンガ造りで「美幸の鐘」を吊るした塔が天に向かっている。

駅前には旅荘があり、さっき音威子府を出た列車が、オレが町に入ると共に名寄に向けて出ていった。

とてもいい気分でいる。

名寄に着いたら、宗谷本線に沿うこの道を去って、別のルートを選ぶかもしれないが、まだ決めていない。

オレは自由人。
この旅では何物にも束縛はされない。

この車を無事に返すことと、フライトの時間を除けばだが。

14:45 名寄駅 (5月1日の旭川空港より1889km)
昔の駅はどこもこんな感じだった。

緑色の三角屋根の駅舎に時計が架かり、「JR北海道名寄駅」とある。

かつてオホーツクを走っていた鉄道のことだが、大筋はオレの想像の通りだったようだ。

4日前の夜に走った名寄から興部までをつなぎ、そこから南下して湧別に至る。

湧別で網走方面と遠軽方面に分かれる。

湧別が大鉄道基地だった、もう見ることのできない過去に想いを馳せてみる。
でもオホーツクでの記憶は大分薄らいでしまった。

駅前には広いロータリーがあり、広場があり、商店の看板が並んでいる。
「KIRIN」が一際目立つ。

「駅そば」もあり、弁当も売っている。
道中、回転寿司屋に恵まれなかったが、ここでは2軒を数えた。

あの大雪山系麓の旭川が近くなってきた。

このまま宗谷本線に沿っていくことにしたよ。

焦りたくないし、稚内から続いてきたこの道を完結させたい気持ちが強い。

碁盤の目に整地された名寄の街を歩こうと思ったけど、時間がない。
それでもこの大きな街にいた記憶は残る。

もうすぐ稚内に向かう特急サロベツが到着する。

15:18 風連駅 (5月1日の旭川空港より1898km)
この北の大地を、うまいこと文字で表現した町の名が続いている。

風連、「いい夢はこぶ風のまち」。

駅をまるごと跨ぐ古い跨線橋で旭川へと延びていく線路を眺めながら、この町の風に当たる。

深呼吸をして、まだ雪の残る山々を見続けた。

駅の椅子にはどれも座蒲団が敷かれ、さっきは掃除に来られた女性と会釈を交わした。

「さわやかトイレ」と書かれた便所はきれいな青色で塗られ、駅員が詰める小さな事務所には人の温もりがあった。

北から下ってくると暖かい土地に帰ってきたような気分になる。

正確にはこの北の大地に暖かい土地は存在しない。

でもこの日差しの下で、寒い大地にもオアシスはあるのだと知る。

名寄を中心とするこの一帯は、かつて気象観測史上で最低気温を記録したという。

16:08 和寒駅 (5月1日の旭川空港より1930km)
宗谷国道40号線は旭川に近付くにつれて交通量が増し、次の町への到着時間の予測が難しくなってきた。

途中、士別を通る。

4日前の夕暮れに通った時の印象との相違に驚く。

豊かな陽が降り注げば、そこは一転して明るい土地へと変貌する。

士別駅は街の外れに位置していたようだ。
商店街は国道沿いにあった。

この町にも素敵な名がついている。

ここにも跨線橋があって、飽かず上がって線路を眺める。

駅に待ち人がいる。
さらにやってくる。

近くのスキー場にもはや雪はなく、おそらく今は春だ。

寒い季節はもう終わったんだよ。

16:42 比布駅 (5月1日の旭川空港より1953km)
「心ろこそ、心ろ迷よわす、心ろなれ、心ろに心ろゆるすな」

ピンクに塗られた古い駅舎内に大きく墨書されている。

「Pe.Pe」という喫茶店が入っていることが外から窺えたが、営業している様子は見えない。

旭川まであと6駅。
オレの宗谷本線の旅はここが終着点になる。

ここはイチゴの町なんだな。

他のちょっとした町ならビヤホールにでも使われていそうな古いレンガ造りの倉庫が2棟、駅前で口を開けていた。

途中過ぎてきた塩狩峠は三浦綾子さんの小説でも描かれ、桜の名所でもあるようで、「夢ロード桜40号」との文字を街道上で見かけた。

もうじき桜か。

そう思った途端、目の前に雪を頂いた大雪山が見えた。

街も近いと感じていたオレには衝撃的な風景だった。

ここは北の大地。

17:45 神居古潭 (5月1日の旭川空港より1986km)
旭川市内の渋滞に悩まされ、心焦らせたけど、ここに来れてよかったよ。

魔神が住む所らしい。

激流の石狩川の上に白い橋が架かり、渡った先に使われなくなった駅舎がある。

赤い三角屋根が乗ったグリーンの駅舎は喫茶店やBARとしても通用するだろう。

オレが生まれた年まで函館本線はここを通っていて、ホームは残され、レールは撤去され、SLが置かれている。

北海道はかつて2つに割れていて、合流した地点がここで、地質学的に世界に名を残している場所だという。

でもそんな蘊蓄は置いておいていい。
オレはここでとても素晴らしい渓谷美を見つめている。

これから一路空港へ。

19:30 旭川空港 (5月1日の旭川空港より2020km)
ガラス張りの旭川空港。

今日の夕焼けはとても美しく、その夕焼けに照らされて空港ビルが輝いている。

北の大地とはたぶんこれでしばらくはお別れになる。

移動中は昨日のことが一週間前のことのように思えた。
長い距離を旅することとは、きっとそういうことだ。

でもこうして終着点の空港に着くと、まるで夢から覚めたかのように、ここに下りたのは確かに4日前だったのだと、時間感覚にズレを感じることなく振り返っている。

ビールを飲んで、たいして美味くもないステーキを食べながら考えていたのはその程度のことだ。

この大地で考えてみようと思っていたことがあるけど、同時にとても億劫だと感じていた。

どこかで決心すべきだったのかもしれない。

でもこの大地はすべてが感動の対象で、そんなシリアスな感傷が入り込む隙間をオレの内に作らなかった。

それに、分かっていたんだよ。

本当に大切なことは普段暮らす場所で考えるべきだと。

それよりも自由人としてのオレがまだしっかりと生き残っていたことを嬉しく思っている。

稚内からここまで約350km。
感覚的には案外近かった。

滑走路の美しい明かりが見られる場所がある。

行こうと思ったけど、金がかかるからやめたよ。

関連記事

「鉄旅日記」2022年師走 初日(東京-会津宮下)その3 ‐会津水沼、会津宮下(只見線)/宮下温泉ふるさと荘【11年ぶりに全線運転再開を果たした只見線に乗りにいきました。】

鉄旅日記2022年12月10日・・・会津水沼駅、会津宮下駅(只見線)/宮下温泉ふるさと荘 1

記事を読む

「鉄旅日記」2012年初冬 初日(東京-長野)-吹上、北鴻巣、長野、豊野、新井、高田、春日山(高崎線、長野新幹線、信越本線) 【週末パスで、上越途中下車旅&高田で友人の結婚式に参加】

鉄旅日記2012年12月8日・・・吹上駅、北鴻巣駅、長野駅、豊野駅、新井駅、高田駅、春日山駅(高崎線

記事を読む

「鉄旅日記」2014年夏 初日(東京-津山)-尾張一宮、播磨高岡、太市、余部、播磨新宮、三日月、西栗栖、美作江見、林野、上月、津山口、津山(東海道本線、山陽本線、姫新線) 【青春18きっぷで、中国ぶらぶら旅】

鉄旅日記2014年8月13日・・・尾張一宮駅、播磨高岡駅、太市駅、余部駅、播磨新宮駅、三日月駅、西栗

記事を読む

「車旅日記」2000年夏Part.2 初日(東京-琵琶湖志賀)デニーズ青砥店、方南町、日野駅、道の駅信州蔦木宿、峠の茶屋 【友を訪ねて備後福山へ。長門宇部へ。2000㎞に及ぶ長大な旅路でございました。】

車旅日記200年8月11~12日・・・デニーズ青砥店、方南町、日野駅、道の駅信州蔦木宿、峠の茶屋

記事を読む

「鉄旅日記」2016年夏 初日(東京-弘前)-福島、仙台、北山形、新庄、秋田、井川さくら、大館、弘前(東北本線/仙山線/奥羽本線) 【じきに廃線を迎える留萌~増毛に用がありました】

鉄旅日記2016年8月10日・・・福島駅、仙台駅、北山形駅、新庄駅、秋田駅、井川さくら駅、大館駅、弘

記事を読む

「車旅日記」2005年冬 初日(熊本空港-都城)走行距離270㎞-羽田空港、熊本空港、立野駅、高森駅、湯前駅、小林駅、都城グリーンホテル 【どこへ行こうか。まっさきに浮かんだのが、昨夏に旅した南九州でございました。】

車旅日記2005年2月11日・・・羽田空港、熊本空港、立野駅、高森駅、湯前駅、小林駅、都城グリーンホ

記事を読む

「鉄旅日記」2019年師走 初日(東京-酒田)その2‐新前橋、水上、長岡(上越線) 【由利高原鉄道鳥海山ろく線に乗りにいきました。初冬の日本海は荒々しく、美しゅうございました。】

鉄旅日記2019年12月7日・・・新前橋駅、水上駅、長岡駅(上越線) 7:24 新前橋(しんまえば

記事を読む

「鉄旅日記」2016年春 最終日(水沢-東京)その1-水沢、花巻、遠野、陸中大橋、小佐野、釜石、恋し浜、盛(東北本線、釜石線、三陸鉄道南リアス線) 【東日本大震災被災地へ】

鉄旅日記2016年3月6日その1・・・水沢駅、花巻駅、遠野駅、陸中大橋駅、小佐野駅、釜石駅、恋し浜駅

記事を読む

「鉄旅日記」2014年春 最終日(紀伊勝浦-東京)その1-紀伊勝浦、太地、湯川、那智、三輪崎、新宮、鵜殿(紀勢本線)/丹鶴城公園 【青春18きっぷで、紀伊半島へ】

鉄旅日記2014年3月9日その1・・・紀伊勝浦駅、太地駅、湯川駅、那智駅、三輪崎駅、新宮駅、鵜殿駅(

記事を読む

「鉄旅日記」2006年如月 初日-佐倉、成東、大網、上総一ノ宮、上総興津、安房鴨川、館山、安房勝山(常磐線/成田線/総武本線/東金線/外房線/内房線) 【鉄道旅に目覚め、1泊2日で房総半島にまいりました。】

鉄旅日記2006年2月4日・・・佐倉駅、成東駅、大網駅、上総一ノ宮駅、上総興津駅、安房鴨川駅、館山駅

記事を読む

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

「車旅日記」2001年黄金週間 2日目その2(京都-志賀-京都)-祇園まで彼女をさらいに行ったのでございますが・・・【目指したのは彼女が暮らす京都。この時からしばらく、向かう先は劇的なまでに西になったのでございます。】

車旅日記2001年5月4日 大津方面に向かう161号国道は渋滞

「車旅日記」2001年黄金週間 2日目その1(京都-志賀-京都)-祇園まで彼女をさらいに行ったのでございますが・・・【目指したのは彼女が暮らす京都。この時からしばらく、向かう先は劇的なまでに西になったのでございます。】

車旅日記2001年5月4日 彼女は右手を投げ出してオレの体に置

「車旅日記」2001年黄金週間 初日その4(東京-京都)-四条烏丸~祇園~桂川PAラブストーリー。【目指したのは彼女が暮らす京都。この時からしばらく、向かう先は劇的なまでに西になったのでございます。】

車旅日記2001年5月3日・・・四条烏丸~祇園~桂川PA 26

「車旅日記」2001年黄金週間 初日その3(東京-京都)-桂川PAから四条烏丸へ。恋焦がれた女性に会いにいく男の話でございます。【目指したのは彼女が暮らす京都。この時からしばらく、向かう先は劇的なまでに西になったのでございます。】

車旅日記2001年5月3日・・・桂川PA 24:58 名神自動

「車旅日記」2001年黄金週間 初日その2(東京-京都)-初狩PA、諏訪湖SA、恵那峡SA、養老SA、多賀SA【目指したのは彼女が暮らす京都。この時からしばらく、向かう先は劇的なまでに西になったのでございます。】

車旅日記2001年5月3日・・・初狩PA、諏訪湖SA、恵那峡SA、養

→もっと見る

    PAGE TOP ↑