「車旅日記」2004年春【旭川に下りて、思う存分に北の大地を走った旅の記録でございます】最終日(稚内-旭川空港)走行距離353㎞その1-稚内サンホテル、稚内公園、ノシャップ岬、サロベツ原生花園、サロベツ河畔、パンケ沼、下沼駅、幌延駅、雄信内駅
車旅日記2004年5月5日・・・稚内サンホテル、稚内公園、ノシャップ岬、サロベツ原生花園、サロベツ河畔、パンケ沼、下沼駅、幌延駅、雄信内駅
2004・5・5 8:03 稚内サンホテル325号室
とうとう4日目の朝。
これから旭川に戻らなきゃならない。
一番列車が出るアナウンス、港の音。
夜が明ける頃になると聞こえてきた。
思えば、この街が一番よく眠れたよ。
今日は薄曇り。
でも、いい一日になるだろう。
8:37 稚内公園 (5月1日の旭川空港より1670km)
みなさんこれが最後です。
さようならさようなら。
ソ連軍の上陸を前にして、最後にその一文を電信に乗せて自ら命を絶った9名の乙女。
戦中の稚内での話だ。
微かに霞んだ大陸が見える。
地図で確かめたよ。
サハリンだ。
樺太だよ。
あの島には戦争によって引き裂かれた人々も暮らしている。
いい公園だな、ここは。
小さな稚内の街を一望できる。
やっぱり全日空ホテルが街のシンボル面をしていたよ。
これから最後の岬へ。
稚内に愛を感じたけど、これでお別れだ。
さようなら。
8:56 ノシャップ岬 (5月1日の旭川空港より1675km)
岬であり、漁港でもある。
土地的に随分低い場所にある岬だ。
今朝の宗谷海峡は凪いでいて、昨日の宗谷岬で受けた風はない。
水平線が丸みを帯びている。
地球は確かに丸い。
ここでそう感じた。
稚内と宗谷海峡にお別れを。
ここに来たいがためにこの旅を計画したんだ。
イルカのモニュメントに時計がぶら下がっている。
そこに観光客が群がった。
9:34 106号県道ー稚内より36km地点 (5月1日の旭川空港より1713km)
ひたすらの原野を走り、今もその中にいる。
外に出たらそよ風と鳥のさえずりが迎えてくれる。
今日はそれほどでもないのだろうが、それでも利尻島がよく見える。
青くて寒そうな姿をしている。
岬からここまで同じような風景が続いた。
原野。
定義はよく知らないが、沼や湿地が点在していて、おそらく農業には適さない荒れ地だ。
人間はそこに電線を延ばしていくことくらいしかできなかった。
もうひとつあるな。
この道を切り開いたことだ。
この道は素晴らしいよ。
たいていの街からは遠いが、地平線を見たければここに来ればいい。
気分がいいから、みんなぶっ飛ばしていく。
今オレが見ている海は日本海。
4日前よりもっともっと北の地点へと戻ってきた。
宗谷海峡への道はオホーツク海側からも日本海側からも同じような風景が続く。
地質学的にこのあたりは何というのだろう。
根室の納沙布岬あたりも確か似たような地形だった。
10:10 サロベツ原生花園 (5月1日の旭川空港より1729km)
草が完全に腐らないで何層も積み重なった状態。
それが泥炭地の定義。
分かりやすい説明だ。
今まで走ってきた稚内西海岸で見ていた湿地帯も同じ風景だった。
サロベツ原野とはあのあたりも指すようだ。
サロベツとはアイヌの言葉で湿地に川が流れる場所。
サロベツ川は平地から窪んだ場所を流れるわけじゃなく、原野と水平に流れている。
あの川の水もまたこの湿地帯に行き渡っている。
稚内西海岸は素晴らしかった。
サロベツが続き、稚内からは最初の町になる抜海が近づいてくる。
小学校が入口にある小さな町だった。
もう町は見えず、日本海とは別れて中央部に車を進めた。
そしてここサロベツ原野にたたずんでいる。
道北は何もないからこそ素晴らしい。
まるでずっとずっと昔の世界にいるみたいだ。
風が少しだけ吹き、鳥が鳴いている。
木道を歩く人々の姿が見える。
10:24 サロベツ河畔 (5月1日の旭川空港より1731km)
サロベツ川をもう一度見たくて車を戻し、名もない場所に止めた。
県道の赤い橋が見える地点だ。
まるで地中から湧き出したような川は湿地帯と同化している。
釧路川に接した3日前がすでに懐かしい。
180度に広がる空には重厚に積み重なった雲。
道北に来て、北海道という大地がどんなところなのかがよく分かった。
オレが見たいと思っていたものは、たぶんこれで全部見た。
10:57 パンケ沼 (5月1日の旭川空港より1751km)
40号国道に戻るとこの地を示すとても目立たない表示が出ていた。
通りすぎてから思い返し、この赤錆びた沼を見にきた。
人の気配が稀薄な大地で、ここじゃ見事にオレひとりだけだ。
穏やかな水面を見つめていると気持ちが落ち着いてきて、温泉にでも浸かっているような気分になる。
ここはまだサロベツ原野の一部にあたり、木道を歩くと地表からカサカサと音がする。
さっきまでいた休憩所で、その正体に確か触れていた。
よくは見なかったが、春を迎えて、ある種の生命体が地中から現れ出る音と判断したけど、違うのだろうか。
左手遠くに風力発電塔がいくつか見える。
北の風の岬の風景だ。
もう一度車を下りて、オレもサロベツ原野の一部になろう。
沼の先の低い丘陵地を越えると日本海だ。
11:11 下沼駅 (5月1日の旭川空港より1754km)
客車を改造した小屋が置いてある。
それが駅舎だ。
ホームへの段差はなく、どこからでも行ける。
稚内まで、特急列車は途中こんな場所も通っていくのか。
この小さな場所で先客がひとり寝袋にくるまっていた。
もう昼前だよ。
そう告げてもよかったが、そっとしておいた。
これから宗谷本線に沿っていく。
丸一日振りに鉄道地域に戻ってきた。
11:32 幌延駅 (5月1日の旭川空港より1765km)
サロベツ原野の玄関口、幌延。
西部劇にでも出てきそうな地名だ。
線路伝いに走っていたら案外大きな町であることが分かった。
半袖姿で駅に入ると、今朝はストーブに火は入っていない。
名寄行きが止まっている。
駅員の姿もあり、3名が次の列車を待っている。
時刻表を眺めると特急列車以外は稚内旭川間を直通では走らないことになっている。
停車している名寄行きの息遣いが響いている。
駅前には食べ物屋、寿司屋に現代的な集合住宅が建ち、母親が子供の手を引く姿がある。
線路沿いの古い長屋から車が一台現れ、うっすらと日が射した。
スーパーもスナックもある幌延は宗谷本線の中心的な町のようだった。
12:02 雄信内駅 (5月1日の旭川空港より1782km)
オノップナイ川は原始の姿で幌延から流れている。
河川敷に下りた人々がゲートボールに興じている。
立派な野球場もあった。
このあたりは湿地帯で、昨日までの雨が水溜まりを作り、蒸発されないまま原始の地形と同化している。
天塩川は雄大だった。
大きく蛇行しているあたりは沼を思わせた。
駅の表示を見つけて立ち寄った。
周囲は廃屋ばかりで何もない。
駅舎もかなり使い込まれた代物で、あたり一帯はまるで打ち捨てられた村だ。
ここに本当に列車はやってくるのかと疑いたくなる。
待ち人のいないホームに出て伸びをする。
いい空気だ。
寒木は天に向かって伸び、低い山の連なりを眺める。
とうとうフライトの時間が気になりだした。
でもここでこうしているオレのことは好きだよ。
関連記事
-
「鉄旅日記」2013年夏【青春18きっぷで、鹿児島県志布志へ】4日目(隼人-岩国)その1-隼人、鹿児島、鹿児島中央、上伊集院、薩摩松元、川内、出水、新水俣、新八代(日豊本線、鹿児島本線、肥薩おれんじ鉄道)
鉄旅日記2013年8月13日その1・・・隼人駅、鹿児島駅、鹿児島中央駅、上伊集院駅、薩摩松元駅、川内
-
「鉄旅日記」2006年如月【房総半島から1週間。常磐線に乗って、下っていったのでございます。】その2-勿来、いわき(常磐線)
鉄旅日記2006年2月11日・・・勿来駅、いわき駅(常磐線) 2006・2・11 いわき東急イン61
-
「鉄旅日記」2020年卯月【緊急事態宣言発令直前のことでございます。常磐線全線運転再開を祝して人知れず旅に出たのでございます。】最終日(新津-東京)その3‐小野新町、要田、いわき(磐越東線)
鉄旅日記2020年4月5日・・・小野新町駅、要田駅、いわき駅(磐越東線) 12:33 小野新町(おの
-
「鉄旅日記」2008年皐月【旅は京都から始まり、山陰から下関へ。そして四国へと渡ったのでございます。】3日目(柳井-徳島)-柳井、大畠、西条、岡山、高松、高松築港、オレンジタウン、引田、池谷、鳴門、徳島(山陽本線/本四備讃線/高徳本線/鳴門線)
鉄旅日記2008年5月4日・・・柳井駅、大畠駅、西条駅、岡山駅、高松駅、高松築港駅、オレンジタウン駅
-
「鉄旅日記」2017年冬【会津へ。会津へ行きたかったのでございます。】最終日(喜多方-会津若松-会津高原尾瀬口-下今市-東京)その3-鬼怒川温泉、東武ワールドスクウェア、上今市、今市、下今市、南栗橋(野岩鉄道/東武鬼怒川線/東武日光線)
鉄旅日記2017年12月3日・・・鬼怒川温泉駅、東武ワールドスクウェア駅、上今市駅、今市駅、下今市駅
-
「鉄旅日記」2020年初秋【時空の友を訪ねて讃州高松へ。金比羅さん、瀬戸大橋、大歩危、小歩危などを友とめぐり、義仲寺に寄り、直島に渡り、水島臨海鉄道にも乗った4日間の記録でございます。】初日(東京-高松)その2 ‐石山、京阪石山、石場、膳所、京阪膳所(京阪石山坂本線)/今井兼平之墓/義仲寺
鉄旅日記2020年9月19日・・・石山、京阪石山、石場、膳所、京阪膳所(京阪石山坂本線)/今井兼平
-
「車旅日記」1996年秋【夏をあきらめきれず、秋。再び夏のルートへと向かったのでございます。】2日目(新潟‐象潟‐鳴子温泉) 道の駅豊栄、道の駅朝日、道の駅温海、象潟駅-茶房くにまつ、蚶満寺、九十九島、矢島、鳴子サンハイツ
車旅日記1996年11月2日 1996・11・2 8:17 7号国道‐豊栄(道の駅) よく眠れた
-
「鉄旅日記」2020年弥生【富山地方鉄道に乗りにまいりました。太多線、高山本線に乗るのも楽しみにしていたのでございます。】2日目(高山-速星)その3‐岩峅寺、立山、電鉄富山、富山(富山地方鉄道立山線/富山地方鉄道不二越・上滝線)
鉄旅日記2020年3月21日・・・岩峅寺駅、立山駅、電鉄富山駅、富山駅(富山地方鉄道立山線/富山地方
-
「鉄旅日記」2007年如月【初日天王寺、2日目奈良。宿泊地だけを決めて、心のままに移動した記録でございます。】2日目(天王寺-奈良)その1-南霞町、浜寺駅前、浜寺公園、羽衣、春木、和泉大宮、岸和田、和歌山市、和歌山港、堺(阪堺電気軌道/南海電鉄南海線)
鉄旅日記2007年2月11日・・・南霞町駅、浜寺駅前駅、浜寺公園駅、羽衣駅、春木駅、和泉大宮駅、岸和
-
「車旅日記」2004年夏【九州を一周してみよう。そう思いたった、真夏の日々でございます。】2日目(別府-阿蘇-宮崎)走行距離337㎞その1-別府日名子、大分駅、菅尾駅、三重町駅、豊後竹田駅、阿蘇駅
車旅日記2004年8月12日・・・別府日名子、大分駅、菅尾駅、三重町駅、豊後竹田駅、阿蘇駅 200