「鉄旅日記」2015年春【朝に宇治を出て、近江鉄道に乗る一日】最終日その2(宇治-東京)-水口、水口石橋、水口城南、八日市、近江八幡、高宮、多賀大社前、彦根(近江鉄道本線/八日市線/多賀線)
鉄旅日記2015年3月22日その2・・・水口駅、水口石橋駅、水口城南駅、八日市駅、近江八幡駅、高宮駅、多賀大社前駅、彦根駅(近江鉄道本線/八日市線/多賀線)
水口(みなくち)駅(近江鉄道本線 滋賀県)にて
水口~水口石橋間(徒歩)
水口石橋(みなくちいしばし)駅(近江鉄道本線 滋賀県)にて
水口石橋~水口城南間(徒歩)
10:23 水口城南(みなくちじょうなん)駅(近江鉄道本線 滋賀県)
2つ先の水口駅から歴史の町を歩き、1時間かけてここへ。
駅前の便所を借りて、そして水口での時をビールで締めた。
水口石橋駅を経由してここまでは約20分ほどの距離で、道に塗り込められたかのようなバス停と旧東海道水口宿の遺構の前で立ち止まる。
水口城は関ヶ原を境に所を変えていた。徳川三代将軍家光が立ち寄るにあたって建てられたのが一巡してきた城跡で、五奉行の長束正家が徳川家康暗殺を謀ったのは岡山城址と表示されているものらしい。
町に彼と奥方の悲劇が伝わっていて、姫塚は石橋駅近くにある。
その水口城は運動場になっていて、子供たちと応援にきた親の姿が多く見られた。そんな光景を眺めていると近くの学校の音楽室から練習の音が聞こえてくる。
ごくありふれた日曜日の風景。
20年以上前、1号国道走破を目論んで茨木の友人宅を何度か訪ねた際に水口を通ったことがあって、当時も何事かを感じたのを憶えている。
次の町は日野。近江商人と蒲生氏郷の町だ。
降りる時間はとっていないが、車窓を楽しみにしている。
「ホンマホンマ」と大声で連呼しながらうなだれ、謝り、愚痴るオッサンが乗っていた列車にいて、ワルいがとても笑えた。
11:15 八日市(ようかいち)駅(近江鉄道本線/近江鉄道八日市線 滋賀県)
街がある。そしてここはターミナル駅。
7分の時間しか用意していなかったのは、八日市に対してとても失礼だ。
車窓からは城址公園のようなものや、ぼんぼりの下がった桜の水路が望めて街への想像を掻き立てさせる。
駅を出ると正面に真っ直ぐに伸びていくメインストリートがある。
しばらくいたいと思える街だった。
近江八幡へ向けて列車が動き出すと、右手に宗教施設を思わせる横長の建造物が、抉られて岩肌が剥き出しになったみつくり山の中腹にへばりついている。
参集殿というらしい。
11:43 近江八幡(おうみはちまん)駅(東海道本線/近江鉄道八日市線 滋賀県)
ひとつ手前に武佐という駅がある。
中山道の宿場に数えられたところだという。
今じゃ一部の歴史好きにしかぴんとこないだろうが、そんな旧宿場町がある。
古い駅が多く見られる新八日市近江八幡間は開業100週年を迎えている。
当時この線が敷かれた背景には中山道に鉄道を通すという歴史的な使命があったのだろう。
ただ、人の流れは琵琶湖周遊道路に奪われてしまった。
現在びわ湖京阪奈線という計画が持ち上がっているらしい。
信楽から線路を伸ばして学研都市線につなげるというものだそうで、通っていく町並みのシブさと相まって、とても面白そうな計画だ。
ここから八日市に戻り、本線のさらに先へ行く。
12:40 高宮(たかみや)駅(近江鉄道本線/近江鉄道多賀線 滋賀県)
駅前で少年たちがサッカーボールで遊んでいる。
牧歌的でとても好ましい。
変則的な三角形ホームの中央には桜の古木がある。
蕾に変わるまでまだ少しかかりそうだ。
かつて徳島県の池谷駅で感動したこのホームの形。
大網、雀田、吉良吉田・・・。
あれから、こんな形の駅にたまに出会ってきた。
ここには近江鉄道の基地がある。
八日市からはまるで嫌味のように東海道新幹線の高架が寄り添っていた。
近江鉄道関係者から文句は出なかったのだろうか。
あるいは当時の国鉄から、新幹線との接続駅でも作るとの言質でも得ていたのだろうか。
ここ高宮も中山道の宿場町で、これから向かう多賀大社も当時は賑わったのだろう。
13:21 多賀大社前(たがたいしゃまえ)駅(近江鉄道多賀線 滋賀県)
絵馬通りを歩いて約10分。
大社様には威厳があり、深く祈る。
祈ることはいろいろある。
鉄道愛好者でもなければ関東からわざわざ訪れる者はいないと思うが、参道は趣に満ちて門前の店にも絶えず人の出入りがある。
大社様だから、出雲を思い出したりする。
東京に帰ったら由来を調べてみようか。
今日は初夏を思わせる上天気。
ビールが美味い。
多賀大社にて
13:55 彦根(ひこね)駅(東海道本線/近江鉄道本線 滋賀県)
彦根口と、石田三成の居城があった佐和山口と線を引いたような駅構内。
世の中は空前の戦国ブームらしい。
彦根はそういった文化財的な街ではある。
駅前の商圏は狭いが、彦根城周辺は観光地化されている。
かつての安土から彦根への道中を思い出す。
ひどい豪雨だった。
いま列車は佐和山を周り、当時の玄関口である鳥居本に到着しようとしている。
鳥居本もまた文化財的な駅舎を持ち、かつて中山道の宿場町だった。
終点の米原に着いたら、まっすぐに東京に帰る。
関連記事
-
-
「車旅日記」1997年梅雨明け【疲れきった若き日々。またしても向かうのは北でございました。】(東京-鳴子温泉)初日-町田、用賀、築地、北松戸、荒川沖駅、美野里パーキング、常陸多賀駅、いわき久ノ浜パーキング
車旅日記1997年7月19日 1997・7・19 19:42 東京町田 さしたる感慨も浮かばない
-
-
「鉄旅日記」2020年盛夏【コロナ禍の内緒旅VOl.2。宮島へ。錦帯橋へ。筑豊へ。島原へ。千綿駅へ。そして若松~戸畑の渡船。日本晴れの4日間の記録でございます。】2日目(防府-肥前鹿島)その6‐博多南、博多、鳥栖、佐賀、肥前鹿島(博多南線/鹿児島本線/長崎本線)
鉄旅日記2020年8月14日・・・博多南駅、博多駅、鳥栖駅、佐賀駅、肥前鹿島駅(博多南線/鹿児島本
-
-
「車旅日記」2004年春【旭川に下りて、思う存分に北の大地を走った旅の記録でございます】最終日(稚内-旭川空港)走行距離353㎞その1-稚内サンホテル、稚内公園、ノシャップ岬、サロベツ原生花園、サロベツ河畔、パンケ沼、下沼駅、幌延駅、雄信内駅
車旅日記2004年5月5日・・・稚内サンホテル、稚内公園、ノシャップ岬、サロベツ原生花園、サロベツ河
-
-
「車旅日記」1998年春【下北半島を目指した春。男の旅は北を目指すものと思っていた20代後半。高倉健さんの影響でございましょうか。】最終日(鳴子温泉-郡山-東京)-鳴子サンハイツ、川渡温泉駅、槻木駅、道の駅安達、郡山文化センター前、那須公営パーキング、黒磯PA、佐野SA、大井PA、東京町田
車旅日記1998年5月4日 1998・5・4 8:47 鳴子サンハイツ 連休中初めての日差しだ。
-
-
「車旅日記」1996年黄金週間【友を訪ねて大阪へ。そして約束の地、金沢へ。夢を見ながら国道を走った日々でございます。】3日目 いよいよ金沢へ‐その1(R1→湖岸道路)伏見、山科西野、大津駅、瀬田駅、守山、彦根
車旅日記1996年5月5日 1996・5・5 11:36 1号国道‐伏見 黄金週間の混雑は古都の
-
-
「車旅日記」2005年冬【どこへ行こうか。まっさきに浮かんだのが、昨夏に旅した南九州でございました。】2日目(都城-鹿児島-川内-人吉)走行距離284㎞ その2-伊集院駅、串木野駅、川内駅、薩摩高城駅、大隅横川駅、吉松駅、人吉駅前ホテル
車旅日記2005年2月12日・・・伊集院駅、串木野駅、川内駅、薩摩高城駅、大隅横川駅、吉松駅、人吉駅
-
-
「鉄旅日記」2020年初秋【時空の友を訪ねて讃州高松へ。金比羅さん、瀬戸大橋、大歩危、小歩危などを友とめぐり、義仲寺に寄り、直島に渡り、水島臨海鉄道にも乗った4日間の記録でございます。】3日目(高松)その1 ‐片原町駅、瓦町駅、高松築港駅、玉藻公園(高松城跡)、一宮寺、滝宮天満宮、滝宮駅、満濃池
車旅日記2020年9月21日・・・片原町駅、瓦町駅、高松築港駅、玉藻公園(高松城跡)、一宮寺、滝宮
-
-
「鉄旅日記」2020年如月【東日本大震災で被害を受けた大船渡に泊まりにまいりました。山田線完全乗車も目指しておりましたが・・。】初日(東京-大船渡)その2‐新白河、郡山、福島、仙台(東北本線)
鉄旅日記2020年2月22日・・・新白河駅、郡山駅、福島駅、仙台駅(東北本線) 8:20 新白河(し
-
-
「鉄旅日記」2008年初夏【まほろばの路から紀州へ。紀伊半島で過ごした短い夏の記憶でございます。】初日(東京-和歌山)その2-畝傍、高田、大和高田、近鉄郡山、郡山、王寺、五条、和歌山(桜井線/近鉄大阪線/近鉄橿原線/和歌山線)
鉄旅日記2008年7月19日・・・畝傍駅、高田駅、大和高田駅、近鉄郡山駅、郡山駅、王寺駅、五条駅、和
-
-
「車旅日記」2003年夏【北海道初上陸。2,300㎞を移動した5日間の記録でございます。】初日(函館-上ノ国-札幌)走行距離471㎞ -知内駅、道の駅上ノ国もんじゅ、瀬棚町、道の駅いわない、小樽駅、札幌東急イン
鉄旅日記2003年8月13日・・・知内駅、道の駅上ノ国もんじゅ、瀬棚町、道の駅いわない、小樽駅、札幌