「鉄旅日記」2014年春【青春18きっぷで、紀伊半島へ】初日(東京-紀伊勝浦)その1-熱田、尾頭橋、八田、四日市、亀山、一身田、津、高茶屋、松阪(東海道本線、関西本線、紀勢本線)
鉄旅日記2014年3月8日その1・・・熱田駅、尾頭橋駅、八田駅、四日市駅、亀山駅、一身田駅、津駅、高茶屋駅、松阪駅(東海道本線、関西本線、紀勢本線)
2014・3・8 11:16 熱田(あつた)駅(東海道本線 愛知県)
保谷から池袋、東京、沼津、静岡、浜松、豊橋と乗り継ぎ、新快速で金山で降りて、ひと駅戻る。
駅構内はとても広く、長い跨線橋を渡り、階段を下りて外に出る。
熱田の森と神宮前商店街にほんの一瞥。
その程度の時間しかここでは用意できなかった。
源氏の氏神であり、桶狭間合戦戦勝所縁の熱田神宮は名古屋市熱田区という行政の中心地であり、名古屋駅までは3駅の距離。
しかし快速列車は停車しない。
通り過ぎるばかりの愛知県だが、来年あたり愛知を知る旅を計画することにおそらくなる。
11:30 尾頭橋(おとうばし)駅(東海道本線 愛知県)
昨日東京に3月の雪をもたらした冷たい風に名古屋が凍えている。
街の狭間に位置した駅だけがある町。
今プラットフォームにいる。
錆びた印象のラブホテルがあり、並行する名鉄を含め、おびただしい数の列車が目の前を行き来しているが、そのほとんどがここに停車することはなく、気にもとめずに通過していく。
名古屋は次の駅になる。
11:53 八田(はった)駅(関西本線 愛知県)
名古屋で乗り換えてひと駅目。
真新しい印象の橋上駅で3分の停車に浮き足立ち、階段を駆け下り、駆け上がる。
下町のような家並に工場が混じる周囲は、遠くに養老山地を仰ぐ濃尾平野。
空は広く、鈍い色をしている。
東海でも春の到着が遅れている。
12:39 四日市(よっかいち)駅(関西本線 三重県)
かつて深刻な公害を世に送り出した工業地帯は健在で、一帯が吐き出す白煙はその煙突とともに濃尾平野の端からずっと見えていた。
複雑に交差する中京の鉄道事情に混乱しながら再び見えた四日市。
悪名高い長良川の河口堰が車窓から覗けた。
JR駅周辺には廃屋が目立ち、繁華街がここから少し離れた近鉄駅近くに集中する事情は今更変わりようもなく、かつては格調高さを謳ってであろう駅2階のレストランスペースの借り手は、8年前と変わらず今もついてない。
13:14 亀山(かめやま)駅(関西本線/紀勢本線 三重県)
雪を被った養老山地に鈴鹿川。
ビジネスホテルに東京荻窪ラーメン。
この駅での滞在時間は今回も多くなく、到着時に目にしたものを特に意味もなく列挙した。
改札を出る。
駅前の大鳥居の撮影を観光バスが塞ぎ、7年前に感嘆の声を漏らした駅前食堂はまだ営業を続けており、新たな感慨を催させる。
機関車時代には重要な駅だったという亀山駅も、伊勢方面からの特急や快速列車が、津と四日市を最短でつなぐ伊勢鉄道の線路を通ることで乗降客も奪われ、それでも尚かつ風格を保つ姿は重厚そのものだが、巨大な駅構内の外れに位置するホームに、たった一両編成で停車している紀勢本線の姿は寂しさを伴う。
その紀勢本線に乗り換える。
13:28 一身田(いしんでん)駅(紀勢本線 三重県)
四日市工業に開星高校。
知名度のある学校に通う若者と乗り合わせた寂れた関西本線路。
この駅でも茶色のブレザーに身を包んだ学生たちが多く乗り込んできて、僅か2分の停車中に改札を抜けて駅舎を撮影し、すぐに列車に戻ることだけを考えているオレに、気を揉む必要を失くしてくれた。
列車は悠々と歩いて来る彼等を急かすこともなく、全員が乗り込むのを悠然と待つ。
長者屋敷のような立派な駅を写した一枚には、彼等の後ろ姿も映っている。
13:38 津(つ)駅(紀勢本線/伊勢鉄道/近鉄名古屋本線 三重県)
戦国の昔、安濃津の地名で外洋に開かれ、繁華な港だった頃の面影は、三重県の県庁所在地という地位を得ている現在には見られない。
広大な駅前ロータリーには違法駐車の車すらなく、冷たい風が吹き渡っていた。
腰のないぐにゃりとした食感が独特の伊勢うどんを出す「駅そば」は他の店に席を譲っていた。
8年前に駅に寄った際に、その黒い汁で服を汚したことを思い出した。
ネガティブな材料を並べたが、この土地の言葉は耳に心地よい。
この街にもいつか泊まりにくることがあるだろう。
13:53 高茶屋(たかちゃや)駅(紀勢本線 三重県)
数分の停車。
ここで多くの乗客が降りる。
駅構内にはかつて膨大な量の物資が積まれたであろう空間が、朽ちた上屋の下で用を失くしている。
空地を挟んで並走する23号国道にはイオンモールが進出して人を集め、紀勢本線の立場をより小さなものにしている。
14:20 松阪(まつさか)駅(紀勢本線/名松線/近鉄山田線 三重県)
指折り数えたら、この街に泊まった7月は、もう6年も前の事になる。
あの夜に街を歩いた感覚を思いだした。
翌日は鳥羽に出て土産を買い求め、お伊勢さんに戻って当時想いを寄せていた女性に桜色のお守りを買い求めた。
この国最強の神様のお守りだと言って渡し、彼女は男性からお守りを貰うのは初めてだと、とても喜んでくれた。
弁当売りのおばちゃんの愛想がいい。
あまり売れていなかったのだろう。
オレが寄っていくと満面の笑みで迎えてくれて、お勧め品の説明を始めた。
あらためて訪れた松阪は畑作地帯に忽然と現れる都会で、津よりも街の規模も都会度も上のような気がする。
駅の土産物屋を覗いた。
松阪といったら松阪牛。
買って帰ったら喜ぶだろうなと思いつつ、財布の中に余分はないかと数えてみたが、ゴーサインは出せなかった。
やっぱり高いよ。
渡河したばかりの櫛田川の豊富な水量を誇る質感に目を見張らされた。
関連記事
-
-
2020年盛夏【二人でどこへ行こう。決めたのは甲府でございました。帰りは高尾の名店街で過ごした日帰り旅をSNS風に綴ります。】-高尾、四方津、塩山、甲府、甲斐大和(中央本線)
鉄旅日記2020年8月9日・・・高尾駅、四方津駅、塩山駅、甲府駅、甲斐大和駅(中央本線) 長
-
-
「鉄旅日記」2013年如月【休日おでかけパスで、上総下総途中下車旅&習志野シンフォニックブラス(NSB)演奏会】その1-我孫子、東我孫子、新木、湖北、布佐、小林、木下、安食、下総松崎、成田空港、酒々井、物井、東千葉、本千葉、西千葉、新検見川、幕張、東船橋、津田沼(成田線、総武本線)
鉄旅日記2013年2月17日その1・・・我孫子駅、東我孫子駅、新木駅、湖北駅、布佐駅、小林駅、木下駅
-
-
「鉄旅日記」2008年皐月【旅は京都から始まり、山陰から下関へ。そして四国へと渡ったのでございます。】最終日(善通寺-東京)-善通寺、多度津、丸亀、坂出、岡山、京都、野洲、東京葛飾(土讃本線/予讃本線/本四備讃線/山陽本線/東海道本線)
鉄旅日記2008年5月6日・・・善通寺駅、多度津駅、丸亀駅、坂出駅、岡山駅、京都駅、野洲駅(土讃本線
-
-
「鉄旅日記」2019年弥生Part.3【明知鉄道、名鉄築港線。その2線に乗るために、東海道を下っていったのでございます。】初日(東京-多治見)その4-古虎渓、釜戸、美乃坂本、多治見(中央本線)
鉄旅日記2019年3月23日・・・古虎渓駅、釜戸駅、美乃坂本駅、多治見駅(中央本線) 18:23 古
-
-
「鉄旅日記」2009年秋【遅い夏休みをとり、長崎までの切符を買いました。】2日目(新山口-大分)その2-香春、田川伊田、田川後藤寺、日田、豊後森、豊後中村、野矢、由布院、大分(日田彦山線/久大本線)
鉄旅日記2009年9月19日・・・香春駅、田川伊田駅、田川後藤寺駅、日田駅、豊後森駅、豊後中村駅、野
-
-
「鉄旅日記」2019年霜月【津軽鉄道、弘南鉄道に乗りにいきました。羽州街道を歩いた晩秋の旅でございます。】最終日(北上-東京)その2‐新庄、鳴子温泉、小牛田(陸羽東線)
鉄旅日記2019年11月4日・・・新庄駅、鳴子温泉駅、小牛田駅(陸羽東線) 11:19 新庄(しんじ
-
-
「鉄旅日記」2020年盛夏【コロナ禍の内緒旅VOl.2。宮島へ。錦帯橋へ。筑豊へ。島原へ。千綿駅へ。そして若松~戸畑の渡船。日本晴れの4日間の記録でございます。】2日目(防府-肥前鹿島)その2‐厚狭、美祢、長門湯本、長門市(美祢線)
鉄旅日記2020年8月14日・・・厚狭駅、美祢駅、長門湯本駅、長門市駅(美祢線) 7:34&
-
-
「車旅日記」2004年夏【九州を一周してみよう。そう思いたった、真夏の日々でございます。】3日目(宮崎-志布志-枕崎-鹿児島)走行距離382㎞その2-隼人駅、枕崎駅、開聞駅、指宿、鹿児島東急イン
車旅日記2004年8月13日・・・隼人駅、枕崎駅、開聞駅、指宿、鹿児島東急イン 2004・8・13
-
-
「鉄旅日記」2019年長月【三陸鉄道、八戸線に乗りにいきました。区界、吉里吉里など、駅旅の者として見過ごせない駅にも寄りましてございます。】初日(東京-盛岡)その1-金町、水戸、上菅谷、常陸大子(常磐線/水郡線)
鉄旅日記2019年9月21日・・・金町駅、水戸駅、上菅谷駅、常陸大子駅(常磐線/水郡線) 2019・
-
-
「車旅日記」1996年黄金週間【友を訪ねて大阪へ。そして約束の地、金沢へ。夢を見ながら国道を走った日々でございます。】最終日 北陸より東京へ‐その2(R8→R18→R19)直江津駅、新井、豊野町、長野駅、道の駅信州新町、道の駅大岡村
車旅日記1996年5月6日 6:58 直江津駅 恋する女よ、いつの間にか日本海とさよならしていた