「鉄旅日記」2013年夏【青春18きっぷで、鹿児島県志布志へ】3日目(南宮崎-隼人)その2-宮崎、清武、田野、山之口、西都城、餅原、都城、京町温泉、えびの、吉松(日豊本線、吉都線)
鉄旅日記2013年8月12日その2・・・宮崎駅、清武駅、田野駅、山之口駅、西都城駅、餅原駅、都城駅、京町温泉駅、えびの駅、吉松駅(日豊本線、吉都線)
13:30 宮崎(みやざき)駅(日豊本線/日南線/宮崎空港線 宮崎県)
さすがに宮崎。
ビールが冷えている。
9年前の夜は閑散としていた駅へ車の列は続き、人は流れ、ホームには次々と電車がやってくる。
南国宮崎らしい暑い一日が訪れている。
大淀川を越えると南宮崎。
これだけの大河を間に置いていれば、宮崎と南宮崎で文化も違うことだろう。
13:45 清武(きよたけ)駅(日豊本線 宮崎県)
数分の停車。
海国ではなく、山国宮崎の入口みたいな駅と町だ。
清潔感がある。
意外だが駅員がいる。
発車して5分。
列車は山林と畑地の中を走っている。
14:00 田野(たの)駅(日豊本線 宮崎県)
数分の停車。
太陽益々盛んだ。
「わにつか堂」という菓子屋が駅に入っていて、ひとりの若者が表のベンチでかき氷と格闘していた。
駅前の大きな案内板には古墳その他歴史的なものは何もなく、ただ田野町の機能がどこにあるのかが示されていた。
14:25 山之口(やまのくち)駅(日豊本線 宮崎県)
数分の停車。
駅員はいないが、あまり見かけたことのない外観が立派な駅を降りると郵便局があって、一杯飲み屋がある。
日豊本線と並行する道に出たら何を見ただろう。
ここには町があった。
14:57 西都城(にしみやこのじょう)駅(日豊本線 宮崎県)
ここも再訪。
前回は8年前の2月だった。
正確にはもう思い出せないレベルの過去だ。
何か変わったという印象は受けない。
国道に面したシュールな構造物を見て記憶も蘇った。
ビールを買った酒屋で四万十市がとうとう気温41度を記録したと聞いた。
一つ手前の都城から吉都線に乗るが、乗り換えまで時間があるので都城を越して、宮崎方面に戻る。
15:31 餅原(もちばる)駅(日豊本線 宮崎県)
西都城から3駅宮崎方面に戻る。
約1時間前の山之口駅はさらに宮崎方面へ1駅目。
真夏の南国。
ド田舎の駅にひとりという状況を描いたけど、先客が二人いる。
知ったことではないが、彼等の今日一日に興味はある。
1時間前に乗っていた西都城行の列車でこの駅に降りたのは見ていた。
それからまだそこに座っていたのかと。
行きの車窓から眺めていて駅舎もなければ周辺にも何もないことは分かっていた。
でも駅から数段の階段を上がった先に見える原野のような風景に用があった。
トウモロコシ畑と肥溜めの匂いが漂い、老農夫はのんびりと車を動かし、普段のオレの生活に見られるものは何もなく、普段想像もしていないものだけがあった。
文明に見放されているという者もいるだろうけど、オレはそれを文化と呼ぶ。
再び都城方面へと戻る。
16:07 都城(みやこのじょう)駅(日豊本線/吉都線 宮崎県)
街に戻って、覚えているものもあれば、忘れているものもある。
たぶん後者の方が多いだろう。
だから離れ難かった。
駅も記憶より立派で、なぜかその事実に接して、あらゆる意味であの頃は自身の完成には程遠かったのだと知った。
もちろん今も完成を目指しているところだけれど。
列車は都城を出てからもう30分になろうとしている。
突然の夕立が都城を出てから早々に降りていった若者たちを濡らし、最近の暑さで熱を溜め込んだ九州の大地を冷ますかと思ったが、高崎新田に至ると雨が落ちた形跡すらなかった。
18:00 京町温泉(きょうまちおんせん)駅(吉都線 宮崎県)
ひと雨降って涼しくなり、また蒸してきた。
8年前に見た、いくつものぼんぼりに照らされた冬の温泉街は幻だったのか。
それに類する光景は駅周辺には見られない。
駅周辺に点在する温泉街は京町銀天街から成っている。
閉鎖され打ち捨てられたままの旅館、いくつものスナック、フィリピンダンサーズを雇うクラブ、猫が居座る足湯場。
この温泉街は営業しているのだろうか。
一向に灯を入れそうにない温泉街のたたずまいはこの駅の無用なまでに長いホームに通じるものがある。
都城でも感じたよ。
栄光が去ったあとに残るものには哀しさがつきまとう。
まるで人生のように。
吉都線開業100周年だという。
当り前のように動いている鉄道だが、よくもまあと思う。
煙草がやけに美味くてこれから2本目に火をつける。
ビールはもう空だ。
思いがけず、だけどごく自然に、望んでいた時間が訪れた。
あとはこうして蝉の声を聞きながら列車が来るのを待てばいい。
じきにくる。
踏切の警笛が聞こえてきた。
18:40 えびの駅(吉都線 宮崎県)
ひと駅戻る。
開業当初は「霧野」という駅名だったらしい。
その頃からのものと思われる歴史的建造物に腰掛けている。
オレにはこれを懐かしいと喜ぶ心がある。
駅を出て、街には見るべきものは何もなかったが、改装が終了してたくさんの人を集める東京駅より、オレはここにいたい。
七夕飾りはそのままに、夏はまだ続く。
たまらない風情と愛すべき本物の日本の夏がここにある。
そして夕暮れを迎える。
秋の訪れの前に駅はビヤガーデンになるという。
19:34 吉松(よしまつ)駅(肥薩線/吉都線 鹿児島県)
南国の人懐っこさに、酒屋のご主人に「いい夕暮れですね。」と声をかけた。
吉松では時間がありすぎると思っていたが、愛すべきこの国の夕暮れをまたしても堪能できた。
暮れゆく本願寺派のお寺。川内川は霧島が源流か。ここで再会できてうれしい。商店の灯は僅かで夜の早い町、湧水町。
吉都線に入ってから、この旅はやけにロマンティックなものになった。
これから肥薩線で隼人に向かう。
関連記事
-
-
「車旅日記」1996年黄金週間【友を訪ねて大阪へ。そして約束の地、金沢へ。夢を見ながら国道を走った日々でございます。】最終日 北陸より東京へ‐その2(R8→R18→R19)直江津駅、新井、豊野町、長野駅、道の駅信州新町、道の駅大岡村
車旅日記1996年5月6日 6:58 直江津駅 恋する女よ、いつの間にか日本海とさよならしていたよ
-
-
「鉄旅日記」2021年夏 初日(東京-上田)その1 ‐金町、上野、高崎、水上(常磐線/高崎線/上越線) 【4度目の緊急事態宣言前。飯山線に乗りたくて旅を思い立ちました。湯檜曽駅で夏の第一声を聞き、信越路を歩いた記録でございます。】
鉄旅日記2021年7月10日・・・金町駅、上野駅、高崎駅、水上駅(常磐線/高崎線/上越線)
-
-
「鉄旅日記」2015年夏【日本最南端の終着駅、枕崎までの往復旅】2日目(新南陽-鹿児島中央)その1-新南陽、新山口、阿知須、宇部新川、小野田港、下関、八幡、陣原(山陽本線/宇部線/小野田線/鹿児島本線)
鉄旅日記2015年8月13日その1・・・新南陽駅、新山口駅、阿知須駅、宇部新川駅、小野田港駅、下関駅
-
-
「鉄旅日記」2007年皐月【夜汽車に乗って東京を離れ、山陰山陽へ。鉄旅最初の長旅でございました。】3日目(福山-岡山)-福山、三原、呉、広島、三次、備後落合、東城、岡山(山陽本線/呉線/芸備線/伯備線)
鉄旅日記2007年5月5日・・・福山駅、三原駅、呉駅、広島駅、三次駅、備後落合駅、東城駅、岡山駅(山
-
-
「鉄旅日記」2020年弥生 初日(東京-高山)その2‐甲府、日野春、長坂、青柳(中央本線) 【富山地方鉄道に乗りにまいりました。太多線、高山本線に乗るのも楽しみにしていたのでございます。】
鉄旅日記2020年3月20日・・・甲府駅、日野春駅、長坂駅、青柳駅(中央本線) 8:15 甲府(こ
-
-
「車旅日記」2004年夏【九州を一周してみよう。そう思いたった、真夏の日々でございます。】4日目(鹿児島-田原坂-長崎)走行距離384㎞その2-田原坂古戦場跡、大牟田駅、肥前山口駅、長崎ニューポート
車旅日記2004年8月14日・・・田原坂古戦場跡、大牟田駅、肥前山口駅、長崎ニューポート 2004
-
-
「車旅日記」2006年皐月【東京から出かける最後の車旅。関東、東北を2,265㎞走った記録でございます。】初日(東京葛飾-黒磯)-天王台駅、水海道駅、下妻駅、真岡駅、益子駅、烏山駅、黒磯駅、道の駅明治の森黒磯
車旅日記2006年5月2日・・・天王台駅、水海道駅、下妻駅、真岡駅、益子駅、烏山駅、黒磯駅、道の駅明
-
-
「鉄旅日記」2019年長月 初日(東京-盛岡)その3-盛岡、上米内、区界(東北本線/山田線)/大正館 【三陸鉄道、八戸線に乗りにいきました。区界、吉里吉里など、駅旅の者として見過ごせない駅にも寄りましてございます。】
鉄旅日記2019年9月21日・・・盛岡駅、上米内駅、区界駅(東北本線/山田線)/大正館 17:39
-
-
「車旅日記」1998年夏 初日(東京-伊那-木曽)-東京町田、相模湖駅、鳥沢駅、道の駅甲斐大和、勝沼、長坂、伊那市駅、道の駅日義 木曽駒高原 【伊那、木曽から志賀高原へ。気乗りのしない旅で選んだ行き先は、初夏の信濃路でございました。】
車旅日記1998年7月18日 1998・7・18 12:48 東京町田 久しぶりに空がよく晴れてい
-
-
「車旅日記」1996年黄金週間【友を訪ねて大阪へ。そして約束の地、金沢へ。夢を見ながら国道を走った日々でございます。】3日目 金沢を後にして‐その3(R8→北陸道)小矢部、富山駅、有磯海SA
車旅日記1996年5月5日 22:15 8号国道‐小矢部 恋する女よ。 あれからオレはまだ走ってい