「鉄旅日記」2021年皐月 最終日-勝浦駅、大原駅、大多喜駅、上総中野駅、養老渓谷駅、五井駅(外房線/いすみ鉄道/小湊鉄道)/養老渓谷2階建てトンネル 【ツレと房総に出かけました。宿泊地は勝浦でございます。房総横断鉄道に乗り、養老渓谷でも思い出深い時を過ごしたのでございます。】
鉄旅日記2021年5月23日・・・勝浦駅、大原駅、大多喜駅、上総中野駅、養老渓谷駅、五井駅(外房線/いすみ鉄道/小湊鉄道)/養老渓谷2階建てトンネル
2021・5・23 9:27 勝浦(かつうら)駅(外房線 千葉県)
お世話になったお宿では女将さんにお見送りをしていただきました。輪島、飛騨高山宮川とともに日本三大朝市に数えられる勝浦朝市通りをご教示いただき駅へ。時間的にピークを過ぎていたのか朝市の客足は今ひとつでございましたが、バラエティに富んだ売り物の数々でございました。

この日は快晴。昨日受けた印象とは自ずと違ってくるものでございます。勝浦はカツオの街。雛壇の横に立つゆるキャラ「勝浦カッピー」が教えてくれたのでございます。


10:02 大原(おおはら)駅(外房線/いすみ鉄道 千葉県)
房総横断鉄道が出る大原へは3駅、約14分の距離でございます。大原駅は3度目で、こうしてツレとともに降り立つことに何がしかの感慨を覚えたものでございます。

いすみ鉄道の駅舎に入りますとグッズ売場と券売機があり、切符には種類がございます。房総横断フリー切符に当初気づかず、いすみ鉄道のみのフリー切符の購入を指示して、ツレにも駅員さんにも面倒をかけてしまいました。


10:56 大多喜(おおたき)駅(いすみ鉄道 千葉県)
大原~大多喜間を走る千葉県営人車軌道から始まったいすみ鉄道。その後夷隅軌道に引き継がれ、やがて国鉄木原線の実現に至ります。
大多喜は徳川四天王のひとり本多平八郎忠勝が築いた城下町で、本多忠勝、忠朝親子をNHK大河ドラマの主人公へとの動きがあることを知りました。父の忠勝は言わずと知れた豪傑で、忠朝は1609年に御宿沖で座礁したスペイン船から浜に上陸した乗員300名あまりへ温情あふれる措置をとり、新田開発の奨励などを行い名君でしたが、1615年「大坂夏の陣」天王寺口の戦いで毛利勝永軍と激突して戦死。その姿は「大坂夏の陣図屏風」にも描かれております。前年の「大坂冬の陣」で、酒がもとで不覚をとったことから決死の覚悟でいたと伝わっております。
この駅で10分ほどの停車時間がありました。駅前の観光大手門の威風は見所でございます。これよりツレは列車の先頭に陣取り、進みゆく景色を写しご満悦でございました。





11:33 上総中野(かずさなかの)駅(いすみ鉄道/小湊鉄道 千葉県)
いすみ鉄道と共に房総横断鉄道を構成する小湊鉄道との接続駅でございます。第三セクターいすみ鉄道の前身は先ほども触れました国鉄木原線で、木更津と大原をつなぐ計画をもとに着工され、木更津より上総亀山まで延びてきた久留里線とつながる予定でしたが、直線距離にして8kmほどの上総亀山~上総中野間の建設は行われませんでした。
駅前でしばしの時間を過ごし、小湊鉄道に乗ります。こちらももとは五井~安房小湊間をつなぐことを計画されましたが上総中野で建設は止まり、小湊の名だけが線名に残りました。



13:04 養老渓谷 2階式トンネル(向山・共栄トンネル)
養老渓谷駅前で食事を済ませ路線バスに乗り、弘文洞入口バス停で下ります。運転手さんはとても親切な方でございました。観光マップで一際目を引いたのがこのトンネルでございます。バス停からは5分ほどでございましょうか。向山ならびに共栄と2つの名を持つこのトンネル。先に掘られた出口の下に掘り直しが行われ、出口だけが残った奇観はまるで異界への入口のようでございます。通る車などはなく、ひたすらに静かな空間でございました。

さらに渓谷を歩いたのでございます。いずれの動物のものとも知れぬ頭骨を発見するなど秘境の趣でございました。県道に戻りますと温泉旅館や飲食店が立ち並んでおります。







14:09 養老渓谷(ようろうけいこく)駅(小湊鉄道 千葉県)
バスで駅に戻ります。2人の子供に威圧的に接するいかつい男性とクールな母親の存在が車内では目立ちました。子持ちで水商売に従事する女性と、その客といった構図でございましょうか。子供たちの幸福を祈ってやみません。列車が来るまでツレと足湯場で穏やかに過ごしておりました。



16:36 五井(ごい)駅(内房線/小湊鉄道 千葉県)
旅の終わりは小湊鉄道の終点にして京葉臨海工業地帯の中核都市、市原市の中心地の五井でございます。駅名に市原という名を持たない街の中心はどこなのかと、その名を知った時には思ったものでございます。市原を知ったのは38年前に臨海体育館でジャンボ鶴田がUN王座をかけて「鋼鉄男」テッド・デビアスの挑戦を受けた時でございます。その模様がテレビ中継されたのでございます。その後のJリーグ発足時にはジェフユナイテッド市原が名を連ね、スタジアムは臨界体育館と同じ敷地内にございます。最寄り駅はもちろん五井でございます。コロナ禍の駅周辺をひと回りして、気に入ったお店を見つけて旅を締めたのでございます。


関連記事
-
-
「鉄旅日記」2020年盛夏 3日目(肥前鹿島-門司港)その5‐肥前山口、久保田、西唐津、博多、門司港(佐世保線/唐津線/筑肥線/福岡市地下鉄空港線/鹿児島本線) 【コロナ禍の内緒旅VOl.2。宮島へ。錦帯橋へ。筑豊へ。島原へ。千綿駅へ。そして若松~戸畑の渡船。日本晴れの4日間の記録でございます。】
鉄旅日記2020年8月15日・・・肥前山口駅、久保田駅、西唐津駅、博多駅、門司港駅(佐世保線/唐津
-
-
「鉄旅日記」2007年新春 2日目(高岡-金沢)-高岡駅前、越ノ潟、高岡、氷見、高岡、城端、金沢(万葉線/氷見線/城端線/北陸本線) 【本格的に鉄旅が始まりまして、まずは冬の北陸を目指したのでございます。】
鉄旅日記2007年1月7日・・・高岡駅前駅、越ノ潟駅、高岡駅、氷見駅、高岡駅、城端駅、金沢駅(万葉線
-
-
「鉄旅日記」2014年春 2日目(西舞鶴-魚津)その1-西舞鶴、東舞鶴、若狭高浜、小浜、上中、十村、木ノ本、余呉、高月、永原、敦賀(舞鶴線/小浜線/北陸本線/湖西線) 【青春18きっぷで、丹後若狭から北陸、信州へ】
鉄旅日記2014年3月22日その1・・・西舞鶴駅、東舞鶴駅、若狭高浜駅、小浜駅、上中駅、十村駅、木ノ
-
-
「鉄旅日記」2019年霜月 初日(東京-五所川原)その3‐小牛田、一ノ関、盛岡、八戸、野辺地(東北本線/IGRいわて銀河鉄道/青い森鉄道) 【津軽鉄道、弘南鉄道に乗りにいきました。羽州街道を歩いた晩秋の旅でございます。】
鉄旅日記2019年11月2日・・・小牛田駅、一ノ関駅、盛岡駅、八戸駅、野辺地駅(東北本線/IGRいわ
-
-
「車旅日記」1996年黄金週間【友を訪ねて大阪へ。そして約束の地、金沢へ。夢を見ながら国道を走った日々でございます。】初日(東京-大阪茨木 R246→R1→名神高速)その3-関駅、その後
車旅日記1996年5月3日 16:36 関駅 あれから2時間経ってようやくここに戻ってきた。
-
-
「鉄旅日記」2009年秋-川口、浦和、深谷、倉賀野、寄居、東飯能、飯能、寒川、茅ヶ崎、辻堂、新橋(京浜東北線/高崎線/八高線/相模線/東海道本線)【関東ぶらぶら旅その2-武蔵から相模へ】
鉄旅日記2009年10月27日・・・川口駅、浦和駅、深谷駅、倉賀野駅、寄居駅、東飯能駅、飯能駅、寒川
-
-
「車旅日記」1997年夏 2日目(新潟-象潟-田沢湖付近)-道の駅豊栄、道の駅加治川、道の駅朝日、道の駅鳥海、蚶満寺、道の駅西目、八津駅【男鹿半島を目指した夏。友と過ごし、旧友と再会したみちのく旅でございます。】
車旅日記1997年8月14日 1997・8・14 4:35 7号国道‐豊栄(道の駅) 出発。 友と
-
-
「車旅日記」2000年夏Part.2 初日(東京-琵琶湖志賀)デニーズ青砥店、方南町、日野駅、道の駅信州蔦木宿、峠の茶屋 【友を訪ねて備後福山へ。長門宇部へ。2000㎞に及ぶ長大な旅路でございました。】
車旅日記200年8月11~12日・・・デニーズ青砥店、方南町、日野駅、道の駅信州蔦木宿、峠の茶屋
-
-
「鉄旅日記」2008年皐月 3日目(柳井-徳島)-柳井、大畠、西条、岡山、高松、高松築港、オレンジタウン、引田、池谷、鳴門、徳島(山陽本線/本四備讃線/高徳本線/鳴門線) 【旅は京都から始まり、山陰から下関へ。そして四国へと渡ったのでございます。】
鉄旅日記2008年5月4日・・・柳井駅、大畠駅、西条駅、岡山駅、高松駅、高松築港駅、オレンジタウン駅
-
-
「鉄旅日記」2019年弥生Part.1 最終日(紀伊田辺-東京)その2-吉野口、高田、畝傍、桜井、柳本(和歌山線/桜井線) 【和歌山電鐵に乗るために、青春18きっぷで紀伊半島一周を思い立ったのでございます。】
鉄旅日記2019年3月3日・・・吉野口駅、高田駅、畝傍駅、桜井駅、柳本駅(和歌山線/桜井線) 10