*

「鉄旅日記」2017年春【近鉄に乗る日々】最終日(JR難波-東京)その2-大曽根、勝川、春日井、中津川、上松、原野、広丘、みどり湖、相模湖、豊田(中央本線/篠ノ井線)

公開日: : 最終更新日:2023/06/14 旅話, 旅話 2017年

鉄旅日記2017年3月20日・・・大曽根駅、勝川駅、春日井駅、中津川駅、上松駅、原野駅、広丘駅、みどり湖駅、相模湖駅、豊田駅(中央本線/篠ノ井線)
12:42 大曽根(おおぞね)駅(中央本線/名鉄瀬戸線/名古屋市営地下鉄名城線 愛知県)
近鉄の旅は名古屋で終わり。
名古屋からの帰路は木曽路。

JRも名鉄も走るこの駅を、金山や一宮のように大曽根総合駅と通称しない愛知県の不思議。

その名鉄へと通じる長い通路を往復したら10分を費やす。

JRホームからの眺めで印象的なのは雑木林だ。
集合住宅が目立ち、大都会的な名古屋はすでに抜けたようだ。

大曽根はどことなく退廃的な空気を感じる街だ。
空地、倉庫、遠くと言えば大袈裟だがナゴヤドームが見えた。
徒歩18分らしい。

そう言えば、あれからもう10年。
同じ3月だ。
あるいは4月に入っていたかもしれない。

当日、ザ・ローリング・ストーンズが演奏したセットリストも、ドーム周辺もよくは覚えてない。

それが歳月を経た作用であることはもちろんだが、その間にもっと大切なモノを手にしたからだろう。
きっとそうだろう。

12:54 勝川(かちがわ)駅(中央本線 愛知県)
名古屋のエスカレーター事情は関西仕様ではなく、東京と同じ。
人々は左側に寄り、急ぐ人々が右側を上がっていく。

駅に滑りこむ時には咄嗟に札幌の琴似駅を思い出した。

街の造り方とは似るものか。
高層住宅が並び建つ様は、濃尾平野の中で圧倒的でもある。

ステーションホテルは、琴似にはなかったな。

薄汚れた朝鮮学校の校舎が見えた。
誰に対してとは言わないし、もちろんオレに不満をぶつけられても困るが、あれは図らずも何かを訴えている。

人類的なとか、おそらく大きな課題に対して。

13:06 春日井(かすがい)駅(中央本線 愛知県)
名古屋ではいっぱいだった乗客も、このあたりまで来るとだいぶ空席が目立つ。

先の高蔵寺での車両の切り離しがあるようで、中津川行きとして残る車両に移動してボックス席を見つけ、角ハイボール。
これはいい。

ぱっと見ただけでは特色の見当たらない地方都市で、街を写すのを忘れてしまった。

春日井は、全日本プロレス時代に三沢光晴と、その年のチャンピオン・カーニバルで決勝に勝ち上がった大森隆男の一騎打ちが組まれた街。

オレはそうやって街の名前を覚えてきた。

あとは旅で。

14:22 中津川(なかつがわ)駅(中央本線 岐阜県)
雪の残る恵那山が見下ろす街。

乗り換え客をはじめ出入りの多い駅だ。

ここの「駅そば」は健在だった。
でも天ぷらそば500円は高いよ。

さっき角ハイボールの魅力に気づいたオレには、なおさらだ。

駅前風景に変化はないように見受ける。

いつ来ても清廉な空気が流れる街だ。

思えば最初の列車旅で多治見、中津川と辿っていったからこそ、こうまで旅が続いていると言える。

中津川駅前風景

15:23 上松(あげまつ)駅(中央本線 長野県)
列車の行き違いで10分弱の停車。

幕内力士の御嶽海はここ上松の出身という。

木曽川の名勝「寝覚の床」と宿場の町は、駅の入口に入場門のように檜の大木を左右に並べ、何事かを有している事実を誇っている。

地方駅の駅前にありがちな廃屋などはなく、商店街が形成され、子供は遊び、人は行き交う。

まるで奇跡を目の当たりにしたようで、ここに降りられてうれしかった。

ここからじゃ見えないが、2900メートルにも迫る標高の木曽駒ヶ岳が近くから睥睨しているらしい。

上松駅前風景

15:43 原野(はらの)駅(中央本線 長野県)
行き違い列車の遅れで不意の停車。

乗降客はひとり。

駅の外へ出る簡素な階段を上がったところに幽玄の気を湛える小社があって、駅には明星岩なる名所を示す表示がある。

随分ダイヤが乱れた。

16:33 広丘(ひろおか)駅(篠ノ井線 長野県)
北アルプスとの再会。
だけれど列車からだとうまく撮れない。

中津川から乗ってきたのは松本行き。
東京に帰るには途中の塩尻で待つことになるが、
塩尻で待つ列車は松本からやってくる。

それなら塩尻松本間の降りたことのない駅で待つことにして、
塩尻の次の広丘駅で降りる。

松本で暮らす友人のKさんを思い出す。
年賀状のみのやりとりになって暫く経つ。

もうなかなか会えないだろう。
この想像はとても悲しい。

ただ、30年近く前、毎日のように会っていた時代が終わった時には、すでに理解していたことでもある。

若かったからその悲しみが顕在化することはなかったけど、その時はこうして不意に訪れた。

旅には、また移動することには、こうして様々な側面がある。

新しい駅舎を眺めてすぐに戻る。
滞在6分。

松本ヘ向かう国道が駅前を走っている。
つまりオレは同じく30年近く前から何度もここを通り過ぎている。

16:53 みどり湖(みどりこ)駅(中央本線 長野県)
信濃に来る春は、今年の場合ちょっと早そうだ。
上着の前を開けていて、寒くないどころか気持ちがいい。

窪地のホームから階段を上がれば農村風景。

中央本線は、岡谷から辰野を通り塩尻へと至るルートが当初採られ、今もその線路は敷かれているが、岡谷塩尻間はとてつもなく遠回りになっている。

線路敷説当時の地元代議士、伊藤大八氏の強引な議会工作が成功した結果で、「大八曲り」と呼ばれているそうだが、みどり湖駅はその弊害解消に伴って敷かれたショートカット・ルート上に新設された駅。

広丘駅から乗った列車は、岡谷から辰野へ出て飯田線に乗り入れる列車だったから、ここで降りて次にくる甲府方面への列車を待っている。

東京にいるよりも花粉に反応する。
そりゃそうか。

列車が少しずつ遅れている。
さっき塩尻で土産を揃えたのは賢明だった。

17:00の時報が流れて、なぜか昨日の半分の月を思い出した。

明日は下弦の月が昇る。

20:29 相模湖(さがみこ)駅(中央本線 神奈川県)
酒に酔った男にからまれている。
別に悪い男じゃない。
酒の飲み過ぎなだけだ。

田舎漢にはこういうのがいる。
叔父の葬式にもいた。

彼は八王子の生まれで、昔は悪かったらしい。
オレの薬指の指輪を見て、「いいな」と、ぼそっと洩らす。

「オレだよ、オレ」と強く言われて、彼を凝視したのがいけなかった。
いや、別にいけなくもないし、後悔もしていない。
小学生の時に同じクラスになったこともあるT君ではないか?と、10%ほど疑ったという事実もある。
どうやら彼とはこのまましばらく八王子まで付き合わなきゃならないようだ。

現在の相模湖駅はオレが知っていたものではないだろう。
確か木曽に向かう途中に寄ったと記憶しているが、20年も前の話だ。
記憶にない。

ここで数分の停車。

酔漢の話を聞きながら、「あまり飲みすぎるもんもんじゃないよ」と時に諭している。

20:56 豊田(とよだ)駅(中央本線 東京都)
かつて、旅からの帰りに寄ったよ。
朝かもしれないが、昼すぎだったかもしれない。
どのノートに収録されているのか探さなきゃならないが、それは記録を見れば分かる。

雨が降ってた。
そしてそそくさと離れた。

酒飲み帰りの勤め人の一団が駅に向かうところに行き当たった。
ロータリーを囲むように夜を照らす明かりは眩しかった。

あの先は20号国道。
そこに出れば駅前の明かりはもう届かないに違いない。

そんな駅前風景にケータイを向けたのは懐かしさを感じたからだろう。
ロータリーがあって、角にビルがあって。
昔の駅はどこもそんなだった。

そしてこの時間に豊田駅前に居合わせた数くらいの人は、どこの駅にもいた。

オレは過ぎ去ったこの国の駅前風景をそう記憶している。

関連記事

「鉄旅日記」2020年如月【東日本大震災で被害を受けた大船渡に泊まりにまいりました。山田線完全乗車も目指しておりましたが・・。】初日(東京-大船渡)その3‐多賀城、高城町、石巻、鹿又(仙石線/石巻線)

鉄旅日記2020年2月22日・・・多賀城駅、高城町駅、石巻駅、鹿又駅(仙石線/石巻線) 12:44

記事を読む

「鉄旅日記」2005年秋【軽井沢で挙式する身内を祝うために、初めて鉄道で旅をいたしました。ここから鉄旅が始まったのでございます。】2日目(名古屋-塩尻-小淵沢-小諸-中軽井沢)-名古屋、高蔵寺、多治見、中津川、木曽平沢、塩尻、小淵沢、中込、小諸、中軽井沢(中央本線/小海線/しなの鉄道)

鉄旅日記2005年11月6日 2005・11・6 小諸グランドキャッスルホテル402号 名古屋栄

記事を読む

「車旅日記」1998年夏【伊那、木曽から志賀高原へ。気乗りのしない旅で選んだ行き先は、初夏の信濃路でございました。】初日(東京-伊那-木曽)-東京町田、相模湖駅、鳥沢駅、道の駅甲斐大和、勝沼、長坂、伊那市駅、道の駅日義 木曽駒高原

車旅日記1998年7月18日 1998・7・18 12:48 東京町田 久しぶりに空がよく晴れて

記事を読む

「鉄旅日記」2005年聖夜【廃線となった鹿島鉄道に乗った記録が残されておりました。】-鹿島神宮、新鉾田、鉾田、石岡(鹿島線/鹿島臨海鉄道/鹿島鉄道/常磐線)

鉄旅日記2005年12月24日 記憶には残るだろう。 朝はもたついたが、計画通りに出かけたよ

記事を読む

「車旅日記」1998年春【下北半島を目指した春。男の旅は北を目指すものと思っていた20代後半。高倉健さんの影響でございましょうか。】2日目(岩手山SA-大間崎-青森駅)-岩手山SA、折爪PA、三沢市ドライブイン三陸、東通村レストラン潮騒、田名部駅、大間崎公営パーキング、大湊駅、陸奥横浜駅、青森駅

車旅日記1998年5月2日 1998・5・2 7:43 東北自動車道-岩手山SA 昨夜の強風が続

記事を読む

「鉄旅日記」2015年夏【日本最南端の終着駅、枕崎までの往復旅】4日目(西鉄柳川-広島)その2-田川後藤寺、糸田、糒、金田、門司港、厚狭、湯ノ峠、四郎ヶ原、南大嶺、美祢(平成筑豊鉄道糸田線、平成筑豊鉄道伊田線、鹿児島本線、美祢線)

鉄旅日記2015年8月15日その2・・・田川後藤寺駅、糸田駅、糒駅、金田駅、門司港駅、厚狭駅、湯ノ峠

記事を読む

「車旅日記」2003年夏【北海道初上陸。2,300㎞を移動した5日間の記録でございます。】4日目(帯広-襟裳岬-苫小牧-札幌)走行距離374㎞ -帯広東急イン、帯広緑ヶ丘公園、忠類、襟裳岬、様似駅、静内駅、恵庭中島公園、札幌東急イン

車旅日記2003年8月16日 2003・8・16 帯広東急イン826号室(8月13日の函館空港より

記事を読む

「鉄旅日記」2018年卯月【ときわ路パスでめぐる常陸旅でございます。】その3-佐和、友部、下館、騰波ノ江、下妻、石下(常磐線/水戸線/関東鉄道常総線)

鉄旅日記2018年4月25日・・・佐和駅、友部駅、下館駅、騰波ノ江駅、下妻駅、石下駅(常磐線/水戸線

記事を読む

「鉄旅日記」2017年夏【私鉄王国で過ごす夏】3日目(姫路-十三)その2-新開地、湊川、鈴蘭台、三木上の丸、三木城址、三木、粟生、神鉄三田、ウッディタウン中央、横山、有馬口、有馬温泉、鵯越(神戸電鉄有馬線/神戸電鉄粟生線/神戸電鉄三田線/神戸電鉄公園都市線)

鉄旅日記2017年8月13日・・・新開地駅、湊川駅、鈴蘭台駅、三木上の丸駅、三木駅、粟生駅、神鉄三田

記事を読む

「鉄旅日記」2017年春【近鉄に乗る日々】2日目(新大宮-大阪難波)その2-生駒、鳥居前、宝山寺、生駒山上、布施、俊徳道、JR俊徳道、河内山本、信貴山口、高安山(生駒ケーブル/奈良線/大阪線/信貴線/西信貴ケーブル)

鉄旅日記2017年3月18日・・・生駒駅、鳥居前駅、宝山寺駅、生駒山上駅、布施駅、俊徳道駅、JR俊徳

記事を読む

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

「鉄旅日記」2020年卯月【緊急事態宣言発令直前のことでございます。常磐線全線運転再開を祝して人知れず旅に出たのでございます。】初日(東京-新津)その3‐仙台、北山、葛岡、山形(仙山線)

鉄旅日記2020年4月4日・・・仙台駅、北山駅、葛岡駅、山形駅(仙山線

「鉄旅日記」2020年卯月【緊急事態宣言発令直前のことでございます。常磐線全線運転再開を祝して人知れず旅に出たのでございます。】初日(東京-新津)その2‐水戸、いわき、原ノ町、鹿島(常磐線)

鉄旅日記2020年4月4日・・・水戸駅、いわき駅、原ノ町駅、鹿島駅(常

「鉄旅日記」2020年卯月【緊急事態宣言発令直前のことでございます。常磐線全線運転再開を祝して人知れず旅に出たのでございます。】初日(東京-新津)その1‐松戸、土浦、友部(常磐線)

鉄旅日記2020年4月4日・・・松戸駅、土浦駅、友部駅(常磐線) 20

「鉄旅日記」2020年弥生【富山地方鉄道に乗りにまいりました。太多線、高山本線に乗るのも楽しみにしていたのでございます。】最終日(速星-東京)その4‐藤枝、静岡、熱海、上野、北千住(東海道本線/常磐線)

鉄旅日記2020年3月22日・・・藤枝駅、静岡駅、熱海駅、上野駅、北千

「鉄旅日記」2020年弥生【富山地方鉄道に乗りにまいりました。太多線、高山本線に乗るのも楽しみにしていたのでございます。】最終日(速星-東京)その3‐多治見、金山、豊橋、御厨(太多線/中央本線/東海道本線)

鉄旅日記2020年3月22日・・・多治見駅、金山駅、豊橋駅、御厨駅(太

→もっと見る

    PAGE TOP ↑