「鉄旅日記」2008年皐月 4日目(徳島-善通寺)その1-徳島、中田、旧小松島駅、南小松島、阿南、牟岐、海部、甲浦(牟岐線/安佐海岸鉄道) 【旅は京都から始まり、山陰から下関へ。そして四国へと渡ったのでございます。】
鉄旅日記2008年5月5日・・・徳島駅、中田駅、旧小松島駅、南小松島駅、阿南駅、牟岐駅、海部駅、甲浦駅(牟岐線/安佐海岸鉄道)
2008・5・5 7:41 徳島(とくしま)駅(高徳本線/徳島本線/鳴門線/牟岐線 徳島県)
弱い雨が降っている。
心地いい。
南国の雨はあたたかい。
眉山を仰いで、市内を流れる川の前で立ち止まる。
あるいはもう2度と来ることはないのかもしれない。
オレのことだから、分からないけれど。
徳島は2度目になる。
眉山口までは駅から徒歩10分。
あの山に登るのもいいだろう。
すでに牟岐線阿南行に乗っている。
8:09 中田(ちゅうでん)駅(牟岐線 徳島県)
徳島城址に気づき、眉山が右手に遠ざかり、この駅で雨が上がった。
上り線との行き違いでしばらく停車。
これといったものがあるわけじゃないが、こうした小さな駅に降りて高層アパートを見た経験はほとんど持たない。
煙草を2箱購入。
8:49 南小松島(みなみこまつしま)駅(牟岐線 徳島県)
南へ下る者がいない。
朝の阿波路はどこも閑散としている。
雨が上がり、駅へ急ぐと汗をかいた。
熱帯の5月を想う。
運河に沿って小松島市内を歩いた。
港の仕事は終わっていた。
街も閑散としていたが、伊豆のハトヤのような立派なホテルが建つ。
今年のセンバツにはこの街の少年たちが進出して、街からも多くの人々が淡路島を経由して明石へと上陸したのだろう。
小松島線の廃線跡は、サイクリングロードと公園として残っていた。
壁を剝がされて柱と屋根だけになってしまった旧小松島駅舎が、機関車と客車を従えて保存されていた。
誇るべきひとつの時代はその時に止まったが、あの場所にとっては風化していくことが新しくなることを意味する。
そこから思うように未来を想像できないことに感傷を覚える。
栄光と思えた過去に戻れない事情は誰もが均しく持つ。
切なくて、その歴史的な場所からしばらく離れられなかった。
港駅は跡形もなかった。
港でしか聞くことのない音、鳥の声、船の気配。
これまであまり縁は持たなかったが、ああした音が好きだ。
今日が旅のクライマックス。
乗り合わせた阿波娘の訛に耳を澄ます。
10:16 阿南(あなん)駅(牟岐線 徳島県)
弱い雨がまだ時折落ちる。
駅周辺のスナック街から一番街を抜け、桑野川に架かった鉄橋を望む。
角には待ち合わせるのに適した場所があった。
そう、阿波銀行の看板の下。
阿波九城のひとつ、白岐城址への階段を上る。
かつて細川、三好と国主が変わる中でも勢力を維持して、土佐の長曾我部元親の侵攻にも屈しなかった男が愛した堅城は、恋人の聖地として生まれ変わり、今も街を見下ろしている。
徳島は江戸期を通じて蜂須賀家が治め、江戸時代の一国一城政策によって堅城は取り壊されたが、阿南は徳島に次ぐ繁栄を誇ったという。
駅に戻る途中の喫茶店で、ゆずだかカボスだかの炭酸ジュースを頼んで、さして面白くもない街角を眺めていた。
息子夫婦の運転する車に乗ってきたご婦人が、店主に孫を紹介している。
彼女に便りを入れようかと思ったが、サッカー仲間に送る方を選んだ。
今さらだが、今日は参加できないと。
阿南は那賀川を渡った先に開けた街で、なかなか素敵だった。
宮脇俊三さんは、これから往く車窓風景は退屈だと記した。
でもそんなことは言わずにいこう。
桑野の手前で廃線跡のような鉄橋が線路を跨いで架かり、右手には阿波の低い山並が続いている。
向かいに座っていた清楚な阿波美人が降りてしまった。
12:00 牟岐(むぎ)駅(牟岐線 徳島県)
海部に向かう列車は特急「むろと」の客車を使用している。
かつての国鉄の夢が詰まった名だ。
清流日和佐川を眺め、日和佐の町へ。
立派な山城が見えて、多くの客が降りた。
雲が重層をなし、時折の雨は止まない。
そして「夢と緑と黒潮の町」牟岐。
牟岐川の河口にあたる漁師町。
中央商店街にめぼしいものはなかったが、食事はできる。
南国の列車は終点に近づいていく。
途中、弘法大師と二人連れ「同行二人」の杖をついた巡礼者が乗ってきて、すぐに小さな駅で降りていった。
12:30 海部(かいふ)駅(牟岐線/安佐海岸鉄道 徳島県)
JRの終着駅であり、安佐海岸鉄道の始発駅でもある駅は、無人駅だった。
困ったような気持ちでいるが、これが夢の果て。
オレだけを乗せて、聞き慣れない名の鉄道は甲浦に向けて走り出した。
風景は素晴らしい。
川が海に注ぐように、最果ての町を目指している。
12:59 甲浦(かんのうら)駅(安佐海岸鉄道 高知県)
感動がある。
何もないところで唐突とも言える格好で終着駅にされた駅だったが、線路を延ばす限界がここだったのだろう。
当初の計画はどうだったのだろう。
興味はあるが、現状に文句を言うつもりはない。
室戸岬へは、鉄道を延ばせなかった代わりにバスが通じている。
途中の宍喰駅にはエレベーターがあった。
新興鉄道の奮闘の様を見た。
大きな学校に、古い町並。
満足した気持ちでいるのは、そうしたありふれて見えるようなものでも、それがそこで見たかった風景だったのだろう。
安佐海岸鉄道の未来を支持する。
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