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「鉄旅日記」2016年春【下北半島から東日本大震災被災地へ】2日目(下北-石巻)その2-金田一温泉、斗米、二戸、好摩、いわて沼宮内、厨川、矢幅、日詰、小牛田、涌谷、石巻(IGRいわて銀河鉄道、東北本線、石巻線)

公開日: : 最終更新日:2023/04/26 旅話, 旅話 2016年

鉄旅日記2016年3月20日その2
13:13 金田一温泉(きんだいちおんせん)駅(IGRいわて銀河鉄道 岩手県)
座敷わらしの里だという。

なるほど、このあたりは冷害に苦しめられた地域だ。
悲しい話もあるだろう。

駅の写真を撮っていたら不意に背後に人の気配を感じた。
小さい人の気配だ。
聞き取れない声で何かを囁いている。

座敷わらしにちなんだ町のサービスでもあるのかと振り向いたら、ちっちゃくてしわくちゃなおばあちゃんが二人いて、南部言葉で時間を聞かれた。

スマホ、ケータイのご時世に時間を聞かれることがとても新鮮で、この地域が持つ民話性に唸った。

それから線路に沿って古い家並みが続く道を歩いている。

金田一温泉は南部藩御用達の秘湯だったらしい。

14:03 斗米(とまい)駅(IGRいわて銀河鉄道 岩手県)
金田一温泉駅から続く家並みはなかなか途切れることなく続いていた。

路傍には江戸時代の飢饉を伝える塚がある。

寒冷地に代々腰を落ち着けて暮らしていくことの困難を想う。
打ち捨てられたままの廃屋もまた多い。

馬渕川のムコウに新しい住宅街ができている。
田舎風景の中でそれはやけに美しく見えた。
秩序にはそんな一面がある。

新幹線高架に沿って見過ごされそうな小さな駅があった。
ただし、やはりというべきか、かつての東北本線のホームは長い。

九戸城跡の表示が出たあたりで川辺に出た。

豊臣秀吉に最後に歯向かった男の名は九戸政実。
抵抗は激しく、やがて一族もろとも討たれた。

東北本線と4号国道が東京へと続いていた。

斗米~二戸間(徒歩)


14:48 二戸(にのへ)駅(東北新幹線/IGRいわて銀河鉄道 岩手県)
駅横では岩手アームレスリング大会が開催されていた。
参加していた男たちの腕はさすがに太い。

昨夜この駅に街を見た気がしたが、明かりの主は駅前に2、3あるに過ぎない。

新幹線開業前は、盛岡以北の駅にしては大きいが、ごく普通の駅だったのだろう。

高台からテレビ塔があるあたりを眺めた。
役場も城跡もあのあたりにあるのだろう。

街中を歩きたかったけど道を変更している余裕はなく、また便意も容赦なかった。

いわて銀河鉄道は駅に近づくとほのぼのとしたメロディーが車内に流れる。
まるまるとした男の子がベビーカーでおとなしくしている。
あぁ、かわいいなあ。

15:38 好摩(こうま)駅(花輪線/IGRいわて銀河鉄道 岩手県)
石川啄木が俳句に残した町、そして駅。

啄木も岩手だったか。
東北出身の文学人には悲劇性が伴っている。

花輪線と分岐する駅で、宮脇俊三さんの本で知って以来、通るたびにずっと気になっていた駅だった。
3度目でようやくオレの足跡がついた。

姫神山は砂糖粉をまぶしたケーキのように雪をまばらに散らし、岩手山はどっしりとした偉容を曇り空の下に現した。

岩手県民にだけ限られた話じゃない。
あれは宝の山だ。

山頂が雲に隠れている。
いいさ。
後でもう一度通る。

空は青を覗かせ始めている。
ふと下を見れば渓流がある。

旅心を誘う駅名だが、駅舎はまるで冗談のように旅情を無視した新しい造りになっている。

好摩駅から眺める姫神山

好摩駅から眺める岩手山

16:02 いわて沼宮内(いわてぬまくない)駅(東北新幹線/IGRいわて銀河鉄道 岩手県)
下り列車で2駅戻る。

新幹線停車駅はどこにいっても清潔だ。
そんな理由で「乗り放題きっぷ」を利用し尽くしている。
ビールを飲みに降りたようなものだが、もちろんそれだけが理由じゃない。

新幹線が止まる町を眺めたかった。

ここは岩手町。
そして何もなかった。

1階は小ホールになっていて、子どもたちが集まっている。

舞台が見えた。

ラジオが「ももクロ」を流している。
子どもたちが楽しそうにしている。

それがこんなにも幸せな眺めだったのかと、オレは最近になって知ったよ。

16:56 厨川(くりやがわ)駅(IGRいわて銀河鉄道 岩手県)
再び上りへ。

岩手山を正面から見られる駅だ。
ただし新幹線高架が視界上半分を遮っている。

駅員が話す南部方言が聞こえる。

1000年の昔、北に追い詰められた安倍一族はこの地で滅び、前九年の役が終わったが、どこにも関連する表示はなく、4号国道を上下する車を見るのみの駅前風景だった。

安倍貞任は偉丈夫だったらしい。
盟友の藤原経清は大河ドラマの主役を張ったが、海音寺潮五郎さんは源頼義の章で彼のことをよくは言っていない。

表現者による評価は様々だ。
そもそも1000年の昔の話だ。

暖房の焚かれた待合室にいる。
この空間は皮膚感覚だけじゃなく、情緒的にもあたたかい。

17:56 矢幅(やはば)駅(東北本線 岩手県)
盛岡で東北本線に乗り継ぐ。

ヤマセが止まない。
さらに冷たさを増している。

奥羽山脈がきれいに見える。
昨日の車中で飽かずに眺めた北の壁だ。

ここは快速列車の停車駅で大勢が降りる。
駅前に一杯横丁があって、あたたかい今川焼きを買う。

寒い町の夕暮れに、明日帰る場所を想う。
この心情はとても理想的だ。

18:24 日詰(ひづめ)駅(東北本線 岩手県)
何もない駅に降りてしまった。

紫波の繁華街は北上川に沿うようにここから離れている。

風は冷たく強く、どんな経緯を辿って東北地方に春がやってくるのか理解した。

思えば春先に北の国へ出かけたことはなかった。
唯一、いわきの湯本まで足を延ばしたことがあるけど、あの日も震えた。

今はこのかわいらしい駅舎に収まって一ノ関行を待っている。
さっきの今川焼きは心強い。

不意に有線放送が流れてきた。

鉄道もいろいろやる。
やるべきだ。
試みるべきだ。

きれいな月が出ている。
こんな寒い日にはとても冴える。

20:54 小牛田(こごた)駅(東北本線/陸羽東線/石巻線 宮城県)
一ノ関で乗り継ぎ、ここで石巻線に乗り換える。

簡素な町に飲み屋がただ一軒盛大な明かりをつけている。
明るいうちにあの存在に気を止めることはなかった。

どういう理由か知らないが旅館の灯は消えていて、対面にビジネスホテルが出現している。

何もないこの駅になぜだか惹かれるのは、東京じゃ人の口に上ることのないこの駅が、大ターミナル駅という存在であるという冗談めいた事実による。

駅舎内は迷路じみていて巨大だが、プレハブの仮設めいた造りであることにも諧謔がある。

2週間前に降りた際は、10年近く前の記憶とのズレがあまりにも小さくて感動したよ。

21:16 涌谷(わくや)駅(石巻線 宮城県)
数分の停車。

バーの明かりがあった。
パチンコ屋の明かりがあった。
駅正面の壁が真っ青に光っていた。
駅前通りの街灯が先まで連なっていた。

ここは伊達の支藩があった城下町。
その誇りをあの明かりに表していたのだろうか。

オレにしてみれば、あれは確かに町へと誘う明かりだったよ。

石巻(いしのまき)駅(石巻線/仙石線 宮城県)にて

22:55 笑門館3号室
石巻は4度目になる。

初回は10数年前の黄金週間の最中のさる一日。
日付が変わる頃だった。

駅前は人で埋まり車の通行に支障をきたすほどだった。
あの日に何があったのだろうか。
当日の記録を探し出せば、そこには驚嘆した様子が短く記されているだろう。

2度目は10月の朝だった。
コーヒーを注文して女川行を待った。

それからしばらくしてあの5年前の震災があった。
被災した姿のままの学校が悲劇の象徴としてこの街のどこかにある。

たまたま新聞で読んだが、津波の犠牲者が乗ってきたことを語るタクシー運転手が少なからずいるという。

夏にもかかわらず冬の装いで乗ってきて、やがて消える。
彼等は恐怖よりもむしろ畏敬の念に打たれていると結んでいた。

そんな話にオレも頭を垂れる。
人間は醜くもまた美しい。

極限を体験した街が、いつの日か再生した時の美しさを、いつかきっと見に来よう。
物語を伝えていこう。

果てしない悲しみならオレも経験したことがあるが、
果てしのない喜びを知るのは、オレだってこれからだ。

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