「鉄旅日記」2015年夏 3日目(鹿児島中央-西鉄柳川)その1-指宿、枕崎、入野、開聞、山川、喜入、瀬々串、慈眼寺、南鹿児島、郡元(指宿枕崎線) 【日本最南端の終着駅、枕崎までの往復旅】
鉄旅日記2015年8月14日その1・・・指宿駅、枕崎駅、入野駅、開聞駅、山川駅、喜入駅、瀬々串駅、慈眼寺駅、南鹿児島駅、郡元駅(指宿枕崎線)
2015・8・14 6:08 指宿(いぶすき)駅(指宿枕崎線 鹿児島県)
明るくなる頃は海辺を走っていた。椰子の木が植わった国道に沿って線路が伸びている。
瞼が重かったけど、これを見に来たんじゃないか。
幸せな気持ちで移り行く景色を眺めていた。
そんな気分でいる時には、愛しい人がかわいらしい笑顔を見せてくれたいくつかの場面が浮かんでくる。
必ずそうなる。
指宿に降りる。
かつての夏に隼人駅とともに最も印象に残った駅は変わっていなかった。
温泉地として東京にも聞こえた街だが、街並みは寂しかったと記憶していた。
今回もその印象を決して上回るものではないが、アーケード街やスナック街を5分ほど歩き、指宿を存分に感じた気分で駅に戻る。
枕崎行はすでにホームに入っている。


車窓からの眺め


指宿の街並み



7:36 枕崎(まくらざき)駅(指宿枕崎線 鹿児島県)
最南の終着駅として最北の稚内からの距離が記された駅は、ホームから何から何まで過去の記憶から変わっていた。
小高い位置にホームがあり、街中に充満していた鰹節の匂いもなく、さっき一緒にこの街に着いた人々は、オレと同じようにことごとくが乗ってきた列車で引き返す。
南薩線の記憶はまだ生きていて、オレが知っている駅舎は線路の壁に写真として残っていた。
きれいなステーションホテルがあった。
撤退して何年にもなるであろう家具屋の廃墟が国道沿いにあった。
市役所通りは青空美術館を24時間営業していて、様々なアート作品が路傍に置かれている。
スナックが一軒。
飲食店が2、3駅周辺に固まっている。
ここでぽつっと一雨。
鹿児島中央へ向けて引き返す。
開聞岳が見えるまでは退屈な田舎風景が続く。
白沢駅で、もう中年にさしかかろうとする陰気なメガネ男が、いかにも田舎漢といった父親に車で送られて乗ってきた。
父親の一別を意味する手の挙げ方は格好良かったが、メガネ男はすぐにケータイに目を落としゲームに興じ始めた。



枕崎駅前


入野(いりの)駅(指宿枕崎線 鹿児島県)にて



8:43 開聞(かいもん)駅(指宿枕崎線 鹿児島県)
今から26分前にひとつ手前の入野駅で降りて開聞岳を収める。
素晴らしいビュー・ポイントだった。
同じ夏の日にかつて車で通った国道を歩くとまたポツリ。
空は明るいし長くは続かないだろうと思ったが、今じゃ本降りだ。
そして開聞駅への再訪を果たす。
あの夏の日、この場所にいた記憶をとても大切に思いながら生きてきた。
雲がかかっていた頂に風が吹いたのは、遠いところをわざわざ2度にもわたってよく来てくれたなと、土地の神が計らってくれたのだろう。
桜島でも期待できる。



9:21 山川(やまかわ)駅(指宿枕崎線 鹿児島県)
薩摩藩の貿易港として栄えた過去を持つ山川港に雨が降る。
あの尖ったのは竹山というのか。
太古から台風や大風に削られてあんな面相になったのだろう。
オホーツクにも似たようなのがいて、あっちじゃ神の名がついていた。
開聞岳はもう見えなくなってしまった。
再会というのは大抵束の間だ。
人生を変えるような大それたものじゃないが、鹿児島の景色は素晴らしい。




10:02 喜入(きいれ)駅(指宿枕崎線 鹿児島県)
喜びの町は縁起物として入場券を販売している。
山川では目にしなかった山川漬けなるものも並んでいる。
バス停の背後に沖縄の墓場でよく見かけたような南洋風俗的な構造物があって、ケータイを向けようかと思ったが、やめた。
特に理由はない。
海辺に出れば巨大コンビナート基地がある。
突端で船が美しい明かりをつけていた。
喜入に到着すればもう一度見られるかと思ったが、駅は海岸線から外れた場所にあった。

10:19 瀬々串(せせくし)駅(指宿枕崎線 鹿児島県)
海辺の駅で5分の行き違い停車。
跨線橋から眺めた風景だが、錆びた一本のレールが伸びる様に沿線の歴史を感じる。
駅前から見えた海は、視界の多くをテトラポットに譲っていた。
喜入方面に向かう国道に渋滞が発生している。

10:40 慈眼寺(じげんじ)駅(指宿枕崎線 鹿児島県)
行き違いで3分の停車。
駅は改装中で、降りてみたら空地の目立つ郊外風景があった。
農村風景よりもより鄙を感じるのは、グレーにしか見えない潤いを欠いた風景からか。
線路は高架工事が施されている最中だった。
どこまで高架を伸ばす計画でいるのだろう。

南鹿児島(みなみかごしま)駅(指宿枕崎線 鹿児島県)にて

南鹿児島~郡元間(徒歩)涙橋血戦の碑

11:08 郡元(こおりもと)駅(指宿枕崎線 鹿児島県)
南鹿児島は市電との乗換駅で、JR駅を出るとすぐに踏切がある。
3分の停車だったが、その踏切に阻まれて戻るを得ず、やむなく線路に沿って歩く。
途中の交差点に「涙橋血戦の碑」がある。
西南戦争での市街戦で枕崎衆が6時間に及ぶ戦いの末に撤退した地とのこと。
郡元に駅舎はなく、鹿児島中央駅を次に控えた土地だが、特徴のない郊外風景の中にあった。

関連記事
-
-
「車旅日記」2000年春 4日目(鳴子温泉‐米沢‐猪苗代‐郡山)鳴子サンハイツ、道の駅むらやま、金渓ワイン、日布峠、こたかもりドライブイン、郡山スターホテル 【一年のブランクを経て、旅再開。出発場所は東京町田から、下町葛飾へと変わっております。】
車旅日記2000年5月6日 2000・5・6 7:19 鳴子サンハイツ 1011㎞ 低調な朝だ。
-
-
「車旅日記」2004年秋 2日目(宇野-城崎)走行距離377㎞ その1-宇野駅、児島駅、下津井港、倉敷駅、総社駅、備中高梁駅、新見駅 【瀬戸内から山陰へ。そんな旅がしたかったのでございます。】
車旅日記2004年11月21日・・・宇野駅、児島駅、下津井港、倉敷駅、総社駅、備中高梁駅、新見駅
-
-
「鉄旅日記」2020年晩秋 2日目(砺波-武生)その5‐福井、新福井、勝山、福井口(えちぜん鉄道勝山永平寺線) 【大人の休日倶楽部パスで北陸へ。新幹線、在来線特急乗り放題でございます。魚津、雨晴をめぐり、氷見線、万葉線、城端線、七尾線、えちぜん鉄道、福武線、北陸鉄道との再会でございます。】
鉄旅日記2020年11月22日・・・福井駅、新福井駅、勝山駅、福井口駅(えちぜん鉄道勝山永平寺線)
-
-
「車旅日記」2004年夏 初日(佐賀空港-別府)走行距離254㎞その2-田川後藤寺駅、豊前川崎駅、宝珠山駅、日田駅、豊前中村駅、鳥栖駅、別府・ホテル清風屋上ビヤガーデン【九州を一周してみよう。そう思いたった、真夏の日々でございます。】
車旅日記2004年8月11日・・・田川後藤寺駅、豊前川崎駅、宝珠山駅、日田駅、豊前中村駅、鳥栖駅、別
-
-
「鉄旅日記」2013年春 初日(東京-和歌山)その2-和泉府中、東岸和田、日根野、熊取、りんくうタウン、関西空港、紀三井寺、黒江、紀伊中ノ島、和歌山(阪和線、関西空港支線、紀勢本線) 【爆弾低気圧襲来日、青春18きっぷで西へ】
鉄旅日記2013年4月7日その2・・・和泉府中駅、東岸和田駅、日根野駅、熊取駅、りんくうタウン駅、関
-
-
「鉄旅日記」2020年文月 最終日(三次-東京)その3‐清音、倉敷、岡山、熊山、姫路(伯備線/山陽本線) 【コロナ禍でございます。内緒の旅でございました。余部鉄橋へ。萩へ。霧の街へ。東京五輪延期で浮いた4連休の記録でございます。】
鉄旅日記2020年7月26日・・・清音駅、倉敷駅、岡山駅、熊山駅、姫路駅(伯備線/山陽本線)
-
-
「鉄旅日記」2017年夏 3日目(姫路-十三)その3-高速神戸、湊川神社、神戸三宮、甲陽園、夙川、西宮北口、宝塚、箕面、石橋、北千里、十三(阪急電鉄神戸高速線/神戸本線/甲陽線/今津線/宝塚本線/箕面線/千里線) 【私鉄王国で過ごす夏】
鉄旅日記2017年8月12日・・・高速神戸駅、神戸三宮駅、甲陽園駅、夙川駅、西宮北口駅、宝塚駅、箕面
-
-
「車旅日記」2005年初夏 最終日(新潟-長岡)走行距離246㎞ その2-青海川駅、安田駅、北条駅、長鳥駅、来迎寺駅、長岡駅、東京葛飾金町 【長岡、会津、庄内。戊辰戦争ゆかりの地を巡りたかったのだと記憶しております。】
車旅日記2005年7月18日・・・青海川駅、安田駅、北条駅、長鳥駅、来迎寺駅、長岡駅、東京葛飾金町
-
-
「鉄旅日記」2018年師走 最終日(神島-鳥羽港-伊良湖岬-三河田原-豊橋-東京)その2-中之郷駅、伊勢湾フェリー乗場、道の駅伊良湖クリスタルボルト(伊勢湾フェリー) 【伊勢のいくつもの終着駅に降りまして、神島で2018年最後の満月を眺めたのでございます。】
鉄旅日記2018年12月24日・・・中之郷駅、伊勢湾フェリー乗場、道の駅伊良湖クリスタルボルト(伊勢
-
-
「鉄旅日記」2019年霜月 初日(東京-五所川原)その2‐郡山、福島、仙台、品井沼、松島(東北本線) 【津軽鉄道、弘南鉄道に乗りにいきました。羽州街道を歩いた晩秋の旅でございます。】
鉄旅日記2019年11月2日・・・郡山駅、福島駅、仙台駅、品井沼駅、松島駅(東北本線) 9:25
