「鉄旅日記」2009年皐月【四国へ、途中下車の旅】4日目(高知-宇和島)-高知、朝倉、伊野、斗賀野、須崎、窪川、中村、宿毛、宇和島(土讃本線、土佐くろしお鉄道中村線/宿毛線、予土線)
鉄旅日記2009年5月4日・・・高知駅、朝倉駅、伊野駅、斗賀野駅、須崎駅、窪川駅、中村駅、宿毛駅、宇和島駅(土讃本線、土佐くろしお鉄道中村線/宿毛線、予土線)
2009・5・4 7:32 高知(こうち)駅(土讃本線 高知県)
よさこい。
夜に来いという古語だという。
はりまや橋を渡ることはなかったけど、街は知った。
10年前より小さく感じもして、南国の熱気もそれほどとは思わなかったけど、好きな街だ。
桟橋通りの先を臨みながら発着の際に流れるアンパンマンのメロディーに微笑んでいる。
8:05 朝倉(あさくら)駅(土讃本線 高知県)
交換待ちで10分以上の停車。
オレにはうれしい事態だ。
高架駅だった高知から線路が地上に下りたのは高知を離れて2駅ほど。
市内の平板な風景が続いている。
乗客は運動部の若者を除けば僅か。
高知商業前で降りたのも僅か。
この車両に乗り合わせた少女たちからは次で降りると聞こえた。
ログハウス調の新しい駅舎だ。
はりまや橋までは6キロ。
市内とは路面電車でつながっている。
角の雑居ビルは廃墟のようだった。
戦国の頃、本山氏の城があった町。
司馬遼太郎さんの「夏草の賦」に出てきたか。
8:39 伊野(いの)駅(土讃本線 高知県)
さっきここまでオレを運んだ4両編成は折り返し高知行き。
涼しい朝だ。
ビールじゃなく、あたたかいココアを選んだ。
土佐電鉄の終点でもある伊野。
ここから出る路面電車は1時間に3本だった。
ここは紙の町。
もはや高知市ではない。
岡山行の特急がやってきた。
ここから本州は遠いな。
駅を出ると左手にテレビ塔。
酒を飲ませる店は2軒ほど。
侘しいとも言えるが、この風情は好きだ。
西武ライオンズで活躍した渡辺智男投手を擁した伊野商業が桑田清原のPL学園を抑え込んで全国制覇したのは20年以上前。
このあたりに仕事で来たのは10年以上前。
お世話になったN印刷さんは健在だった。
発車して雄大な仁淀川を渡る。
あの川は何かの舞台になっていたっけな。
旅情があふれてきた。
「高知線の歌」というのがあるらしい。
9:26 斗賀野(とがの)駅(土讃本線 高知県)
「高知線の歌」には、まもなく斗賀野山。
ここで8分の停車。
気付けば並走する国道県道もなく、土佐の山深いあたりを西に向かっている。
ここ佐川はこのあたりじゃ中心的な町。
田畑に上る煙り。
山肌に張り付いたような工場があった。
細かい雨が落ちてきた。
まもなく吾桑。
10:47 須崎(すさき)駅(土讃本線 高知県)
多度津を出た土讃本線はここ須崎で海に再会する。
有数の漁港で津波の街だという。
そんな石碑があったよ。
過去に何度も被害に遭っている。
オレの知識の中にもそんなのがあった気がする。
売店のない駅を出て通りを左へ。
すぐに戻って駅前の喫茶店で時間を潰すことになると思ったけど、そうはならなかった。
港から近くのスナックが入っている雑居ビルを見て昨日の奈半利での感慨と同じものを持ち、商店が尽きるところまで歩こうと決めて駅前通りを左に行くと、一大商店街が現れた。
どこまで続くのかと歩き続ける。
小綺麗な飲食店もあり街を見直していると、不意に通りの先を塞ぐように巨大な物体が左から右に動いていく様を見て仰天した。
線路を渡ると錦浦湾に沿って広がる富士が浜。
この旅で4度目の海辺に出た。
そこを船が通っていたんだ。
すっかり街を気に入り大商店街に戻る。
飲食店の軒は続く。
それもようやく尽きて川端通りへ。
「餅は餅屋で」と言うが、餅屋を初めて見たのはその途中でのことだ。
桜の城山公園に坂本龍馬首切り地蔵。
オレが好むものは何でも揃っている街だった。
ついでと言っては失礼だが、甲子園の常連明徳義塾はここ須崎にある。
じきに窪川行が来る。
ビールを買って城山を眺めている。
まるで終着駅のような風格を持つ駅だが、土讃本線はまだ続く。
名物は鍋焼きラーメンとのこと。
11:59 窪川(くぼかわ)駅(土讃本線/土佐くろしお鉄道中村線 高知県)
土讃本線の旅はここが終点。
どういう理由か知らないが、次の若井駅までの旧中村線と重複する区間は旧中村線、現在土佐くろしお鉄道に譲り、JRは窪川で途切れることになる。
かつての姿は知らないが、終着駅の色濃い風格のある駅だ。
清流と霧の高原、四万十町窪川。
駅の外ではどうも食事をとれそうな店はざっと見渡したところない。
あぁ、ここにもお遍路さんの姿があるな。
14:59 中村(なかむら)駅(土佐くろしお鉄道中村線/宿毛線 高知県)
窪川を出てから中村まですべてが無人駅。
10分近く集落のない区間があり、やがて海岸線に出る。
人は乗ってくるが鄙びたところだ。
この先に中村があるのか。
本当にあるのなら、まるで地の果てにできた楽園だ。
やがて到着する。
京都から移り住んだ公家の一条さんが築いた街。
他の土佐人とは違い都の血を根っこに持つこの街の美人率は相当なものらしい。
想像とは違ったが、四万十川に沿ったいい街だった。
なるほど、ある区画が京都を模した碁盤の目になっている。
一条神社、中村城址、沈下橋。
一条さんは戦国前期、新たに勢力を増した長宗我部元親と伊予勢に攻められ滅んだというが、今もこの山奥にできた街では慕われていることが窺える。
四国の小京都、中村。
とうとう辿り着いた。
中村を知ったのは古い。
子供の頃に中村高校の活躍を甲子園で見たんだ。
その中心街は駅からはかなり歩く。
足摺岬へはここから行く。
城下の墓地に大逆事件で処刑された幸徳秋水のものを示す表示があった。
彼のことはよく知らないが、中村の出身だったのか。
中村は現在は四万十市になっている。
16:44 宿毛(すくも)駅(土佐くろしお鉄道宿毛線 高知県)
四国最果ての地、宿毛。
近年中村から延びた新しい高架線の終着駅。
乗客は少なく、中学生の少女たちが担任の先生とその家族とばったり出くわす微笑ましい光景が見られた。
教育が悪い方向にだけ向いているわけじゃないことが彼等の会話から窺えた。
少し眠り、この町に着く頃にはすでに彼等の姿はない。
最果てらしいどこか乾いた印象を持つ町だ。
松田川を見に行く他にやることはなく、駅の土産物屋は店仕舞いを始めている。
改札待ちの男女の喫煙量が凄い。
灰皿に近づく隙間を設けようとせず、猛然と煙りを上げている。
まるでちょっとした火事だ。
少し前にこの駅で起きた、列車が行き止まりの駅舎を突き抜けた惨事の跡はなく、タクシー運転手は暇をもて余している。
昨日両親に送ったカツオが届いたと父からメールが入った。
すでに刺身に姿を変えているらしい。
両親の口に合うことを祈る。
これから中村に戻り特急南風に乗り換えて再びの窪川へ。
そしていよいよ宇和島へ。
22:41 宇和島ターミナルホテル406号
中村線での記述は改める。
途中に町はあった。
密林の先に忽然と中村の街が現れたわけじゃなかった。
わざわざオレの目の前に席を移してきた二人の少女がいたのは中村に向かう途中。
目的は知らないが、オレが格好よく見えたか。
あるいは変なヤツに見えたかのどっちかだ。
死ぬまで人に言うつもりはないが、間違いなく前者だ。
旧中村線区間は出会いより別れの一帯だった。
窪川に着くまで見送りの光景をいくつか目にした。
見送られる者は例外なく若く、都会風の洗練さを身につけた男女で、見送る者は母親に親戚、友人一同。
まるで今生の別れで、双方の涙はオレに伝った。
予土線は閑散路線だった。
窪川と宇和島を除いて無人駅しかない。
約2時間の道中で乗り降りしたのは15名。
沿線に予土線存続を訴える看板をいくつか見た。
町はなく、四万十川に沿っていく。
さらに沿線には道も集落もなく、駅に着くとそこにだけ人の営みが現れる。
大正、昭和、十川、江川崎。
時代から逃げ遅れたような村でありながら、超然とした村だった。
そこを出地とするステキな若者は生まれ続ける。
途方もなく、その事実は大きい。
宇和島は遠かった。
街の灯が遠かった。
四国の終着駅と呼ばれる宇和島。
夜になって街に出れば灯は消え、人通りは絶えている。
闘牛で有名な活気のある街も過去にその座を置き忘れたのか。
ホテルのフロントでお勧めの店を聞いていってみた。
半ば閉店していて、通された広い座敷にはオレひとりだけで、独り身なことも含めて店員のおばちゃんに気の毒がられたが、出てくる酒も料理も美味かった。
宇和島の実力は理解したつもりでいる。
ライトアップされた宇和島城。
幕末に賢人候がいたことで知られている。
繁華街は城下にあった。
いくつもの夜の灯がそこにだけ、あたりの闇を追い払うように、切ないくらいにあった。
宇和島東の甲子園での快挙は、宇和島を全国制覇の街にもした。
駅前の南国ムードは明日の朝に満喫する。
この国でたいていの人に知られた街はどこも活気にあふれていると思っていた。
中村にここ宇和島。
本州には、そして東京にはあまりにも遠いということか。
ただ、太刀魚巻、美味かったな。
他の街じゃ食えないらしい。
それをオレは実力と表現している。
関連記事
-
-
「鉄旅日記」2017年春【近鉄に乗る日々】2日目(新大宮-大阪難波)その1-近鉄奈良、新田辺、三山木、JR三山木、狛田、下狛、新祝園、祝園、学園前、学研奈良登美ヶ丘(奈良線/京都線/けいはんな線)
鉄旅日記2017年3月18日・・・近鉄奈良駅、新田辺駅、三山木駅、JR三山木駅、狛田駅、下狛駅、新祝
-
-
「鉄旅日記」2018年師走 最終日(神島-鳥羽港-伊良湖岬-三河田原-豊橋-東京)その1-神島山海荘あじさい、神島漁港、菅島漁港、鳥羽城址(城山公園)、旧鳥羽小学校(鳥羽市営定期船) 【伊勢のいくつもの終着駅に降りまして、神島で2018年最後の満月を眺めたのでございます。】
鉄旅日記2018年12月24日・・・神島山海荘あじさい、神島漁港、菅島漁港、鳥羽城址(城山公園)、旧
-
-
「鉄旅日記」2018年秋 初日(松戸-流山-潮来-銚子-東金-松戸)その4-飯岡、東金、大網、蘇我、海浜幕張、船橋法典、市川大野、東松戸(総武本線/東金線/内房線/京葉線/武蔵野線) 【サンキューちばフリーパスでめぐる上総下総安房旅】
鉄旅日記2018年9月22日・・・飯岡駅、東金駅、大網駅、蘇我駅、海浜幕張駅、船橋法典駅、市川大野駅
-
-
「鉄旅日記」2016年春 初日(東京-下北)その1-郡山、安達、苦竹、東仙台、花泉、石越(東北本線、仙石線) 【下北半島から東日本大震災被災地へ】
鉄旅日記2016年3月19日その1・・・郡山駅、安達駅、苦竹駅、東仙台駅、花泉駅、石越駅(東北本線、
-
-
「鉄旅日記」2018年弥生 初日 最終日(会津若松-東京)その3-燕三条、北三条、三条、長岡、水上、高崎(弥彦線/信越本線/上越線)【青春18きっぷを握り、目指したのはまたしても会津。練馬から旅立つ最後の旅でございます。】
鉄旅日記2018年3月4日・・・燕三条駅、北三条駅、三条駅、長岡駅、水上駅、高崎駅(弥彦線/信越本線
-
-
「鉄旅日記」2014年春 初日(東京-西舞鶴)その2-東雲、宮津、天橋立、豊岡、国府、和田山、梁瀬、福知山、西舞鶴(北近畿タンゴ鉄道宮津線/山陰本線) 【青春18きっぷで、丹後若狭から北陸、信州へ】
鉄旅日記2014年3月21日その2・・・東雲駅、宮津駅、天橋立駅、豊岡駅、国府駅、和田山駅、梁瀬駅、
-
-
「鉄旅日記」2020年盛夏 最終日(門司港-東京)その5‐岩国、五日市、広電五日市、広島(山陽本線/東海道・山陽新幹線) 【コロナ禍の内緒旅VOl.2。宮島へ。錦帯橋へ。筑豊へ。島原へ。千綿駅へ。そして若松~戸畑の渡船。日本晴れの4日間の記録でございます。】
鉄旅日記2020年8月16日・・・岩国駅、五日市駅、広電五日市駅、広島駅(山陽本線/東海道・山陽新
-
-
「車旅日記」2005年初夏 最終日(新潟-長岡)走行距離246㎞ その2-青海川駅、安田駅、北条駅、長鳥駅、来迎寺駅、長岡駅、東京葛飾金町 【長岡、会津、庄内。戊辰戦争ゆかりの地を巡りたかったのだと記憶しております。】
車旅日記2005年7月18日・・・青海川駅、安田駅、北条駅、長鳥駅、来迎寺駅、長岡駅、東京葛飾金町
-
-
「鉄旅日記」2016年春 2日目(下北-石巻)その2-金田一温泉、斗米、二戸、好摩、いわて沼宮内、厨川、矢幅、日詰、小牛田、涌谷、石巻(IGRいわて銀河鉄道、東北本線、石巻線) 【下北半島から東日本大震災被災地へ】
鉄旅日記2016年3月20日その2・・・金田一温泉駅、斗米駅、二戸駅、好摩駅、いわて沼宮内駅、厨川駅
-
-
「鉄旅日記」2007年皐月 初日(東京-米子)-静岡、豊橋、本竜野、播磨新宮、佐用、東津山、米子(東海道本線/姫新線/因美線/山陰本線)【夜汽車で東京を離れ、山陰山陽へ。鉄旅最初の長旅でございました。】
鉄旅日記2007年5月3日・・・静岡駅、豊橋駅、本竜野駅、播磨新宮駅、佐用駅、東津山駅、米子駅(東海