「鉄旅日記」2007年如月 2日目(天王寺-奈良)その1-南霞町、浜寺駅前、浜寺公園、羽衣、春木、和泉大宮、岸和田、和歌山市、和歌山港、堺(阪堺電気軌道/南海電鉄南海線) 【初日天王寺、2日目奈良。宿泊地だけを決めて、心のままに移動した記録でございます。】
鉄旅日記2007年2月11日・・・南霞町駅、浜寺駅前駅、浜寺公園駅、羽衣駅、春木駅、和泉大宮駅、岸和田駅、和歌山市駅、和歌山港駅、堺駅(阪堺電気軌道/南海電鉄南海線)
2007・2・11 スーパーホテル奈良駅前321号室
朝早い天王寺公園。
起き上がった路上生活者たちが風景を眠たくさせている。
さあ、どこへ行こうか。
新今宮への坂を下りていくと南霞町駅のホームに出る。
堺方面への乗車賃が290円。
安いから乗る。
遠いと思って断念した岸和田、和歌山への道が開けたのもその時だった。
路面電車は堺へ。
その車中、太宰の未完の遺作「グッド・バイ」を読み終えた。
読み継がれたのは「停電の夜に」。
乗客は次々と降りていき、たったひとりとなってたどり着いた終着駅は、街道沿いの浜寺駅前駅。
街道を渡ると浜寺公園。
素敵な公園で、海岸まで通じているものかと地図を見ると、運河で終わっている。
引き返して街道を少し歩くと南海電車の浜寺公園駅に出た。
何事かを思わせる古い駅舎だった。
聞けば、私鉄駅最古の駅舎とのこと。
この公園は夏には賑わうのだろうか。
名所としての扱いをどれほど受けているのか知らないが、鉄道近代史に目を向けるとしたら、いいきっかけにはなる。
羽衣駅が近いので、線路伝いに歩く。
JR支線の終着駅東羽衣駅が突き刺さるように羽衣駅に向いている。
岸和田方面へ。
関東じゃ煙草はダメだが、関西の私鉄駅には喫煙所がある。
これもカルチャー・ショックのひとつ。
羽衣からは高師浜に向かう支線も延びている。
JRがここまで線路を延ばしたこともあり、ここら一帯には何かがあるのだろう。
泉州訛は聞こえてこない。
いよいよ岸和田へ。
運賃は安い。
そして堺から近い。
小説「岸和田少年愚連隊」にしばしば登場する春木駅は急行停車駅だった。
くわえ煙草の男たちが降りていく。
岸和田競輪場がそばにあった。
車で迎えにきた男が鋭い視線を送ってくる。
これから最凶の街。
覚悟を決めて線路伝いに歩いていく。
でもまだ10時過ぎ。
無法者たちは昨夜の疲れからまだ立ち直っていなかったのかもしれない。
ごく普通の人々が歩いている。
あまりにも小説の登場人物が強烈だからか、そんな感慨がわく。
和泉大宮駅に差しかかるあたりで、大声で話しながら自転車で追い抜いていった2人のオッサンは、小説の登場人物であったとしてもおかしくなかった。
途中の民家で「だんじり」を説明する青年と、それを見守る一団に出会い、高層駐車場を備えた青く輝く岸和田駅へ。
作者の中場利一さん言うところの日本一凶悪な街はまだ眠っていた。
「だんじり」が通るため、高いアーケードを持つ商店街に行き着くことなく、街を離れてしまった。
関西空港行に乗ると右手に岸和田城が見えた。
泉佐野で乗り換える。
りんくうタウンに、南海に浮かぶ関空。
泉佐野の駅前風景。
和泉は世界とつながった。
そして彼女からメールが届いた。
駅名に見える樫井に淡輪。
大坂夏の陣の緒戦。
朝鮮半島で素っ裸に褌姿で旗を押し立てて進んだ豪傑塙団右衛門が、北上する紀州浅野勢の機先を制するために向かい壊滅した地を通り、いよいよ和歌山へ。
かつて県境の駅の脇を通り抜けた記憶があり、地図を眺めてそこは孝子駅に違いないと思ったが、着いてみると違う。
そこから歩くつもりでいたが、降りずにやがて紀ノ川を渡り、和歌山市駅へ。
「駅そば」に心を残し外へ。
駅はまるで役所のようだ。
南海の時刻表には和歌山港からフェリーで徳島港に渡る便が載っている。
昼時の駅前通りは閑散としていて、風情にも都会はそこにない。
国会答弁の中で格差が生じているという報告の中にあった和歌山県。
傑物徳川吉宗を出した紀州は、いつからそういう地域になったのか。
ビールと昼食をセット売りしていた居酒屋で昼食をと思いはしたが、取りあえず歩き始める。
目指すは和歌山港駅。
ずいぶん遠くて。。
表示では途中の3駅分が塗りつぶされていた。
つまりその3駅は廃駅になったわけだ。
2000年の時刻表では、まだ3駅は生きている。
ついでに言えば、その時刻表では和歌山港駅の先にも1駅延びていたが、今じゃない。
ようやく着いた和歌山港駅は暗く、徳島からやってくる人々の到着を待っていた。
そこから引き返す。
脇では紀ノ川が海に到達していて、港には物を売る店もなく閑散としていた。
いかついオッサンが乗り込んできて歌を口ずさむ。
どこで降りるかと思っていたら岸和田で降りていった。
やはりあの街には小説「岸和田少年愚連隊」を生む土壌がある。
堺へ。
政令指定都市になった堺駅前に見るべきものはなかった。
本当に何もなく、駅舎と棟続きの商業施設で事を済ますしかない。
昼食は焼きそば。
ただ、本屋では探していたカポーティーの本を2冊見つけた。
こういうことがある。
「吉里吉里人」も東京では見つからず、手に入れたのは尾張一宮だった。
南北朝時代、南朝軍のプリンス北畠顕家卿はこの地で討たれたと、歩いている中に見つけた。
かつての世界的商都堺は、大坂夏の陣の終局に大坂方の大野道犬に焼かれ、堺の繁栄は大阪や神戸へと移った。
そのあたりのことを城山三郎さんが小説「黄金の日々」に書き、NHKの大河ドラマになった。
100万都市となった現在も、かつての繁栄は窺い知れない。
政令指定市民は地元を離れて、阿倍野、心斎橋へと向かう。
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