「車旅日記」2006年皐月 初日(東京葛飾-黒磯)-天王台駅、水海道駅、下妻駅、真岡駅、益子駅、烏山駅、黒磯駅、道の駅明治の森黒磯 【東京から出かける最後の車旅。関東、東北を2,265㎞走った記録でございます。】
車旅日記2006年5月2日・・・天王台駅、水海道駅、下妻駅、真岡駅、益子駅、烏山駅、黒磯駅、道の駅明治の森黒磯
2006・5・2 18:59 東京葛飾金町
雨の出発も過去にはあっただろう。
だからどうしたというわけじゃない。
ストーンズを見に行った日と同じだ。
神を信じていいい。
何より旅立ちを前に難なく仕事を上がれたんだ。
彼女に「素敵な連休を」と言い残して旅に出る。
出発が早まった。
この町のトヨタレンタカーには毎度世話になる。
今回の旅は長くなる。
20:38 天王台駅(24㎞)
オープニングはストーンズの「フラッシュポイント」で。
旅が始まった。
6号国道が快調だ。
始まりの江戸川渡河から一気に利根川までという計画は、ほぼ9割の行程を終えた。
松戸を抜け、馬橋、新松戸の駅への表示を横目に柏を過ぎ、雨に煙った小さく灯る町に着いた。
天王台駅周辺は我孫子駅前によく似ていて繁華街に広がりはなく、反対側の出口にはだだっ広いロータリーが広がるのみ。
メイン・ストリートの先には、パチンコ屋の看板が街金融のそれのようにセンスなく光り、文字の一角が欠けている。
金町に来てからちょうど7年。
ここまでの道には記憶に引っかかっているものもあった。
ただし記憶から取り出したからといって、気持ちが温まるとか、そうした類のものじゃない。
悲しくさせるものでもない。
飲み物は野菜ジュースにした。
何やらいい予感がある。

2019年3月10日撮影
21:31 水海道駅(46㎞)
利根川大橋のムコウに取手の街が見える。
とてもきれいに見える。
2月に賛美した取手の街角には粋なBARもあって、234号国道に入った街はしばらく明るかった。
テレビ塔は街道沿いに建っていた。
関東鉄道常総線の駅にはどことなく品がある。
6年前に逆を行った道だが、新守谷駅周辺くらいしか覚えていなかった。
その手前の守谷には未完成の未来ができつつあった。
つくばエキスプレスはそうした姿をしている。
音楽は尾崎豊へ。
国道を逸れて、「米軍キャンプ」の切ないメロディが流れてこの駅に着いた時、駅の外で少女がひとり寂しげに立っていた。
若者たちが便所の前でたむろしている。
ここらあたりまで来ると、あの年代の者たちもかわいいものだ。
近寄る気にはならないが。
第一ホテル以外には目ぼしい建物のない街。
駅のホームに看板が立ち並ぶ様は、見慣れたものと何かが違う。
その違いをうまく表現できないが、すでに東京を離れたのだと、オレは言いたいのだろう。
駅舎は丸みを帯びて、とてもこじんまりとしていた。

2014年4月27日撮影
22:15 下妻駅(71㎞)
真っ暗な関東平野に僅かな町の明かりが覗く。
そんな道を走っていたよ。
もう20年も前に尾崎豊が言いたかったことがやっと分かったような気がして、幸せな気持ちで車を走らせていたよ。
古い街に着いた。
商店街の構えには、長いこと保ってきたのだという誇りを感じる。
新興勢力の姿はなく、22時を過ぎたばかりの街はすでに寝静まっている。
それにしても小さな駅だ。
この街の名がついた駅にしては簡素に過ぎるように思う。
ローカル私鉄駅の哀しみをこうした光景に見る。
商店街の外れに位置する場所柄も物寂しく、客待ちのタクシーもあるかなしか。
夜に浮かんだ街はどことなく白かった。
いろいろ言ったけど、この街を好きになりそうだ。
街中を走りながら、そんな感情の芽生えを感じて、今ここにいる。
親切な駅長さんに便所を借りた。
雨は上がり、星がいくつか瞬き始めた。

2018年4月30日撮影
23:05 真岡駅(102㎞)
雨が完全に上がり、街路が明るくなった。
まだまだ夜は続いていく。
下館の跨線橋の下を1両編成のディーゼル車が小山へ向かう。
あれは最終列車じゃないだろう。
234号国道と並走する鉄道は、下館からは関東鉄道に替わって真岡鐡道。
心許ない単線のレールを走る鉄道の営業はすでに終わり、街は静けさに満ちている。
駅前のタクシー会社の車も概ね戻ったようだ。
その中、明かりの消えた駅前で客を待ち続ける運転手には何かアテがあるのだろうか。
この街の酒場で黄金週間を陽気に祝う存在を信じてのことだろうか。
東京を出て、千葉、茨城ときて、栃木県に入っている。
千葉、茨城両県とはしばらくお別れ。
この栃木にもそうは長くいない。
地図を眺める。
北には東北の山河が果てしないまでに続いている。
駅のホームにはトロッコ列車風のメルヘン号が静かに朝を待っている。
明かりの消えたホームに忍び込み、わずかな空を見上げる。
人の声に敏感になるが、誰もいやしないさ。
気の荒い者も、こんな時間にここで暴れたりしないさ。
跨線橋から鉄道基地を眺めて車に戻った。
真岡鐡道はSLを走らせるのか。
真岡は繊維の街とのこと。
古い街だ。
歴史のどこに登場したのかは記憶にない。
さっきのタクシーも去って、街は闇と静寂に完全に支配され、抵抗する勢力の姿は微塵もない。

2014年4月27日撮影
23:35 益子駅(113㎞)
線路を越えて真岡の中心街へ。
狭い路地で、聴いていた尾崎豊のCDを痛めてしまった。
その傷が心に残っている。
たいした話じゃないが。
真岡の街並はなかなかに美しかった。
由緒を持つであろう旅館にホテル。
角には真岡新聞社がある。
業界紙かもしれないが、気骨のある記事を載せていそうなたたずまいを見せていた。
駅に寄っただけで街を理解したと公言するつもりはこれまでもなかったが、真岡の素敵な一面をこの真夜中にオレは見たのだろう。
焼物の町へ。
星がきれい。
10年前に最上川の畔で、無造作に夜空に散らばり、今にも落ちてきそうな数多の星に恐怖を感じたほどじゃないにしても、信じがたいほどの星の数だ。
無人のホームで、何時間も前に最終列車が出たホームで、虫の声に癒されながらしばらく上を向いていた。
この旅最初の立ち去りがたい場所になったよ。
観光町の益子駅はとても立派な造りをしている。
町のシンボル的存在でもあるだろう。
線路はこの駅で上下交差することはなく、たった1本の線路だけが敷かれている。
その姿は愛らしくもあり、ここで列車を待つ者は目の前の民家の連なりに町の規模を実感する。
有名な町だが、小さな町だ。
星を見ながら煙草に火をつける。
いくつもの星の下で、ほんの一瞬だけでも絵になりたいからさ。
駅のホームというのは、そうするのに適した場所だ。
これから北へ向かうオレを天上から北斗七星が眺めていた。
木造の傘の下で深い味わいを感じて、この町を離れる。
24:23 烏山駅(141㎞)
関東平野に人家が稀になり、那須連山に近づく。
国道についた番号は294。
この町で線路は絶え、白河の関まで険しい道が続いていく。
真岡ほどの規模じゃないが、ここは歴史を持つ文化都市のようだ。
立派な終着駅がある。
ホームには始発列車が止まり、ホームから盗み見た駅構内には、人が集まるのに相応しい空間がある。
そして見上げれば相変わらずいくつもの星が煌めいている。
辿り着いた先がここだったらいい。
そう思えた古い駅と広場にいる。
たまに車がやってくるが、犬とも言えない動物の泣き声の他は、今は何も聞こえてこない。
交番のポリスの姿も見えない。
宇都宮に向かう終列車は何時に出るのだろう。
烏山線を守ろうという看板だけが寂しかった。
那珂川が流れ、城跡がある町。
少し町中を走ったら、もう今夜の身の振り方を考える時間。

2013年3月31日撮影
25:25 黒磯駅(188㎞)
赤く点滅する鉄塔の群れが荒野に屹立する様はどこか不気味で、退廃した未来を思わせる。
映画「ブレード・ランナー」的な光景だった。
大田原の手前から400号国道。
大田原はなかなかの街だった。
市庁舎も立派で洒落た店もある。
東北本線からは外れているが、この時代に鉄道は必ずしも必要じゃない。
明治からの歴史の中では、あるいは鉄道が敷かれていた時代を持ったのかもしれない。
重みのある街を真夜中に見た。
街中を抜けて西那須野で新幹線高架と交差すると4号国道。
街道に24時間営業の店が闇に点滅するように存在し始める。
黒磯駅は近い過去に新しくなったのだろうが、風格を併せ持った立派な駅だ。
ここを訪ねた者をして、何事かが待ち受けていそうに感じさせる堂々とした姿をしている。
30年前の話になるが、この街でジャイアント馬場は大木金太郎とのPWF、アジアヘビーの2冠戦に勝ち、その3年後にジャンボ鶴田は、狂犬ディック・マードックから鹿児島で失ったUN王座を奪還している。
あれから黒磯で興行が打たれた記憶はない。
そんなことがきっかけで街の名を知ってきたオレにしてみれば、黒磯は伝説の街といえる。
ここを過ぎれば白河の関。
関東平野最後の宿場町なのだろう。
どうやら近くに道の駅がある。

2019年9月23日撮影
25:54 枝室街道‐道の駅明治の森黒磯(196㎞)
白河の関には届かなかったが、今夜はここで終える。
キャンピングカーをはじめ、たくさんの車が秩序に沿って夜を明かそうとしている。
橙色の灯に包まれたこの空間をとても気に入っている。
路上で眠るのは久しぶりだ。
疲れはある。
大切にしていたCDに傷をつけたり、様々な不安もあったけど、今ここでこうしていることがうれしい。
仮に何らかの犠牲を伴うにしろ、その事実をおおらかに受け流して楽しまなきゃいけない。
楽しむということは、ある境を経ると意志が必要になるものだ。
こうして最後にビールを飲めた今日は、素晴らしい一日だったのだろう。
走行距離は200㎞弱。
思い返せば長い道程だった。
これが旅の初日。
それにしても、ここらじゃいつもこんなに星が見えるのか。
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