「鉄旅日記」2009年秋 5日目(松浦-若松)その1-松浦、有田、伊万里、唐津、筑前前原、姪浜、天神、西鉄福岡、博多(松浦鉄道/筑肥線/福岡市地下鉄空港線) 【遅い夏休みをとり、長崎までの切符を買いました。】
鉄旅日記2009年9月22日・・・松浦駅、有田駅、伊万里駅、唐津駅、筑前前原駅、姪浜駅、天神駅、西鉄福岡駅、博多駅(松浦鉄道/筑肥線/福岡市地下鉄空港線)
2009・9・22 6:44 松浦(まつうら)駅(松浦鉄道 長崎県)
交通センターを兼ねた松浦駅に人の姿はなく、昨日の雨は上がらない。
志佐川が玄界灘へと出る町は小さく、商店街の灯は僅かだったが、やけにスナックの数が多かった。
場末の印象は否めない。
迷いこんだ犬がうろうろしていて、オレの姿を確認すると道を譲った。
たった一人の同乗者、関西弁のオバチャンが松浦駅での10分近くの停車を呪い、オレに声を掛けてきた。
沖合には元寇の際に、元軍によって島民ことごとくの命が絶たれた鷹島が浮かび、梶谷城址はそんな海洋民族が暴れた海域に睨みを利かせている。
松浦にて
8:43 有田(ありた)駅(佐世保線/松浦鉄道 佐賀県)
松浦海岸線はひっそりとしていた。
雨は止まない。
伊万里では行き止まりになり、列車は後ろに進むように方向を変える。
そして終点の有田へ。
有田はJR佐世保線との接続駅でもある。
松浦で声を掛けてきたオバチャンが、「ニイチャンについていけば間違いあらへん」と、階段で再び声を掛けてきた。
陽気なかわいらしいオバチャンだった。
土産でもと思っていたが、それを売る店がない。
有田焼の町で観光地然としているかと思っていたが、駅前のパチンコ屋は潰れたまま放っておかれ、角のパン屋しか開いていない。
駅前通りは小さな川を渡ると行き止まりになる。
そこで町は終わる。
酒場は見かけなかった。
ふとハンバーガーや牛丼が食べたくなったが、このあたりじゃそんなものはない。
「当たり前」と、普段東京で口にする言葉は、実は東京でしか通用しない言葉ではないのかと思う。
博多行の特急がやってきて、多くの人々が乗った。
伊万里に戻る。
9:39 伊万里(いまり)駅(筑肥線/松浦鉄道 佐賀県)
焼物鉄道で終着駅の伊万里へ。
深い入り江の先に町がある。
先に書いたとおり伊万里駅は終着駅の構造になっている。
乗換のJR筑肥線は通りを挟んで、別の駅舎から発車する。
なかなかに興味深い駅だ。
松浦鉄道が国鉄松浦線時代は、線路はこのように分断されていなかったようだ。
駅前風景の描写しかできないが、なかなかに賑やかで、歓楽街もあり、観光地らしい人通りがあった。
伊万里駅前風景
11:05 唐津(からつ)駅(筑肥線/唐津線 佐賀県)
伊万里を発車すると、肥前の田舎風景に感嘆する。
肥前長野駅の朽ち果てそうな駅舎には凄味があった。
山本で唐津線と合流するまで、圧倒されるような田舎風景が続いた。
唐津に着いて、京町、呉服町アーケードを歩き、市役所まで。
旧唐津城の肥後堀と城門が残されている。
いくつか土産物屋を覗くが、何がいいのかまとまりがつかない。
食事には早く、町を出る。
車窓から唐津城が見える。
松浦川橋梁から再び唐津城を見る。
そして列車は虹ノ松原へ。
唐津の一風景
11:57 筑前前原(ちくぜんまえばる)駅(筑肥線 福岡県)
筑肥線はここで3両を増結して博多進入の準備を整えた。
5年前のオレもここに寄って、最後の目的地、博多への進入の準備を整えた。
あの日、今日と同じように唐津街道を通って福岡空港に向かったんだ。
しばらく車窓には玄界灘が見えていたが、やがて消えて、高速道路が近づいてきて、風景は平凡になってきた。
12:25 姪浜(めいのはま)駅(筑肥線/福岡市地下鉄空港線 福岡県)
今宿を過ぎる頃、車窓には再び玄界灘が現れる。
事前購入していた長崎を始発とする2枚目の切符の終点はこの駅。
思わず降りてみる。
マンションが立ち並ぶ駅前の特徴をうまく表現できない。
都市近郊の風景といえばいいだろうか。
近くに元寇の際の防塁が残り、浜からは能古島行のフェリーが出る。
ここから最早玄界灘は見えないが、観覧車が見える。
高架を走っていたが、これより列車は地下鉄空港線になる。
13:28 天神(てんじん)駅(福岡市地下鉄空港線/福岡県)
博多入り。
地下鉄は思ったより混んではいない。
新天町で昼食。
豚骨ラーメンくらいしか思い浮かばない。
博多はやはり他の九州の街とは比較にならないくらい大きく、どこに行けばいいのか分からない。
博多駅の方角がどこなのかも分からない。
西鉄の終着駅、西鉄福岡が天神の中心だった。
西鉄福岡(にしてつふくおか)駅(西鉄本線/福岡県)にて
14:17 博多(はかた)駅(東海道・山陽・九州新幹線/鹿児島本線/篠栗線/博多南線/福岡市地下鉄空港線 福岡県)
博多口の駅舎は工事中だった。
とても残念だ。
あの懐かしい姿を記録に残したかった。
大博通りは迫力がある。
あの駅前風景はスケールが大きくて好きだ。
博多南線に乗るつもりでいたけれど、なぜだか案内表示を見つけられない。
どこから出るのだろう。
まぁいい。
次回に回そう。
土産物屋を探して時間を食ってしまった。
随分購入してしまったが、送料が高いのには閉口した。
雨は止まない。
関連記事
-
-
「鉄旅日記」2019年師走 最終日(酒田-東京)その3‐押切、帯織、長岡(信越本線) 【由利高原鉄道鳥海山ろく線に乗りにいきました。初冬の日本海は荒々しく、美しゅうございました。】
鉄旅日記2019年12月8日・・・押切駅、帯織駅、長岡駅(信越本線) 15:35 押切(おしきり)
-
-
「鉄旅日記」2009年秋 最終日(新庄-東京)その2-女川、渡波、松島海岸、本塩釜、仙台、駒ヶ嶺、原ノ町、桃内、いわき、石岡(石巻線/仙石線/常磐線) 【女川を目指した旅。ここには震災前の女川の姿が残されております。】
鉄旅日記2009年10月11日・・・女川駅、渡波駅、松島海岸駅、本塩釜駅、仙台駅、駒ヶ嶺駅、原ノ町駅
-
-
「鉄旅日記」2008年初秋 最終日(福井-東京)-福井駅前、武生新、武生、大府、武豊、知多武豊、刈谷、安城、蒲郡、東京葛飾(福井鉄道福武線/北陸本線/東海道本線/武豊線) 【秋になると北陸に行きたくなるものでございます。能登半島をはじめ、いくつもの終着駅へと行き着いたのでございます。】
鉄旅日記2008年9月15日・・・福井駅前駅、武生新駅、武生駅、大府駅、武豊駅、知多武豊駅、刈谷駅、
-
-
「車旅日記」1997年梅雨明け【疲れきった若き日々。またしても向かうのは北でございました。】(東京-鳴子温泉)初日-町田、用賀、築地、北松戸、荒川沖駅、美野里パーキング、常陸多賀駅、いわき久ノ浜パーキング
車旅日記1997年7月19日 1997・7・19 19:42 東京町田 さしたる感慨も浮かばない。
-
-
「車旅日記」2005年春 初日(松本-富山)走行距離317㎞ その1-新宿駅、松本駅、明科駅、聖高原駅、冠着駅、姨捨駅、篠ノ井駅、川中島駅、飯山駅 【松本から富山へ。今にして思えば、なぜこの旅を思い立ったのか思い出せないのでございます。】
車旅日記2005年4月29日・・・新宿駅、松本駅、明科駅、聖高原駅、冠着駅、姨捨駅、篠ノ井駅、川中島
-
-
「車旅日記」2004年夏 2日目(別府-宮崎)走行距離337㎞その2-高森駅、高千穂駅、延岡駅、日向市駅、佐土原駅、アーバンキット宮崎 【九州を一周してみよう。そう思いたった、真夏の日々でございます。】
車旅日記2004年8月12日・・・高森駅、高千穂駅、延岡駅、日向市駅、佐土原駅、アーバンキット宮崎
-
-
「鉄旅日記」2020年初秋 初日(東京-高松)その1 ‐金町、東京、米原、坂田(常磐線/東海道新幹線/北陸本線) 【時空の友を訪ねて讃州高松へ。金比羅さん、瀬戸大橋、大歩危、小歩危などを友とめぐり、義仲寺に寄り、直島に渡り、水島臨海鉄道にも乗った4日間の記録でございます。】
鉄旅日記2020年9月19日・・・金町駅、東京駅、米原駅、坂田駅(常磐線/東海道新幹線/北陸本線)
-
-
「鉄旅日記」2012年夏【青春18きっぷで、みちのく・北海道途中下車旅】2日目(横手-室蘭)-横手、土崎、八郎潟、大館、弘前、青森、泉沢、久根別、七飯、仁山、渡島沼尻、森、八雲、長万部、伊達紋別(奥羽本線、江差線、函館本線、渡島砂原支線、室蘭本線、室蘭支線)
鉄旅日記2012年8月12日・・・横手駅、土崎駅、八郎潟駅、大館駅、弘前駅、青森駅、泉沢駅、久根別駅
-
-
「鉄旅日記」2015年夏 4日目(西鉄柳川-広島)その2-田川後藤寺、糸田、糒、金田、門司港、厚狭、湯ノ峠、四郎ヶ原、南大嶺、美祢(平成筑豊鉄道糸田線、平成筑豊鉄道伊田線、鹿児島本線、美祢線) 【日本最南端の終着駅、枕崎までの往復旅】
鉄旅日記2015年8月15日その2・・・田川後藤寺駅、糸田駅、糒駅、金田駅、門司港駅、厚狭駅、湯ノ峠
-
-
「車旅日記」1996年黄金週間【友を訪ねて大阪へ。そして約束の地、金沢へ。夢を見ながら国道を走った日々でございます。】最終日 北陸より東京へ‐その3(R20)諏訪湖、韮崎、道の駅甲斐大和
車旅日記1996年5月6日 16:28 諏訪湖 松本市内を通過して塩尻峠を下りていく。 塩尻峠は